その9
宝町2丁目にある福見屋の奥では、加蔵一家の連中が集まって話しているところである。
「借金を強引に取り立てるやり方が、こんなにうまく行くとはなあ」
「少しでも逆らえば、これで胸を一突きということか」
「その通りだ。邪魔になる者は、その場で死んでも文句は言えないだろうな。そもそも、悪いのは金を返さない者だからな」
借金取りの男たちは、強引な手法での取り立てを悪びれる様子を見せることはない。
「借金で四苦八苦している者には、終わりなき地獄を味わうということか」
「仏の顔と鬼の顔を上手に使い分けるということだな。ふっはっはっはっは!」
男連中が笑い声を響かせているその時、真っ白い煙が突如として部屋の中に立ち上がった。
「うわっ! ゲホゲホッ……」
「だ、誰だ!」
突然の出来事に男たちが戸惑っている中、煙から現れたのは装束に身を包んだ2人の忍である。
「加蔵一家、お命頂戴つかまつる!」
突然現れた装束姿の忍2人にたじろぐ借金取りの男たち。そんな時、忍たちの急所を狙おうと着物からすぐさま短刀を手にした。
「相変わらず荒っぽいなあ」
「もう少し冷静にならないと……」
感情を露わにした強面の男たちとは裏腹に、陽と影は背中から刀を抜いては左肩越しに構えた。
「いきなり土足で入りやがって!」
自らの短刀で襲いかかろうとした加蔵一家の連中だったが、2人の忍の前に為す術もなく斬られてはその場で命絶えることとなった。
そんな中、唯一残った男は忍たちに抵抗しようと短刀を振り回して部屋の隅へ移った。
「勢吉はどこへ行った」
「し、知らんわ!」
「知らんだと? 加蔵一家の頭がどこへ行ったか分からないとは……」
「ふ、ふざけた真似しやがって!」
激高した男はいきなり陽の胸を突き刺そうと試みるも、その動きを相手に見透かされることとなった。すかさず身をかわした陽は、借金取りの男の背中へ刀を振り下ろした。
崩れ落ちるように倒れたその男に、影はある言葉を発した。
「おい! 勢吉の行き先はどこだ」
「せ、勢吉は……。か、河原林の屋敷に……行くと……」
借金取りの男は、意識が朦朧とした状態で途切れながらも小声で伝えようとした。しかし、震えながら口を開こうとした途中で息を引き取った。
2人の忍の周りには、加蔵一家の男たち数人の屍が血にまみれて転がっている。
「影、行くぞ」
忍たちは煙玉を投げつけて白い煙に包まれると、その場所から姿を消すこととなった。
そのころ、銀座に近い場所にある河原林利孝の屋敷では、奥にある座敷にて六左衛門と勢吉を招き入れている。
ろうそくに照らされる中、六左衛門は河原林に話しかけようと口を開いた。
「ところで、長崎奉行の件は?」
「それならご心配なく。あれだけ金を積めば、長崎奉行の職を手に入れることぐらい容易いものだ」
地獄の沙汰は金次第とはよく言ったものである。格の高い役職に就くためには、1000両と言われる金をどれだけ集めるかに尽きる。
「そのためでしたら、おれのほうからも借金の取り立てで得た銭を用意しますんで」
「これで長崎奉行の職を手に入れたも同然ということか、はっはっはっはっは!」
河原林は六左衛門に続いて、勢吉からもご尽力を得たとあって笑い声が止まらない。他の2人にしても、河原林を後押しすることで見返りという名の旨みを味わいたいという思惑がある。
「河原林殿には、ぜひとも清国やオランダから入る砂糖を福見屋が一手に引き受けるようお願いしたいのですが」
「六左衛門とは持ちつ持たれつの特別な関係だし、お互いに甘い汁に有りつきたいものだなあ」
六左衛門が富札の横流しを行い、それで儲けた河原林が便宜を図ることは、お互いに実利を得る絶好の機会である。
2人の笑い声がする中、勢吉は河原林に一足先に帰る旨を伝えようと口を開いた。
「夜が更けてきたので、そろそろお暇致します」
勢吉が障子を開けて廊下に出ようとしたその時、突如として手裏剣が次々と座敷へ投げ込まれた。これを察知した河原林は、すぐさま抜刀しては手裏剣をかわすこととなった。
「いきなり急襲するとは……」
河原林は、座敷の障子を全開にして池が見える庭を見渡した。すると、暗闇に包まれた庭で白い煙が立ちあがった。
「だ、誰だ!」
「わしの屋敷に足を踏み込みやがって……」
3人が目にしたのは、青い装束を身につけた陽の姿である。
「江戸城目付・河原林利孝、福見屋・六左衛門、加蔵一家・勢吉、お命頂戴つかまつる!」
陽の開口一番に発した言葉に呼応するかのように、影が屋敷の上から飛び降りてきた。軽い身ごなしで着地すると、陽と目を合わせた。
「陽、油断するんじゃないぞ」
「ああ、分かった」
屋敷から若侍が次々と現れると、河原林の命を受けて刀を一斉に抜いてきた。
「狼藉者だ! 斬れ! 斬れ斬れ!」
忍たちも、背中から抜いた刀を横に構えた。死と隣り合わせの仕事だけに、2人の忍はいつになく厳しい目つきで敵と対峙している。
「覚悟!」
陽と影は、屋敷から庭に出た侍たちへ次々と刀を振り抜いた。忍たちの素早い動きに、侍の連中は為す術もなく斬られることとなった。
屍が庭に転がる中、侍は忍の2人に斬りつけようとするが、素早い動きでかわされてしまう。そして、陽と影は間髪を入れずに横からバッサリと斬っていった。
若侍を全て倒した忍たちは、刀を持ちながら廊下にいる標的の3人に近づくべく足を進めた。
「く、くそっ!」
勢吉は短刀を取り出すと、忍たちに向けて次々と投げつけた。地面に伏せるようにかわすと、2人の忍が放つ刀で勢吉を一気に斬り裂いた。
六左衛門は、屍になった勢吉の姿に恐れながら後ずさりしている。これを目にした影は、六左衛門に飛びかかる形で刀を突き刺した。
「あとは、河原林ただ1人か……」
座敷には、血まみれになった六左衛門の死体が転がっている。忍たちは、旗本の河原林利孝に刀を向けた。
「河原林! わしらに斬られるか、それともこの場で自ら命を絶つか」
「ぐぬぬっ……。忍のくせに言いたいことばかり言いやがって……」
怒りを抑えられない河原林は、刀を構えると陽の正面から振り下ろした。陽はそれを刀で受け止めると、自らの目で影に合図を送った。影は、その合図がどんな意味を持つのか十分に承知している。
刀と刀がぶつかったままの状態から離れると、陽は冷静に相手の動きを見ている。
「河原林の奴、怒りに任せて後ろが隙だらけだな」
陽は両手で刀を構えていると、河原林は憎しみをぶつけようと刀を振り回している。
そのとき、河原林の後ろから刀で斬り裂く音が陽の耳に入ってきた。河原林の動きが急に止まったのを見て、陽はすぐさま自らの刀で相手を斬ろうと振り切った。
「河原林利孝、覚悟!」
陽が河原林の体を横からバッサリと斬ると、影も河原林の背中を垂直に斬り下ろした。
座敷に転がる血に覆われた屍を前に、忍たちは一言ずつ小声でつぶやいた。
「これが欲にくらんだ男たちの末路か……」
「閻魔様の裁きがどういうものになるか、あの世へ行った3人が思い知ることになるだろうな」
京橋桶町の一角にある長屋では、今日も木兵衛がツボ師として桶職人への施術を行っている。
「いてててっ! いててててててててっ……」
「大衝穴のツボを押しているから、しばらく辛抱してくださいね」
死ぬほどの激痛に顔をゆがめているのは、肝の臓が悪い桶職人の男である。自らの施術で病が改善に向かっているかは、木兵衛にも分からない。
それでも、ツボ押しを終えた桶職人は、全身のだるさが抜けつつあることを感じているようである。
「この前と同じ場所のツボを押したけど、調子のほうは?」
「おかげさまで、疲れもだるさも良くなってきました。本当にありがとうございます」
肝の臓が悪い状態から回復の兆しを見せているとあって、桶職人は親身に施術してくれた木兵衛に感謝しきりである。
そんな桶職人の耳に入ってきたのは、そばにいる妻からの容赦ない言葉である。
「これで分かったでしょ。もう二度と酒は飲まないと一筆書いてもらうからね」
「そんなこと言わなくても、ここで施術を受けてから酒は一切飲んでいない……」
「そんな嘘なんか通用すると思ったら大間違いだからね。あたしの目を盗んで、こっそりと酒を買っているのは誰ですかねえ」
「ご、ごめんなさい……。二度と飲まないと本当に誓います……」
妻の厳しい言葉にたじろぐ夫の姿に、木兵衛は思わず笑みを浮かべている。