その7
甚三郎は、神田紺屋町の裏通りに面する一角で古着屋を営んでいる。古い着物を仲買人として買いつけて、それを店に並べるのが古着屋の仕事である。
けれども、江戸市中での古着屋の数は1000軒を超えており、競争も激しい。そんな中で、甚三郎は買いつけの出費の割に売れないことも多く、その度に借金を繰り返していた。
当然ながら、番頭を受け入れるだけの金もない。
「はあ……。富札も全部外れたし、ついてないなあ」
甚三郎は番頭席でため息をつきながら、後悔の念を抱いていた。その様子を、娘が店の奥から覗き込むように見ている。
そんな時、古着屋の中に加蔵一家の連中がいきなり踏み込んできた。
「おい! この前おれたちが肩代わりした借金、全部返してもらおうか!」
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり全部払えるわけないでしょ!」
強面の取り立て屋連中を前に、甚三郎は取り繕うように言い訳を口にした。その言い訳を聞いた途端、連中の中心にいる勢吉が鬼のような形相で激高した。
「見苦しい言い訳しやがって! いいか、おめえと交わした念書がどういうものか教えてやろうか」
勢吉が着物の中から取り出したのは、甚三郎との間で交わした念書である。この念書に甚三郎の署名捺印があるのは、疑いのない事実である。
けれども、そんな内容を知らない甚三郎は念書に記されたのを見て驚きを隠せない。
「借金の全額返済を求めることができるって、そんなこと一切聞いてないぞ!」
甚三郎が念書の内容をめぐって詰め寄ると、勢吉はその手で甚三郎の胸ぐらをつかんで離そうとはしない。
「おめえさんよ、おれたちが肩代わりしたというのがどういう意味か分かっているだろうな」
勢吉の脅し言葉に、甚三郎は相手の恐い顔つきを見て身震いするばかりである。声を出そうとしても、面と向かって口を開けることができない。
「ほうほう、こんな裏通りに似合わない立派な着物が置いているとはなあ……」
「そ、それはこの店においてある大切な品物……」
加蔵一家の連中は、店内にある古い着物を一斉に運び出そうとしていた。これを止めようと声を上げた甚三郎に、勢吉は右手の握り拳で顔を殴りつけた。
「おい! 借金が払えないならそれなりの報いを受けてもらうぜ」
勢吉は冷たい言葉を口にしながら、床に倒れた甚三郎を平然と何度も蹴りつけている。この様子を奥から見ていた娘は、父親の様子を案じて店先に出てきた。
「もうやめて! ここにある着物は、父さんがここで売るために集めた大切な着物よ」
娘の叫ぶ声に、借金取りの男たちは一旦手を止めた。しかし、金の亡者と化した加蔵一家にとっては、商品価値の高い女に目をつけるのは必然である。
「へへへ、こんなにいい女なら吉原で一稼ぎすることができそうだな」
「は、放してよ!」
「そうはいかねえんだよ。恨むんだったら、借金を返さない親父さんを恨むんだな」
借金取りの男たちは、嫌がる娘を無理やり連れ出そうとしている。加蔵一家による傍若無人の振る舞いに、甚三郎の感情は抑えきれなかった。
「頼む! 大切な娘を連れて行くのは……」
甚三郎の一言に、借金取り連中は鋭い目つきでにらみつけている。その意味は、勢吉が甚三郎の耳元での脅し文句がすべてを表している。
「本当にそう思うなら、すぐに金を返せ! できないなら、借金の形としておれたちが持ち出しても文句は言えないわなあ」
「で、で、でき……」
頼みの富札も外れた甚三郎にとって、借金を全て返すことはもはや不可能である。加蔵一家による有言無言の圧力は、甚三郎が自らの手で首を絞めるようなものである。
「何も言わないなら、この娘を吉原に連れて行くぞ!」
「いやあああああっ!」
男たちが外へ強引に連れ出そうとすると、娘の大きな悲鳴が甚三郎の耳に入った。
「頼む……。頼むから、娘を放しておくれ! この通りだ!」
「おめえがそう言ったってもう遅せえんだよ!」
どんなに甚三郎が土下座しても、借金取りの一味はその訴えに耳を傾けることはない。甚三郎は、何としてでも男たちに振り向かせようと相手の着物に手を掛けた。
「娘を返してくれ! お願いだから娘を……」
「この野郎!」
加蔵一家の男は着物の中から短刀を取り出すと、しつこく懇願を繰り返す甚三郎の胸を突き刺した。娘を思う気持ちが故の甚三郎の行動だったが、皮肉にも強面の男たちによって自らの命の灯火が消えようとしている。
その場でぐったりと倒れ込んだ父親の姿に、娘は思わず叫び声を上げた。
「きゃああああっ! ひ、ひ、人ごろ……」
連中の所業が露見されることを恐れた勢吉は、娘の胸を自ら取り出した短刀で刺した。甚三郎の上に横たわるように娘が倒れたのを目視すると、男たちへ命令をすべく口を開いた。
「おい! 品物を持ち出したら、その場からずらかるぞ!」
店先にある古着を全て出すと、加蔵一家の男たちは周りを見回すように警戒しながら一斉に去っていった。
その頃、2人の忍は神田鍛冶町に並ぶ建物の屋根を疾風の如く走り駆けている。
「甚三郎の様子が気がかりだな」
「右へ行ったら紺屋町か……。古着屋を営んでいるからすぐ分かるはずだ」
紺屋町へ足を向けた忍たちは、甚三郎が営む古着屋の前で倒れている2人の姿に気づいた。
「まさか、あの甚三郎が……」
陽と影は屋根の上から降下すると、古着屋の出入口の手前に着地した。そこで目にしたのは、何者かに刺されて地面に倒れた甚三郎たちの変わり果てた姿である。
「これはひどい……。あまりにもひどすぎる」
「こんな酷いことを平然と行うとは……」
血にまみれた2人の屍に、忍の男たちは言葉を続けることができなかった。




