第7話:街への道行と、微かに香る誘惑
ピンク色の地獄絵図がようやく収束へと向かう中、マリナは使い慣れた様子で『アイテムボックス』のスキルを起動した。
横転して車輪がひしゃげてしまった荷馬車や、平原に散らばっていた売り物の入った木箱が、空間の歪みに吸い込まれるようにして次々と姿を消していく。
「よし、荷物はこれで全部格納できたよ。……カイ、命を救ってくれたお礼と言っちゃなんだけど、僕の予備の馬に乗っていきなよ。どうせこれから街に戻るんだし、あんたみたいなボロボロの怪我人をここに置いていったら寝覚めが悪いからね」
「ありがとう、マリナ。本当に助かるよ。歩くのもやっとだったんだ」
カイは素直に感謝を口にし、馬車の牽引用に繋がれていた馬の背を見上げた。
そんな二人の後ろで、エルザは未だに耳の先まで顔を赤く染め、太ももをそわそわと擦り合わせながら、落ち着かない様子で佇んでいた。
エルザは意を決したようにドカドカとカイに歩み寄ると、ぐいと距離を詰めて下から睨みつけてきた。
「おい、カイ……」
その低い声とともに、カイの脳内にある常時発動型のパッシブスキル――『深層愛聴』が、彼女の剥き出しの思考を鮮明に受信した。
(最悪だ、本当に最悪……。アタイとしたことが、あんな声を出すだけじゃなくてあんなドロドロの液体まで溢れさせちまって……! こんなの絶対に他人に知られるわけにはいかねえ……!)
「アタイから一つ、厳重に警告しておく。さっきここで起きたことは……絶対に、誰の耳にも入れるなよ。もしギルドの連中や他の冒険者に一言でも漏らしてみろ。アタイの『龍牙の大剣』でお前の頭を真っ二つにしてやるからな!」
「わ、分かった、分かったから大剣に手をかけるのはやめてくれ。誰にも言わないって約束するよ」
「ふん、だったらよし!」
言うが早いか、エルザは自分の懐からずっしりと重みのある革袋を取り出し、カイのポケットに無理やりねじ込んできた。チャリン、と硬質な金属の音が響く。
「え、これ……何?」
「口止め料だ! 中には当面の宿代と、ギルドの登録に必要な金が入ってる。いいか、これを受け取ったからには絶対に秘密だぞ!」
「あ、ああ、ありがとう……。絶対に秘密にするよ」
顔を真っ赤にしてフンスと鼻息を荒くするエルザに、カイは苦笑しながら手を上げて応えた。
こうして、カイはマリナの用意してくれた馬に跨り、二人と共に冒険者の集う街へと向かうことになった。
しばらく馬を走らせると、平原の向こうに巨大な石造りの防壁が見えてきた。この地域の中心地である、冒険者ギルドの本拠地を擁する街だ。
正門へと到着すると、重厚な鉄の甲冑に身を包んだ二人の門番が、鋭い視線でこちらを遮った。
「止まれ。ここは許可なき者の入場は禁じられている。通行証か身分証明書を提示しろ」
「あ、俺、そういうのは何も持ってなくて……」
カイが困惑して頭を掻いたその瞬間、マリナが馬の上からすかさず自身の通行証をパッと突き出した。
「彼は僕の連れだよ。商人教会ガルドの個人通行証だ。僕の臨時の護衛として雇ったんだけど、文句ある?」
商人の証明書をだす。
しかし、門番はまだ納得がいかない様子で眉をひそめる。
「いや、いくらガルド商会の商人とはいえ、身元の分からない者を護衛として入れるわけには――」
「おいおい、アタイの顔を忘れたわけじゃねえよな?」
そこへ、背後から馬を寄せたエルザが、愛用の大剣の柄をわざとらしくガツンと鳴らして割り込んできた。 紫のポニーテールを揺らし、歴戦のBランクとしての凄まじい威圧感を門番たちへ向けて放つ。
「そいつはアタイの知り合いの新人だ。身元はアタイが保証してやる。それでも不満があるってんなら、アタイが直々にギルドの監査官を呼んできてやろうか、あぁん?」
龍牙のエルザの凄まじい殺気と威圧を正面から浴びた門番たちは、一気に顔を青ざめさせて冷や汗を流した。
「り、龍牙のエルザ殿……! 失礼いたしました! どうぞ、お通りください!」
「ふん、物分かりが良くて助かるよ。行こう、カイ、マリナ」
「助かったよ、二人とも。街に入ることすらできないかと思った」
カイは二人の頼もしい背中に向けてホッとした声をかけ、街の巨大な正門を潜り抜けた。
「ふん、物分かりが良くて助かるよ。行こう、カイ、マリナ」
「助かったよ、二人とも。街に入ることすらできないかと思った」
カイは二人の背中に向けてホッとした声をかけ、街の巨大な正門を潜り抜けた。
街の中は、活気溢れるファンタジーそのものの世界だった。
石畳の道を多くの人々が行き交い、武器屋や露店からは威勢のいい声が響いている。
案内された場所は、街の中心部にそびえ立つ、一際大きな建物だった。
剣と盾が交差した紋章が掲げられたその場所こそが、目的の『冒険者ギルド』だった。
扉を押し開けて中に入ると、そこは熱気と、酒と、むさ苦しい男たちの汗の匂いが混ざり合う、荒くれ者たちの溜まり場だった。
大広間には数多くのテーブルが並び、依頼をこなしてランクを上げようとしている冒険者たちが、大声で笑いながら酒を酌み交わしている。
「すごい熱気だな……。みんなかなり殺気立ってる気がするんだけど」
「まあ、命がけの仕事をしてる奴らの集まりだからね。ほら、あそこの受付カウンターに行きなよ」
マリナに促され、カイがギルドの最奥にある受付カウンターへ歩いていく。
すると、カウンターに両肘をついて退屈そうにしていた女性――リーナは、カイの姿を見た瞬間、その美しい瞳を大きく見開いた。
(うわぁ……何、あの子。めちゃくちゃ私の好みなんだけど……!)
カイの脳内に、リーナの弾んだ『深層愛聴』の声が飛び込んできた。
リーナは茶髪のミディアムヘアーを軽やかに揺らし、すぐさま、周囲の冒険者には絶対に見せないような、とびきり優しく甘い笑顔をカイに向けてきた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか、お兄さん?」
「あ、あの、新しく冒険者の登録をしたいんですけど、ここで大丈夫ですか?」
「はい! もちろんですよ。私は受付のリーナといいます。ふふ、新しい仲間が増えるのは大歓迎です。こちらに必要事項を記入してくださいね」
リーナは身を乗り出し、カイの顔を覗き込むようにして用紙を差し出してきた。
カイが登録のためにカウンターへと一歩近づく。
その瞬間、カイの体から漂う、近寄らないと分からないレベルの微かな匂いが、リーナの鼻腔をくすぐった。性欲と感度のスキルの副作用による、本能を激しく揺さぶる特殊なフェロモン。
それを吸い込んだリーナの脳が、ビクンと強烈に反応した。
(――ッ!? な、何これ……!? この男の子、すっごくいい匂いがする……。胸の奥が急に熱くなって、なんだか頭がクラクラしてきた……。あぁ、もっと近くでこの匂いを嗅ぎたい……!)
リーナの『深層愛聴』は、一瞬で熱が上がってしまった彼女の本音をこれでもかと暴露していた。彼女は潤んだ瞳でカイを凝視し、さらにぐいと身を乗り出してくる。豊かなCカップの胸元がカウンターに押し付けられていた。
「あの……リーナさん? 顔がずいぶん近いですけど……」
「えっ? あ、ご、ごめんなさい! つい、ね。……それよりお兄さん、本当に素敵な顔立ちをしてるのね。良かったら、この後私と少しお話しない?」
リーナのあからさまな特別扱いは、大広間にいた荒くれ者たちに一瞬で伝播した。
「おい、見ろよ……リーナちゃんが、新入りのガキにあんな顔してるぞ……」
「なんだあいつ、無駄に顔が良いからって調子に乗りやがって……」
「リーナちゃんが男にあんなに身を乗り出すなんて見たことねえぞ! ふざけんな!」
ギルド内のむさ苦しい冒険者たちから、ドス黒い嫉妬と怨嗟の視線が一斉にカイへと突き刺さる。その剥き出しの敵意が、『深層愛聴』を通じてカイの頭にガンガン響いてきた。
「(うわ、周りの嫉妬の声が全部聞こえてくる……。これなんてエロゲのトラブルイベントだよ……)」
カイは心の中で深くため息をつきながら、用紙にペンを走らせるのだった。




