20-戦い終わって
――とある地方の体育館
薄暗いホール内を、人々が埋め尽くしていた。
ホール内は先刻行われた試合の余韻もあり、ざわめきと熱気に満ちている。
そのざわめきをかき消す様に大音響のBGMが響き渡り、カクテルライトが四角いリングを照らし出した。
そしてロープをくぐり、スーツ姿の一人の男が現れる。
と、一旦BGMが鳴り止んだ。
男――リングアナ――はおもむろにマイクを取り出すと、次の試合のカードを読み上げた。
湧き上がる歓声。
リングアナは会場内を眺めまわすと、もったいぶった様に一人の男の名をコールする。
そして再び流れるBGM。
スポットライトが青コーナー側の入場口を照らした。
焚かれたスモークの中現れたのは、豹……いや、ジャガーの面を被った男。
リングネームはオセロメー。メキシコからの刺客と紹介された。
彼は堂々たる仕草でロープをくぐり、リングに立つ。
次いでコールされたのは、大人気の覆面レスラー。
大歓声。そして流れるテーマソング。
そのレスラーの名の観客コールが怒涛の様に押し寄せる中、赤コーナーから対戦相手のレスラーが現れる。
コールに応え、拳を突き上げる対戦相手。
そして軽やかにロープを飛び越えリングイン。
観客の歓声は最高潮に達した。
両コーナーで睨み合う二人のレスラー。
ますは対戦相手のコール。
再び歓声が上がる。
そしてオセロメーの名がコールされる。
しかしその歓声は、対戦相手に比べて僅かだ。
「オオオジちゃん、ガンバレ〜!」
俺は思わず声を上げていた。
その声に、オセロメーは俺に向かって小さく手を挙げる。
そして、レフェリーのチェック。
それが終わると、両者はリング中央で握手する。
レフェリーの、「ファイト!」のコール。
そして、ゴングが鳴らされた……。
これは、初めて俺がプロレスを見た日の記憶。
大叔父は、それほど強いレスラーではなかった。テクニックと試合の“魅せ方”に関しては、一線級のレスラーにも引けは取らなかっただろう。だが、身体は決して大きくはなかったし、何より年を取り過ぎていた。
若く、力もあるレスラー相手では、結局圧倒されてしまうのだ。
だが、その戦いっぷりは、俺の魂を大きく揺さぶったのだ。
やがて俺は、そのプロレス団体の門を叩くことになるのだが……。
――そして、現在
ゆっくりと意識が浮上していくのがわかった。
俺は一体どうなったのか?
あの化け物と戦い、そして……
死んでしまったのだろうか?
まぁ、何の“力”ももたぬニンゲンの身でありながら、あんなこの世のものならざる存在に戦いを挑んだら死ぬのも当然か。
それにしても、死んだら一体俺はどうなるんだろうか?
消滅か? それとも……
…………
ん?
右手が暖かく、柔らかいモノに包まれていた。
感覚がある? 俺は、まだ生きているのか?
そして、俺はゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
目を開けると飛び込んできたのは、豹……いや、ジャガーの面をつけた男が描かれた天井だった。
ずいぶんと豪華な部屋だな。俺が転移してきた日の翌日の朝とは大違いだ。
「俺は……生きて、いるのか?」
『当たり前でしょ、このバカ。姫巫女様と大司祭様がいたんだから、助かった様なものよ。あんなに傷ついてさ……』
怒った様な“声”。
その方に視線をやると、見覚えのある顔があった。そして、右手を包む感覚は彼女の掌であった。
「アスリ、か」
『全くもう……あんなのに一人で戦いを挑もうなんて、どれだけ無謀なの? 生きてたからいいけどさ……』
「スマン。俺がヤツを連れて来てしまったのかもしれんからな……」
『そんな事まで気にする必要ありませんよ。我々が儀式を行った結果でもあるわけですし』
と、別の“声”。
ローベルトだ。扉が開く音がしたので、どうやら今さっき、この部屋にやって来たらしい。
「そうか。……それよりも、回復魔法をかけてくれてありがとう。おかげで助かった」
『いえいえ、どういたしまして。これが司祭の務めでもありますし。何より共に戦った仲間ですからね』
『……』
と、アスリがジト目で俺を見る。
「アスリも、ありがとう。助かったぜ」
『んふふっ、どういたしまして!』
彼女は嬉しそうに笑った。
『では、回復するまでゆっくりと休んでください。回復魔法で表面上は傷が癒えても、まだまだ深い部分では回復しきってはいませんからね』
「そうか。お言葉に甘えさせてもらおう」
『では、私はこれで。……ああ、そういえば。あなたの胸に刺さった爪も、取り除いておきました』
『ローベルト様、彼の世話は私に任せてくださいね』
『ふむ。では、お願いしようか』
『は〜い! 任せてください!』
彼女の言葉に頷くと、ローベルトは去っていった。
う〜む……エセンに叱られるんじゃなかろうか? ……まぁいいか。
それよりも、だ。
「あれからどれぐらい経ったんだ? それに、あの後一体どうなったんだ?」
『今日はその翌日よ。今はもうすぐお昼だから、九刻半ほど眠っていた事になるわね。ちなみにここは、大神殿の中。特別扱いよ。感謝なさい』
彼女は少し怒った様な口調で答える。
「……そうか」
ふむ。大体19時間か。
『あの怪物達は、皆倒されたわ。転移門も封じられたし』
「そうか。皆無事だったのか?」
『大怪我したのはあんただけよ』
「むぅ……そうか」
『全くもう……あんたのいたチキュウだかニホンだかって場所、そんな命知らずの人間ばかりなの?』
「い……いや、そんなコトはないけどな」
日本人には、むしろ慎重な人間の方が多いだろう。……まぁ、俺は純粋な日本人じゃないが。
それに、転移に巻き込まれる様な人間だからな。そういう“何か”があってもおかしくはない。俺の先祖も、もしかしたらこの世界と関わりがあるかもしれんしな。
ん? そういえば……
「マスクはどうなった?」
胸に手をやるが、そこにポケットはない。寝間着のようなものを着せられている様だ。
『あそこよ』
アスリが壁際を指差す。
壁際のチェストの上に、帽子スタンドの様なモノが置いてある。そしてそれに、マスクが被せてあった。
しかし……
「……何か形が変わってないか?」
以前のマスクは汚れやほつれが目立っていたが、今はそうしたものは綺麗に修復されている。それどころか、造作も精悍さを増した様にも見える。そして一番の違いは、眉間部分に翡翠の様な宝石が付いている所だ。
『ああ、あれね。魔導石みたいよ』
「魔導石?」
『うん。魔力に反応する石。元々あのマスクには粉末状の魔導石が使われていたらしいよ。おそらくは、接着剤の様なモノに練りこんで裏地に塗ってあったみたいね。それが、あんたの“力”と反応してああいう形になったみたい』
「そう、なのか?」
ふむ……そんな事も起きうるのか。
それよりも、だ。かつてのアステカにそんなモノが存在し、加工する技術者がいたという事か? オカルト雑誌が好みそうな話だが……
「もしかしたら、この世界から転移した人……例えば、敬吾サンの祖先とかが作ったのかも知れないよ?」
と、思わぬところから声がした。
ふと見ると、扉の前にダニエルが立っていた。
『ちょっとアンタ、いつの間に入って来たのさ』
不満げな声を上げるアスリ。
『ローベルトさんと入れ替わりでね。まぁ、ジャマしちゃ悪いと思って黙ってたんだけどさ』
と、平然とした顔で答える。
そういえば、さっきから扉が開けっぱなしだったな。
『魔力が満ちた状態の魔導石って、翡翠に似ているんだよね。そして翡翠は生命の再生とか、不老不死とかの“力”があると古代の人は信じていたらしい。あるいはそれは、魔導石の事だったのかも知れない。もしかしたら転移して来たその人は、持っていた魔導石をそのマスクの加工に使用したのかもね。そしてそのマスクの“力”を見た人々は、よく似た翡翠に神秘性を見出したのかも……とか適当なコトを言ってみる』
「なるほど。ずいぶん詳しいんだな、そういう事に」
「僕の両親は考古学者でさ、太平洋諸島とか中南米によく足を運んでいたんだ。遺跡調査中の落盤事故で死んじゃったって話だけどさ。いずれ両親みたいになりたくて、神話とかの本をよく読んでたんだよね」
「そうなのか。それはまた……」
両親を早くに失い、そして小学生のうちにこの世界に転移か……。ずいぶん波乱に満ちた人生を送って来たんだな。
「ああ、大丈夫。両親の友人に面倒を見てもらったしね。それに……もしかしたら僕の両親も、こっちの世界に“来て”いるかもしれないしね」
「なるほど……」
転生とかしてこっちに来ることもありうるのか。それとも……落盤で潰される直前に、俺の様に転移して来たか。
『……あたし置いてきぼりで、何話してるのよ』
と、横からアスリ。
ダニエルは途中から日本語で話していたので、彼女には分からなかったか。
俺にだけ聞かせたかったのだろうがな。
『ああ、ゴメンゴメン。じゃ、邪魔者は退散するよ。ごゆっくり〜』
ダニエルはニヤリと笑って去っていった。
『もう……』
彼女はダニエルが出ていった扉を閉める。
「あっちの話を少しね」
『……そう。あたしも聞きたいな、向こうの話』
「いずれ、ね。それよりも……あのマスクはどうしてああなったんだ? それに、天井の絵は何だい?」
『魔導石の作用でとしか言いようが無いわね。あなたの“力”とあのマスクが共鳴したのかも。あのマスク、あなたの顔に張り付いたみたいになって、外すのに少し苦労したみたいよ』
ふむ。そういえば少し顔がヒリヒリするな。触ってみたところ異常はなさそうだが……。
もしかしたらマスクが顔に癒着し、一体化してしまう可能性もあったのだろうか?
……まぁいいか。無事脱げた訳だしな。
『あの天井の絵は、戦神ル・アー様よ。十二神の一人。ジャガーはその眷属であると言われているの』
「なるほど……。そういえば、闘技場にもジャガーの彫像があったな」
『ええ。そういう場所にはル・アー様が祀られえているからね』
「そうなのか……」
戦いの前に軍神に参るのは、古来から行われたことだ。この地でも、そういう風習はあるわけか。
『あ、そうそう。ここは本来、出陣前の儀式などを行う部屋。ル・アー様の御前よ』
「げっ、そんな場所かよ。マズいんじゃないか?」
『姫巫女様の指示だからね。大丈夫よ』
「なるほど。特別扱いか。傷が癒ったら、働いて返さにゃならんな」
恩知らずにはなりたくないしな。
『あ、それね。もういいから』
「……へ?」
『あんたはもうここの奴隷じゃないからさ』
「ど、どういう事だ?」
アイツ一人倒したぐらいで解放されるのか?
それとも……お払い箱とか? 無謀な戦いをしてしまったし。
『あんたの身柄、あたしが買い取ったから』
「か、買い取ったぁ⁉︎」
何を言い出すのかこの女。
『そ。あたし、こう見えてもいいところのお嬢様だから、それぐらいのお金、なんとかなるわよ』
「そ……そうなのか」
普段の言動からしてそうは思えんのだがな。まぁ、『こう見えても』とか言ってるところからして自覚はしてるんだろうけど。
『むぅ……疑ってわわね』
うぐっ……
「い、いや……そういう訳では。こういう神殿にはそれなりの身分の人間が勤めていてもおかしくはないからな。何処のお嬢様なのかな、と思ってね」
確か昔、伊勢神宮にはやんごとなきところのお姫様が巫女を務めていたりした訳だし、当然その世話役なんかには、それ相応の身分の女性がついていただろうしな。
『やっぱり疑ってる。……まぁいいわ。あたしはカデス領主シェカールの娘よ』
「カデス領主? ああ、あのオッサンの……」
おっと……しまった。オッサン呼ばわりはマズいか。領主様だしな。
『そう、そのオッサンよ』
……ん?
『……って、誰がオッサンよ! 失礼な! ……まぁ、確かに今はオッサンだけど』
オイオイ。
彼女も少しばかり悲しそうだ。
にしても、あの熊みたいなのが父親か……
この子は割と華奢だし、繊細な顔立ちだ。とてもあのオッサンが父親とは思えんのだがな〜。
あくまでも外面に関しては、だが。そう、外面だけは……。
「オッサン呼ばわりは済まなかった。ところで、なぜ俺を?」
『今、何か失礼なコト考えてなかった? ……まぁいいか。そりゃもちろんその筋肉よ。逞しい男の筋肉の躍動を見るのは、何よりの癒しだもの』
「……いいところのお嬢様はそんな事言わない」
「そ、そうなの? 貴方の世界だと……」
多分……。
いいところのお嬢様との縁なんぞ今までほとんど無かったから、その実態なんて正直よくわからんが。
それよりも、だ。
ベッドから降り、彼女の前に跪くとその手を取る。
「こんな格好で失礼」
『ななな何よ⁉︎』
確かこうするんだっけか?
「我が主人よ。あなたに忠誠を誓います」
俺は彼女の手の甲にそっとキスをした。




