その6
旗本屋敷での一連の出来事は、いつもの地下部屋にて元締へ報告された。
「そうか。やはり、博打場を仕切っている連中と梅松の繋がりがはっきりしたということか」
2人の忍がつかんだ新事実に、元締は神妙な面持ちで耳を傾けている。
「梅松からすれば、うるさ型の広保よりも、博打場の頭である猪吉のほうが物分かりがいいということだろうな」
「そして、何かと小言を続ける広保を始末したと……」
本来なら、ここで殺しの標的を決めたいところである。だが、忍たちにとって気になるのはもう1人の男の存在である。
「あとは、深編笠の男の正体が誰なのかということか」
「表門から一旦出て、再び屋敷へ戻っているからなあ。梅松の家臣であるのはほぼ間違いないだろうけど」
木兵衛と清蔵は、深編笠の男をどのように誘い出すべきか頭を抱えている。
「こうなったら、死と隣り合わせの形になるけど、表の立場で相手を誘い出すしかないな」
「町人衆の前で、装束姿を見せるわけにはいかないし」
翌日の酉の刻、木兵衛と清蔵は仕事を切り上げて表通りで合流した。夕焼け空が広がる中、表通りには長屋へ戻ろうとする町人たちが行き交っている。
「これだけ人が多いと、深編笠の男が現れないのも無理はないな」
「いや、ああいった男は油断したところを狙うのが常套手段ってものだ」
2人は、町人衆に気づかれないように小声で話しながら足を進めている。
「この先に3つの橋がある。そのまま行ったら日本橋、右のほうには江戸橋、そして左のほうには一石橋だ」
江戸城が見える日本橋の手前へやってきた木兵衛たちは、周りの建物を見渡している。すると、木兵衛は左側にある建物の存在に気づいた。
「この界隈は蔵屋敷が集まっているが、ここからだと一石橋だけが直に見ることができないなあ」
「もしかしたら、あの男が現れるのは一石橋ということか」
2人の考えが一致すると、左側の蔵屋敷から一石橋が見える通りへ向かった。
その時、編笠を被った侍の姿が2人の目に入ってきた。その男は、旗本屋敷から出てきた深編笠の男と全く同じである。
「やはりあの男か。一石橋からなら、さほど警戒されずに済むからな」
清蔵が小声でつぶやいたその時、一石橋を渡り切った深編笠の男が刀を抜いてきた。
「この通りを走って逃げるぞ」
2人は、呉服橋を横目に急ぎ足で駆け抜けている。これを追うように、深編笠の男も右手に刀を持ちながら絶好の機会をうかがっている。
「主君との約束を果たすためにも、何としてでも始末しないと……」
深編笠の男が狙いを定めているのは、前方にいる木兵衛と清蔵の2人であることは言うまでもない。
「左の角を曲がるぞ」
木兵衛たちが曲がった先は、桶町から表通りに通ずる細い道である。深編笠の男も、刀で斬ろうと後ろから迫ってきた。
「うわっ! いきなり刀を振り下ろしやがって」
いきなり斬りかかろうとする深編笠の男の動きに、木兵衛と清蔵は何とか自分の身をかわすのが精一杯である。そんな時、木兵衛たちの足が表通りに入ったのを見た深編笠の男は、なぜかその場から去っていった。
「ふうっ、どうにか難を逃れたな」
「だけど、再び現れるかもしれないぞ。あの男は、獲物をしぶとく狙ってくるからな」
一難が去ったといえども、2人は気を緩めることはない。木兵衛たちは、表通りを歩きながら右側に入る細い道を確認している。
「この角を曲がるぞ」
木兵衛がつぶやくように声を掛けると、清蔵もそれ続くように細い道へ入った。
「誰もいないな。あの長屋へ入るぞ」
2人が入った場所、そこは地下部屋で裏の仕事の打ち合わせを行う主なき長屋である。同じころ、細い道に入って何かを探すように見回す深編笠の男の姿があった。
「どんなに逃げたって、そうはいかないぜ」
血に飢えたその男は、細い道のそばにある長屋を行ったりきたりしているが、刀を向けるべき2人の男はどこにもいない。
「くそっ!」
深編笠の男は、言葉を吐き捨てると細い道を水路側へ去った。それと入れ替わるように、長屋の屋根に現れたのは装束姿の男たちである。
「くれぐれも油断するんじゃないぞ」
2人の忍は、お互い確認し合うと相手の男を追って一石橋へ通ずる通りへ向かった。すると、主なき長屋のある細い道へ再び足を踏み入れる深編笠の男を見つけた。
陽と影はそれを見て屋根から飛び降りると、標的となる相手が逃げないように前後で挟み撃ちにした。
「覚悟!」
「お、おい! いきなり何を……」
動揺する深編笠の男に、忍の男たちは背中から抜いた刀で一瞬のうちに斬っていった。その場で倒れ込んだ男の編笠を陽が脱ぎ取ると、侍らしき顔つきをした男が口を震わせている。
「律吾というおれの正体がこんな形で知られることになるとは……」
「律吾か……。もしや、博打場の常連客を斬ったのもお前か」
「そうだ……、それがどうした……」
律吾は意識がもうろうとする中、自ら行った所業を口にしている。いつ息絶えるか分からない相手の男に、陽はさらに追及を続けた。
「それじゃあ、ここへきたのは誰の差し金だ」
「博打場で……中盆の取りまとめ役の……猪吉だ。そして……」
「まだいるのか」
「猪吉を……懇意にしているのが……旗本の……梅松正五郎……」
自らを差し金として送った張本人の名前を全て口にした途端、律吾はそのまま息を引き取った。
「やはりそうだったのか」
「これで殺しの標的は固まったな」
暗闇に覆われた細い道に横たわる侍の屍を前に、2人の忍はこれから行うであろう殺しの仕事に向けて決意を新たにした。




