その8
忍たちは、加蔵一家の連中が出入りする福見屋の屋根に身を潜んでいる。上弦の月が浮かぶ暗闇の空に覆われている夜中だけあって、表通りを出歩く人はほとんどいない。
そんな中、影は男たちが火を灯した提灯を手にして外へ出てくるのを目を凝らしながら見ている。
「おい、福見屋から2人が出てきたぞ」
「1人は六左衛門か。もう1人は、おそらく加蔵一家の男らしいな」
表に出てきたのは、六左衛門と勢吉の2人である。男たちは、表通りを日本橋のほうへ向かって歩き出した。
2人の忍は、その提灯を目印にしながら密かに追うことにした。六左衛門たちは日本橋の手前で左へ曲がると、ある場所へ向かうべく足を進めている。
「あの2人、向かった先はやはり河原林の屋敷か」
陽と影は、隣の屋敷の屋根に潜めながら六左衛門たちの動きを探っている。眼光の先には、福見屋と勢吉が門番の許しを得て表門から入る姿があった。玄関のほうには、旗本であるあの男が柔和な表情で六左衛門たちを出迎えようとしている。
「亥の正刻だというのに、河原林の顔つきは不気味なくらいに表情を崩していないようだ」
玄関で一礼した男たちは、河原林に促されるように屋敷の中へ入っていった。
「影、行くぞ!」
「はっ!」
河原林の屋敷の上へ飛び移った忍たちは、屋根裏の奥へ密かに足を進めながら3人の動きを探ることにした。
「どうやら、奥にある座敷へ入るようだな」
陽と影は標的となる3人の会話を聞き逃すまいと、座敷の真上で耳を当てた。
その頃、3人の男はろうそくに照らされた座敷に座ると、猪口に注がれた酒を飲み交わしながら談笑していた。
「今回の玉岡寺の富突、おかげさまでかなり儲けることができました。これも、河原林殿がお力添えくださったおかげです」
「そちらこそ、用意してくださった多くの当たり札のおかげでこんなに儲かることができるとは。ふっはっはっは!」
河原林の言葉は、屋根裏にいる2人の忍も全て聞き逃すことはなかった。
「一の富も百の富もか……。最初から当たり札ありきで横流しが行われていたのか」
「一手に興行を引き受けた富札で公然と不正が行われていたとは……」
陽と影は、六左衛門による河原林への富札横流しの告白という証拠を密かにつかむことができた。けれども、今回の目的はそれだけではない。
忍たちが探りを入れる中、座敷のほうでは勢吉が他の2人の男が話すところへ加わろうと口を開いた。
「ここにいる3人がお互いに儲かることができれば、それでいいじゃないか」
「そういえば、加蔵一家は自ら肩代わりした借金の取り立ても行っているそうだけど」
旗本の指摘に、向かいにいる勢吉は再び口を開いた。
「おれはなあ、借金を返さない奴はその場で殺してでも回収するもので」
「先ほどまで、借金の取り立てに行ったそうだが、まさか本当に……」
「この手で甚三郎を刺し殺すと、この様子を大声で叫ぼうとした娘もすぐに始末したまでさ」
勢吉が笑みを浮かべながら話すと、六左衛門がすぐに言葉を返した。
「それなら、加蔵一家があの2人を殺めたことは誰も知られていないと……」
「その通りさ」
「悪事が露見されたら、わしのみならず、河原林殿の長崎奉行就任を目指す上でも大きな痛手となるからなあ」
旗本の名前が福見屋の口から出ると、河原林本人が自らの野望をこの座敷で伝えることにした。
「わしは目付で満足するつもりはない。幸いなことに、長崎奉行には1人分の空きがある。わしは、当たり札で得る金でぜひとも手に入れたいものだな」
怪しげな笑みを見せる河原林の姿に、六左衛門は再び口を開いた。
「当たり札の横流しのことなら、興行主であるこのわしにお任せしていただければ」
「長崎奉行の職に就くにはまとまった金が必要となる。六左衛門、これからも頼んだぞ」
3人の笑い声は、屋根裏で偵察を続ける忍たちの耳にも届くこととなった。
「六左衛門が興行主の立場を利用して、旗本である河原林に当たり札の便宜を図っていたとは……」
「そして、借金取り立て屋の加蔵一家とも手を組んでいたのか。まったく、世の中は理不尽なものだぜ」
男たち3人の悪事をつかんだことに、2人の忍は互いに自分の言葉で交わした。
「強い者はますます栄え、弱い者は足蹴にされるか……。これで、あの3人の接点が一致したな」
再び口を開いてつぶやいた陽は、標的となる敵を誰なのかを既に固めている。
それを伝える場となったのは、翌日の戌の正刻に集まった地下の隠し部屋でのことである。忍たちは、標的となる人物に関して収集した情報を元締に伝えようとしている。
「弥助屋の一家心中、そして古着屋の甚三郎父娘殺しの2件はいずれも借金取り立てを生業とする加蔵一家によるもので、その首謀者は一家の頭である勢吉だ」
厳しい顔つきの影に続いて、陽が残り2人の名前をその場で口にした。
「その加蔵一家に場所を提供するなどして便宜を図ったのが、砂糖問屋・福見屋の六左衛門という者だ。六左衛門は旗本で目付の河原林利孝に当たり札の横流しを行った事実をつかんでいる。さらに、河原林が当たり札で得た利益で長崎奉行の職を手に入れようとしているらしい」
「これで以上だな」
「はい、これが全てです」
忍たちの報告を終えると、元締はこれから行う仕事の内容を伝えるべく口を開いた。
「殺しの標的は、六左衛門、勢吉、河原林利孝の3人だ」
殺しの仕事を2人に託すべく、元締は着物の中から小判2枚ずつを床に置いた。
「今回の報酬はこれだ。さあ、受け取れ」
2人の忍びは、それぞれ2両ずつの報酬を手でつかみ取った。影は、自らの報酬をこの目で見るたびに小声で不満を漏らした。
「死と隣り合わせであることを元締は知っているのか……」
「まあ落ち着け。こんな所で苛ついたら、命取りになりかねないぞ」
ブツブツと文句を垂れる影に、陽は冷静な口ぶりでなだめている。2人が手にする報酬は、死と紙一重の状況で行う殺しの仕事を勘案すると、決して多いとは言えない。
「今回は2か所だな。加蔵一家がいる福見屋、そして河原林の屋敷だ」
「どこから行くのか」
「まずは加蔵一家からだ。問題は、そこに頭の勢吉がいるかどうかだな」
「河原林がいる屋敷へ行っている可能性もあるのか」
「あり得ないというわけではない。とにかく、あらゆる状況に対処することだ」
隠し部屋のある長屋の屋根に飛び移った装束姿の男たちは、殺しを行う場所へ向かって闇の中を風のように走りつけている。




