その1
数多くの鞘師が集まる京橋南鞘町。秋の夕焼け空に舞う赤とんぼの姿を横目に、子供たちが裏通りの路地を走り駆けている。
「ふうっ、これで明日納品する分の鞘ができ上がったぞ」
清蔵は、外出用で漆塗りの拵と保管用の白鞘が同数あるのを確認している。武家屋敷を持つ大名や旗本を相手にするだけに、鞘師として粗相のないように注意を払わなければならない。
厳しい仕事であるが、相手からその腕を認められることは、鞘師としての職人冥利に尽きるものがある。
「そろそろ表通りの蕎麦屋へ行くとするか」
長屋から外へ出て空を見上げると、そこには美しい茜空が広がっている。清蔵は、急ぎ足で表通りへ通ずる細い道に足を踏み入れた。
「暗くならないうちに行かないと……」
そのとき、鞘職人の男が、武士らしき謎の男に正面から斬られたのを清蔵が目撃した。
清蔵は、細い路地に倒れ込んだ男のところへ駆け寄った。その男は、同じ南鞘町で近くに住む文吉という鞘職人である。
「文吉! 誰に斬られたんだ!」
「深編笠を被った……男がいきなり……」
深い刀傷を負った文吉は、相手の男の名前を言う前に息を引き取った。清蔵は、若くして屍となった男の姿に厳しい表情で立ち尽くしていた。
その翌日、裏通りに面した文吉の長屋の前には『忌中』の張り紙が出された。
長屋では、同居人であろう女が白い布を顔にかけられた文吉の死体に寄り添うように泣き続けている。焼香を行う南鞘町の住人たちも、涙声を上げる女房の姿を見ながら悲しみに暮れている。
普段は他の人と関わることのない清蔵も、この日ばかりは志半ばで逝った文吉の冥福を祈ろうと焼香を行っている。
「若くしてこの世を去るとは……。本当にやりきれない思いだ」
清蔵は、文吉が深編笠の男に斬られた時の様子が今でも脳裏に残っている。焼香を終えた清蔵は、僧侶と遺族に一礼してから長屋から出ようと引戸に手を掛けた。
そんな時、葬儀に参列している鞘職人の男が清蔵に声を掛けてきた。
「文吉を殺した奴って、深編笠の男では……」
「確かにそうだが……。まさか、他の場所でもなのか?」
「それがねえ、ここ数日の間に3人が殺されたんだけど、いずれも深編笠の男が関わっているみたいだ」
清蔵は男の話を聞くうちに、これはただ事ではないと感じ取った。なぜなら、文吉を襲った深編笠の男の正体がいまだに分からないからである。
日が暮れて暗闇に入ろうとする戌の初刻、主なき長屋の地下部屋にはいつもの通りに陽と影が顔を合わせている。
ろうそくがぼんやりと照らされるその場所で、影は深編笠の男による辻斬りについて話を切り出した。
「深編笠の男の話か。それだったら、既に読み売りでもこの件が取り上げられているから、町人たちの間でもかなり知られているぞ」
「やはりそうか」
わずか1週間で4人もの犠牲者を出していれば、江戸市中で暮らす町人衆が不安に駆られるのも無理はない。深編笠の男が現れてから、表通りの賑わいも鳴りを潜めているという有様である。
今度は、陽が耳にした話を影に伝えようと口を開いた。
「これはまだ噂の段階だが、ある旗本屋敷で大きな規模の博打場が開かれているという話が耳に入ってなあ」
「旗本屋敷か……。町奉行の管轄でないのをいいことに平気で博打にうつつを抜かすとは……」
忍たちが互いに向かい合うように話していると、元締が2人の前に現れた。
「深編笠の男と旗本屋敷での博打か……。何かと物騒なことが立て続けに起こるとはなあ」
元締が発する濁声は、まるで江戸市中の暗部をえぐり出すかのような声の出し方である。2人の忍は、それがどういう意味かすぐに感じ取った。
「まさか、2つの件が密接に関連しているとか……」
「深編笠の男が、あの博打にも関わっているとでも……」
そんな2人の推測に、元締が再び口を開いた。
「2つの事柄がどのように関わっているかは、わしもまだ分からない。だが、定信に近い人物がこれらの件に関わっているとすれば……」
元締の言葉を耳にした忍の男たちは、2つの件から優先すべきものを先に進めることに決めた。
「まずは、深編笠の男がだれなのか調べたいけど」
「あの男の正体をつかまないことには始まらないし」
2人が口にした方針に、元締は忍たちに伝えるべき例の言葉を発した。
「お前らがどう行動するかはとやかく言わない。くれぐれも、忍の掟を破るようなことをしてはならんぞ」
元締の言葉を聞いて、2人の忍は生半可な気持ちでやれるほど裏の仕事は甘くないと改めて感じることとなった。




