第五話 ただいま
狭い。
「狭い」
「知ってる!」
「いや、想像以上に狭い」
「誰のせいだと思ってんだ!」
馬車はすでに走り出していた。
二頭立ての幌馬車。
本来なら、大人が六人乗っても余裕がある。
今はない。
俺。
エレナ。
セリア。
アレン。
それに御者が一人。
人数だけなら問題ない。
問題は。
「……やっぱこれデカすぎない?」
「うるさい!」
荷台の半分以上を占領している巨大な機械だった。
さっき北西門一帯を覆っていた魔力防壁を消したもの。
大型の魔石を中心に、何重にも巻かれた導線と金属板。見たことのない部品が隙間なく組み込まれ、それら全部が一つの巨大な塊になっている。
アレン。
三年前より髪が伸びていた。
顔つきは、相変わらずだな。
こんな馬鹿みたいなものを三年かけて作るところは、何も変わっていない。
「レオン、もっとそっち!」
「無理だよ」
「押して!」
「何を?」
「あんた!」
「どうやって押すんだよ」
身体をずらす。
隣にいたエレナも、小さく身を縮めた。
「……すみません」
「何が?」
「私がいなければ、もう少し広かったですよね?」
「そうだな」
「レオン!」
セリアが怒鳴る。
「そこは普通、そんなことないって言うところでしょ!」
「でも実際狭いし」
「降りますよ?」
「冗談」
「顔が本気でした」
「エレナだっけ?」
「はい」
「これ飲んで、これ食べな」
「ありがとうございます」
馬車が大きく揺れた。
肩が機械へぶつかる。
間近で見る。
……いや。
待て。
「アレン」
「何だ」
「これ」
「触るな」
「まだ触ってない」
「お前がその声出した時は触る」
「どんな声だよ」
「魔法見つけた時の声」
分かってるじゃん。
機械へ顔を近づける。
中央の大型魔石から何十本もの導線が伸びているが、普通の魔道具とは明らかに違う。
術式へ直接魔力を流しているわけじゃない。
複数の回路を経由して、流し、止め、また流している。
「……ヤバくない?」
「だろ?」
アレンが笑った。
「どうやって防壁消した?」
「そこ聞く?」
「聞く」
「長いぞ」
「いいよ」
「よくないわよ!」
セリアが割って入った。
「今、帝国から逃げてる途中なんだけど!?」
「馬車は走ってるだろ」
「そういう問題じゃない!」
無視して機械を見る。
「防壁そのものには干渉してないよな。外から魔力をぶつけても弾かれる」
「正解」
「じゃあ供給側?」
アレンが嬉しそうに機械を叩いた。
「三年前、お前が持ってきた北西門の資料。あれに魔力供給の周期が載ってた」
「ああ」
「防壁そのものは壊せない。だから、こいつで魔力供給の周期を狂わせた。防壁への供給を一瞬だけ止めたんだ」
「……それで消えたのか」
「数秒だけな」
もう一度、機械を見る。
三年前に俺が持ち帰った情報なんて、ほんの僅かだった。
それを。
三年かけて。
「さすがだな」
「だろ?」
「デカいけど」
「そこはいらない」
「でも、すげーよ」
「だろ!?」
一気に嬉しそうになる。
「この回路も全部?」
「全部俺だ」
「ここは?」
「触るな」
「見るだけ」
「お前の見るだけは信用してない」
金属板の隙間。
妙な形の小さな部品が見えた。
「これ何?」
「だから触るなって」
「いや、これどうやって魔力――」
指先で触れた。
バキ。
「…………」
「…………」
手を見る。
小さな金属部品が乗っていた。
「あ」
アレンを見る。
「取れたよ」
「取ったんだよ!!」
「軽く触っただけ」
「だからお前には触らせたくないんだ!」
「直す?」
「俺がな!」
「ならよかった」
「よくねえ!!」
アレンが部品を奪い取る。
「昔からそうだ! 勝手に触る、勝手に開ける、勝手に壊す! だからお前らには機械を触らせたくないんだよ!」
「は?」
セリアの声が低くなった。
アレンの動きが止まる。
「……何?」
「今、お前らって言った?」
「言ってない」
「言ったわよ」
「俺も聞いた」
「お前は黙れ!」
「私、関係ないじゃん!」
「前に俺の魔力測定器壊しただろ!」
「あれは測っただけよ!」
「測定器が爆発する測り方があるか!」
「私の魔力に耐えられない方が悪いのよ!」
「お前みたいなのを基準にしたら何も作れねえんだよ!」
セリアの眉が動いた。
「……そのガラクタ、消し炭にするわよ?」
「ガラクタって言うな!!」
「一瞬よ?」
「三年だぞ!!」
「一秒で灰にできるわ」
「時間の話してねえ!」
その横で。
エレナが小さく笑った。
アレンが初めて、まともに彼女を見る。
「……あ」
突然、声の調子が変わった。
「失礼。ちゃんと挨拶してなかった」
狭い荷台の中で、できる範囲だけ姿勢を正す。
「アレンです。こいつらと違って、俺は基本的にまともなので」
「エレナ・アルフォードです」
「エレナさん。狭くて申し訳ない。これ上着着てください」
「ありがとうございます」
セリアが呆れた顔をした。
「相変わらずね」
「何が?」
「女相手だと急にまともになるところ」
「女性には紳士的に。それが俺の信条だ」
「さっきまで機械に怒鳴ってたやつが?」
アレンが言う。
「機械と女性は別だろ」
「何言っちゃってんだか」
「そういうものなんですか?」
「いや、こいつただの女好きだから気をつけろ」
「レオン!」
「違うの?」
「否定はしない!」
「しろよ!」
セリアが頭を抱えた。
エレナはまた笑っている。
「……楽しそうですね」
「これが?」
「はい」
「三年ぶりなんですよね?」
「まあ」
「もっと感動的な再会になるものかと」
アレンが即答した。
「こいつ相手に?」
セリアも続く。
「無理ね」
「酷くない?」
「三年ぶりに会って早々、人の機械壊す奴が言うな!」
「取れただけだろ」
「同じだ!!」
その時。
馬車の外から、馬の蹄が聞こえた。
全員が黙る。
アレンが幌の隙間を開けた。
後方。
月明かりの下を、十騎以上の騎兵が追ってきている。
「来たぞ」
空気が変わった。
「早いわね」
セリアが後ろを見る。
当然だ。
帝国最高機密を盗まれた。
処刑予定だったエレナも奪われた。
北西門の外壁まで破壊された。
このまま見送ってくれるはずがない。
「アレン」
「分かってる」
床板を開ける。
中には筒が大量に詰め込まれていた。
「何それ」
「煙幕」
「多くない?」
「念のためだ」
一つ。
二つ。
三つ。
次々と後方へ投げる。
筒が弾け、濃い白煙が一気に街道を覆った。
追ってきた騎兵たちの姿が消える。
「前が見えない!」
「速度を落とせ!」
後方から怒号が飛ぶ。
それでもアレンは投げ続ける。
「いや、多いだろ」
「追われたくないだろ!」
「限度あるだろ!」
「余らせても邪魔なんだよ!」
エレナが床下を見る。
それから巨大な機械を見る。
「……持って帰る場所がないんですね?」
アレンが黙った。
「機械が予定より大きくなった」
「お前のせいじゃん」
「性能を追求した結果だ!」
最後の一本を投げる。
後方は完全に白煙で見えなくなった。
これなら。
しばらくは――
セリアが立ち上がった。
アレンの顔色が変わる。
「セリア」
「何?」
「座れ」
「嫌」
「何考えてる?」
「愚問ね」
幌を開ける。
夜風が吹き込んだ。
セリアの髪が揺れる。
その周囲へ赤い魔法陣が浮かび、さらに外側を風が回り始めた。
エレナが目を見開く。
「……すごい魔力」
「感心してる場合じゃない」
アレンが機械へしがみついた。
「セリア! ここ馬車!」
「知ってる」
「木製!」
「見れば分かる」
「俺の機械もある!」
「それはどうでもいい」
「ダメだ!!」
セリアが笑った。
「三年分」
「何が?」
「帝国に返す分」
「さっき壁壊しただろ」
「あれは迎え」
「十分だろ」
「これは見送り」
「立場逆だろ!」
魔法陣が輝いた。
エレナの肩を掴む。
「伏せろ」
「またですか!?」
「こいつがいると増える」
「レオン!」
セリアが両手を突き出した。
炎が走った。
風を巻き込み、一気に膨れ上がる。
ただし。
向かった先は騎兵ではない。
煙幕の向こう。
追手と俺たちの間。
炎は街道を横断するように立ち上がり、巨大な壁となって道を塞いだ。
馬の嘶きが聞こえる。
騎兵たちは炎の遥か手前で速度を落とした。
誰も越えてこない。
いや。
越えられない。
炎は左右へ広がったものの、森へは入らなかった。
木々の手前で風向きが変わり、火だけが不自然なほど綺麗に折れ曲がっている。
火と。
風。
馬鹿みたいな魔力量を。
きっちり制御している。
「……相変わらずだな」
セリアが振り返る。
「何よ」
「派手」
「褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「うるさい」
「燃やすわよ?」
「馬車ごと?」
「あんただけ」
「器用だな」
セリアが座った。
後ろを見る。
白煙。
その向こうに炎。
もう騎兵の姿は見えない。
蹄の音も。
怒号も。
少しずつ遠ざかっていった。
やがて。
何も聞こえなくなった。
車輪が地面を叩く音と、馬の蹄。
夜風。
それだけ。
ようやく。
終わった。
背中を幌へ預ける。
「……疲れた」
「珍しいわね」
セリアが言った。
「何が」
「あんたが疲れたって言うの」
「三年分」
「真似しないで」
アレンはさっき外れた部品を直している。
「レオン」
「何」
「帰ったら絶対これ触るなよ」
「分かった」
「分解もするな」
「……分かった」
「今、間があった!」
「しないって」
三年前と。
変わらない。
こうして話していると、昨日も同じ馬車に乗っていたような気がする。
セリアも。
アレンも。
俺がいなかった三年間に、当然色々あったはずなのに。
「レオン」
セリアが呼んだ。
「何」
「本当に帰ってきたのね」
さっきまで怒鳴っていた顔から、笑いが消えていた。
三年間。
一度も連絡を取らなかった。
俺が生きていることすら、こいつらは知らなかった。
「ああ」
「遅い」
「零時ぴったりだっただろ」
「そういう意味じゃない」
分かってる。
「……ただいま」
セリアが少し笑った。
「遅いって言ってるでしょ」
それだけだった。
アレンが機械から顔を上げる。
「二年で戻るって言ってた奴がな」
「最初はな」
「俺とセリアが三年にしろって言わなかったら、どうなってた?」
馬車の外を見る。
遠ざかっていく帝国。
もう。
北西門も。
研究所も。
見えない。
「……三年で正解だったな」
「だろ?」
「二年にしてたら、何も持ち帰れなかった」
黒い鍵を見つけたのも。
地下四階へ辿り着いたのも。
警備の癖を完全に掴んだのも。
全部。
二年を過ぎてからだった。
三年。
長かった。
それでも。
ぎりぎりだった。
「ほら見ろ」
アレンが得意げに胸を張る。
「俺に感謝しろ」
「セリアも言ったんだろ?」
「俺に多めに感謝しろ」
「嫌」
「何でだよ」
エレナが俺を見る。
「三年間」
「ん?」
「ずっと、あの研究所にいたんですよね?」
「ああ」
「一人で?」
少し考える。
セリアを見る。
アレンを見る。
三年間。
一度も会わなかった。
声も聞かなかった。
連絡もしなかった。
それでも。
今日。
午前零時。
二人は来た。
「まあ」
背中を預ける。
「そうでもない」
エレナは何か訊こうとした。
けれど。
何も言わなかった。
やがて、街道脇の国境標が後ろへ消えた。
帝国領を出た。
馬車は走り続けた。
街道を外れ。
森へ入り。
さらに奥へ進む。
やがて、速度が落ちた。
「着いたわよ」
セリアが先に降りる。
アレンも続いた。
エレナへ手を差し出した。
「歩ける?」
「誰かさんに散々走らされたので」
「歩けるんだな」
「……手は借ります」
その手を取って地面へ降ろす。
顔を上げた。
木々の向こう。
古い石造りの建物がある。
外から見れば、使われなくなった猟師小屋にしか見えない。
でも。
知っている。
三年前。
ここから出た。
歩く。
近づくほど、変わっていないものが増えていった。
石壁。
小さな窓。
屋根。
扉。
取っ手の横についた傷まで、そのままだった。
扉の前で。
足が止まる。
「レオン?」
エレナが見る。
「どうしました?」
「いや」
扉を開けた。
暖かい光が漏れる。
中に。
一人の男がいた。
椅子に座っている。
大きな身体。
白いものが少し増えた髪。
それ以外は。
何も変わっていない。
男が顔を上げた。
目が合う。
三年ぶりだった。
本当なら。
報告することはいくらでもある。
任務は完了した。
証拠は持ち帰った。
予定になかった人間まで連れてきた。
帝国で何があったのか。
三年間、何を見たのか。
話すことはいくらでもある。
なのに。
口から出たのは。
一つだけだった。
「ただいま」
ガロンが笑った。
「ああ」
立ち上がる。
俺の前まで来る。
大きな手が頭へ乗った。
「おかえり」
三年ぶりに。
レオンとして。
帰ってきた。




