第十話 悪い魔女
彼から来れば
魔女になれた
食堂の机には、ご馳走が並んでいた
鶏のから揚げ、カルボナーラ、シーザーサラダ
デザートには、べっこう飴まで置いてある
クロが目を丸くして声を上げた
「ええ!? なにこれ、すごいじゃん……これがナルを餌付けした料理かぁ」
ナルが肘でクロの腹を小突く
「ありがとう、こんなに作ってくれて」
ナルがソラに声をかけると、ソラは少し照れくさそうに笑った
「ナルが好きなものばかりにしたんだ、おかえり」
「うん、ただいま」
四人は席に着き、そろって手を合わせた
ソラとミナは、さっきより少し自然な距離で座っている
そのことに、ナルはほんの少しだけ救われたような
あの頃に戻れたような気がした
「いただきま〜す」
明るいナルの声が食堂に響く
「んー! やっぱりソラ君の料理っておいしいね!」
ミナの声も続いた
「うん! すごく美味しいよ、ソラ」
ソラは少し安心したように笑った
いつもの食卓が、そこに戻ってきたからだ
楽しい食事の時間が流れていく
「このカルボナーラって美味しいね、なにこれ」
ただし、そこにはクロという異物が一人いた
「あなた凄いじゃん、さすがだよ」
いまいち距離感のつかめないクロに、ソラは少し戸惑いながら返した
「あ、ありがとう」
からあげを頬張りながら、クロが言う
「これじゃ、ナルが諦められないのも無理ないかもね〜」
ナルが横から小さく言う
「ちょっと、やめて」
「なんで? 直接聞いた方が早いかもよ」
次の瞬間、クロはミナへ指を向けた
白い光の箱がミナの周囲に現れる
箱の内側で、ミナが慌てて何かを叫んでいた
ソラが立ち上がる
「な、なにを!?」
「わたしも鬼じゃないからさ、配慮ってやつよ。危険はないから」
「あんた! やめなさい!」
ナルが怒ってクロに食ってかかる
だが、クロは今度はナルに指を向けた
光の鞭が現れ、ナルの体を縛りつける
「ちょっと! なんなのよ!」
ナルは身動きできないまま、クロを睨みつけた
クロはそれを無視し、ソラに向き直る
「あんたさ、ナルのこと本当はどう思ってるの?」
「ナルの気持ち知ってるくせに、目の前で奥さんとイチャイチャしてさ」
「ちょっと何日かいなかったら慌てた顔しちゃって、戻ってきたらはしゃいでご馳走まで作っちゃって」
「見てていらつくんだよね」
ソラは黙ってクロの言葉を受け止めていた
「ひょっとしてあんた…… 二人とも狙ってる? 一人じゃ足りないわけ?」
しばらく沈黙してから、ソラは言った
「そんなつもりはない」
「じゃ、どんなつもりなわけ?」
「ナルは家族だ。いなければ心配するし、帰ってくれば嬉しい。それの何がおかしいんだ」
「おかしいねぇ、おかしいよ」
クロはソラを値踏みするように見て笑う
「わたし、魔女だから分かるんだよね。なにかあるでしょ?」
クロはナルをちらりと見た
「ナルも本当は感じ取ってるよね?」
ナルは戸惑うように顔をそらした
「こんなんじゃ、そりゃ諦められないよ〜。あんた、本心を言いなよ」
「俺はミナを愛してる」
「それは嘘じゃないね。そうじゃなくてさ、ナルのことだよ。何があるのかな〜」
するとクロは、ナルのポケットから紫色の小瓶を素早く抜き取った
「あ! ちょっと!」
ナルが止めようとして失敗する
「君さ、ナルは家族だし、女はミナだけなんだよね?」
「ああ」
「だったら、これ飲めるよね? 正直者になれるお薬だよ」
ソラはクロと向き合ったまま、返事をしなかった
「どうしたのかな〜? 飲むの? 飲まないの?」
「家族を、傷つけたくない」
「ん? なによ急に。このままの方が傷つけるでしょ?」
「いいから飲みなよ。手伝ってあげようか?」
ソラはナルの方を見る
それから静かに聞いた
「ナルが、そうしてほしいの?」
ナルは目を伏せたまま答えた
「飲まないで……」
「俺に、何を聞きたいの?」
「言いたくない……」
その上から、クロが声を被せる
「ナルのこと、女として本当はどう思ってるの?」
「ちょっと!」
ナルが悲鳴みたいな声を上げた
ソラは答える
「俺はミナが好きだ。ナルは大切な家族だと思ってる」
「ほらまただ。 本当は違うよね? 本音は?」
ソラは深く息を吐いた
そして何かを言おうとして口を開いた、その瞬間
クロが小瓶の蓋を開け、ソラの口に流し込んだ
「ん!?」
ソラが驚いて目を見開く
「面倒だから、さっさと白状しなさいよ」
クロはソラの口を手で押さえる
ごくりと、ソラの喉が鳴った
「ちょっと! なんてことすんのよ!」
ナルを無視して、クロはソラに尋ねた
「ナルのことどう思ってますか〜? 女としてね。はりきってどうぞ!」
ソラは少し震え、それから顔を赤くして
酔ったような声で言った
「かわいい、好きだ、抱きしめたい」
「え……」
ナルが困惑した顔で固まる
クロはさらに言葉を投げた
「ナルと男女の関係になりたい? ナルと結婚したい?」
「ナルとそういう関係になりたい。ずっと一緒にいたい」
「一年間、ナルと一緒に暮らしてたでしょ? どう思ってたの?」
「ナルは俺を支えてくれた。彼女がいなかったら……俺だけだったら、出来なかったことばかりだ」
「ナルに感謝している。素晴らしい女性だ。俺なんかにはもったいないくらいに」
クロはゆっくりとナルを見た
「だってさ。良かったね」
ナルは呆然と目を見開いていた
鼓動がうるさい
このまま、何もしなければ
ソラは自分のものになる
胸の奥から、熱い何かが湧き上がってくる
すぐ目の前にある
もう手が届いている
自分が止めなきゃいけない
そうするべきだと、分かっていた
でも、ナルは動けなかった
クロはもうやることは終わったとばかりに、椅子に腰を下ろす
その時、テーブルの上で何かが倒れた
それは、自家製のシロップだった
最初はイナクがナルのために砂糖から作ってくれたもの
それをソラが引き継ぎ、今も食卓に並んでいる
ナルの瞳にそのシロップが映った瞬間
この家での暮らしが、津波みたいに押し寄せてきた
ナルの目から涙がこぼれる
ナルは血が出るほど強く唇を噛んだ
それから叫ぶようにソラへ言った
「ソラ君! だったらなんで、私に手を出さなかったの!?」
クロが驚く
「ちょっと、ナル! そんなことしたら」
ソラは、揺れる目のまま言った
「俺はミナが好きだ。裏切りたくない。待ってなきゃいけない」
「ミナだけじゃない。ナルもイナクも、家族を裏切りたくない。家族を守りたい。家族でいたい」
ナルの体を紫色の蛇が包み込む
拘束していた光は掻き消えた
目から涙をぽろぽろこぼしながら、ナルはソラに歩み寄る
「ごめんね、ソラ君。最後に一回だけ…聞かせて」
「私のこと……好き?」
「好きだ、ナル」
「ありがとう、ソラ君」
ナルは青い瓶の蓋を開け、ソラの口に流し込んだ
クロが慌てた声を上げる
「いいの? ナルのこと好きみたいだよ?」
「いいんだよ。ソラ君は最初からずっと、ミナが好きなんだから」
「わたしは……誘惑しただけ…」
「運命の二人に群がった……悪い魔女」
クロは困ったようにナルを見て言った
「ナル……?」
それからすぐ、ソラが目をぱちぱちさせた
「あれ? 俺、なにしてたんだっけ?」
ミナを囲っていた光の箱も消えた
「ちょっと、なんだったの? 今の」
「ごめんね、ミナ。クロがいたずらしちゃって」
「どうして、泣いてるの?」
「ちょっと、寂しくなっちゃってさ」
ナルは席に戻り、姿勢を正してから言った
「あのね、わたしリンに弟子入りしたの!」
「魔法をたくさん勉強して、わたしもソラ君みたいに……誰かの役に立てたらいいなって思ってる!」
ソラはすぐに言った
「俺はナルを応援するよ」
ミナも続く
「わたしも!」
ナルは小さく微笑んで言った
「それで、わたしはしばらくギルドを出るね。組合に住み込みになると思う」
ソラは少し寂しそうに言った
「そうなんだ……寂しいけど、ご飯食べに帰ってきてね」
ミナも少し涙目で言う
「いつでも大丈夫だから、帰ってきて」
「うん、ありがと!」
「ごめん、ご飯冷めちゃうね。早く食べようよ」
楽しく会話しながら食事を終え、二人は部屋に戻る
部屋に入ると、ナルは振り向かずにクロへ言った
「あんた……帰ったらおしおきするからね」
「ええ!? なんで!? 上手くいってたのに、ナルがやめたんじゃん」
「ソラ君に勝手に薬飲ませて、余計なことまで聞いて」
「だって、ナルは結局聞かなそうだし、薬も使わなそうだなって思ったんだもん」
「そうかもね」
そう言ってナルは自分の布団に入り、横になった
ナルが手を少し振ると、赤い砂のベッドが現れる
「あなたはそっちで寝てね。わたし、もう寝るから」
「そう? おやすみ」
クロは明かりを落とし、自分も横になった
静かになった部屋の中で、ナルは息を殺して小さく泣いていた
とっくに終わった恋
分かっていたことだ
ソラの近くにいれば、ナルはいつまでもそれに縛られる
だから離れるしかなかった
大好きな家族から
すると、ふいにナルの頭が優しく撫でられる
ナルが眠るまで、それはずっと続けられた




