第十三話 迎えに行く
馬を走らせながら、何度か後ろを確認した。
ダグたちの姿はもう見えない。
聞こえるのは、時折響く地鳴りだけだ。
東から戻ってきた帝国軍を止めるため、ダグとフェルの二人を残した。俺たちは負傷者を馬に乗せ、北東の〈GRAY〉跡地から西へ向かっている。
グレンは左肩、ノアは右足を負傷している。ミラは魔力をほとんど使い切った上に左腕を火傷し、ユアンも脇腹を斬られていた。
全員生きている。
それでも、戦える人間は確実に減っていた。
アルネの住民は、もう西門を出ている。
ロイズたち五人に任せて先に逃がした。だが、国境まではまだ距離がある。
東門を突破されれば、帝国軍はアルネを抜けて西へ追ってくる。
だからダグが残った。
そしてフェルも残った。
二人なら、かなりの時間を稼げる。
分かっている。
俺が残るより、ダグの土魔法で道そのものを塞いだ方がいい。
フェルの風があれば、崩した土や瓦礫も使える。突破してきた兵を押し戻すこともできる。
理屈では正しい。
それでも、通信機が気になった。
まだ呼ぶな。
二人の集中を切る必要はない。
何かあれば向こうから連絡が来る。
そう思って前を向いた時だった。
「レオン」
セリアが少し先を見ている。
街路の向こうから、一人の男が歩いてきた。
服のあちこちが裂け、土と血で汚れている。右手には剣を持っていた。
「……ガロン?」
見間違えるはずがない。
思わず馬を止めた。
いるはずがない。
俺たちが北東へ向かったあとも、ガロンは西側でウォルターを止めていた。
倒す必要はない。
あの男を北東へ行かせない。
それだけ頼んだ。
だから、ガロンがここにいる理由が分からなかった。
ガロンも俺たちに気づいて足を止めた。
「終わったか」
「ああ。重魔導兵器は全部止めた。〈GRAY〉も壊した」
「そうか」
いつも通りだった。
そんなことより。
「ウォルターは?」
「見りゃ分かるだろ。終わった」
「え?」
「斬った」
意味が分からなかった。
「……斬った?」
「ああ」
「ウォルターを?」
「首を落とした」
セリアまで馬の上で固まった。
「……は?」
「だから斬ったって言ってんだろ」
あの男を。
俺が〈雷装〉で先に仕掛けても、まともに触れることすらできなかった。
そのウォルターを、ガロンは一人で足止めした。
それだけでも十分だった。
なのに。
「殺したの?」
「首落として生きてたら、俺も驚く」
「……マジか」
「何だよ」
「いや……」
本当に想定していなかった。
ガロンなら止められるとは思った。
だから任せた。
でも、勝つとは思っていなかった。
「そっちは随分やられたな」
ガロンが馬に乗せられたグレンたちを見る。
「ああ。でも全員いる」
「ならいい」
ガロンが俺たちの後ろへ視線を向けた。
「他は?」
「あの後、東にいた六人が北東まで来てくれた。途中からユアンとニールも来た」
「そうだったのか」
「ただ帰る途中で、東から戻ってくる帝国軍が見えた。ダグが残って道を塞いでる。フェルも一緒に残った」
「二人で?」
「ああ」
ガロンは東を見た。
遠くで、また地面が鳴った。
少し遅れて爆発音も届く。
「そうか」
それだけだった。
俺も東を見る。
二人で帝国軍を止めている。
さっきまでは、それ以外に方法がなかった。
住民を守る人間が必要だった。
負傷者もいる。
戦える人間も減った。
俺たちが二人を助けに戻れば、その分だけ住民を守る戦力が減る。
だから置いてきた。
でも。
ガロンがいる。
ウォルターはもういない。
予定になかった戦力が、一人戻ってきた。
それも、俺より正面戦闘が強い人間が。
これなら。
二人を助けられるかもしれない。
「レオン?」
セリアが俺を見る。
「何でもない。先に住民と合流する」
まだ決めるのは早い。
西側の状況を確認する。
住民を守れる。
俺が抜けても大丈夫だと判断できたら。
その時は。
西門を抜けると、長い人の列が見えた。
子供を抱いた女。荷物を背負った男。杖をついて歩く老人。怪我人を乗せた荷車を、何人かで押している者もいる。
アルネの住民たちだ。
全員、町の外には出ている。
それでも国境はまだ見えない。
ここからさらに西へ進まなければならない。
「レオン!」
最後尾付近にいたロイズがこちらへ走ってきた。
ハンス、テオ、レナ、オーウェンもいる。
「北東は!?」
「終わった。重魔導兵器は全部止めた。〈GRAY〉も壊した」
ロイズが目を見開いた。
「本当か?」
「ああ。もう午前五時になっても動かない」
「……そうか」
大きく息を吐く。
「よかった」
「怪我人がいる。レナ!」
「見せて!」
レナが走ってくる。
グレンたちを馬から下ろし、街道脇へ移す。
エレナもすぐに加わった。
魔力はほとんど戻っていない。それでも傷の状態を見ることはできるし、僅かに戻った分で出血を抑える程度ならできる。
「グレンさんは左肩。ノアさんは右足。ユアンさんは脇腹。ミラさんは左腕を火傷しています」
「分かりました」
エレナが頷いた。
「レオンさんは?」
「俺は大丈夫」
「大丈夫ではありません」
「動ける」
「そういう意味ではありません」
返す言葉がなかった。
「後で見てもらう」
「必ずです」
「ああ」
住民の列へ視線を戻す。
止まってはいない。
今も西へ進み続けている。
「ロイズ、こっちは?」
「今のところ大きな問題はない。全員町から出した。歩けない奴は荷車と馬に乗せてる」
「帝国兵は?」
「まだ見てない」
「テオ!」
「いる!」
「アルネを見てて。兵が出てきたらすぐ教えて」
「了解!」
テオが街道脇の高い場所へ移動する。
ガロンも住民の最後尾へ向かった。
それを見ながら、もう一度戦力を確認する。
ガロン。
ロイズたち五人。
アレン。
リック、ノア、グレン、ミラ、ニール、ユアン。
セリア。
負傷者はいる。
魔力を使い切った者も多い。
それでも、住民を守りながら西へ進むだけなら戦える。
俺がいなくても。
通信機へ手を伸ばしかけた。
「来るぞ!」
テオの声が響いた。
アルネを見る。
西門から帝国兵が出てくる。
二十人以上。
さらに後ろにもいる。
北東にいた兵士たちは、さっき全員倒した。
なら、こいつらは東から戻ってきた部隊の一部だ。
東門を塞がれた。
だから北へ回り、北門からアルネへ入った。
おそらく最初に向かったのは〈GRAY〉だ。
そこで見たはずだ。
壊された五基の重魔導兵器。
止まった〈GRAY〉。
倒れた兵士たち。
それを確認して、こっちへ来た。
「住民を止めるな! そのまま西へ!」
ガロンたちが最後尾へ回る。
土壁が街道を塞ぎ、その向こうで魔法が弾けた。
リックとユアンも加わり、抜けてきた兵を押し返していく。
全員が西へ来たわけじゃない。
西門から出てきたのは数十人。
残りは。
東を見る。
通信機を取った。
「ダグ!」
返事がない。
「ダグ、聞こえるか!」
雑音。
その向こうで地面が鳴った。
『聞こえてる!』
「状況は?」
『見りゃ分かる!』
「見えないから聞いてる!」
『じゃあ最悪!』
声は元気だ。
でも、息が荒い。
「東門は?」
『まだ塞いでる! 壊されてる! また塞いでる!』
「魔力は?」
『聞くな!』
まだ冗談を返せる。
そう思った瞬間だった。
『ダグ! 後ろ!』
フェルの声。
剣がぶつかる。
直後、風が弾けた。
「フェル!」
『今忙しい!』
「何が来た!」
『帝国兵! 北から!』
やっぱり。
北門から入った部隊が、〈GRAY〉の破壊を確認したあとに分かれた。
一部は俺たちを追って西へ。
残りは東門へ。
正面から門を破れないなら、内側からダグを潰せばいい。
「何人いる?」
『十人以上! まだ増えてる!』
「ダグ!」
『聞いてる!』
「振り返れる?」
『無理!』
即答だった。
『俺が東門から離れたら、あいつら入ってくる!』
前をダグ。
後ろをフェル。
二人だけで挟まれた。
「フェル、怪我は?」
『ちょっと!』
「どこ!」
『肩! でも動く!』
通信の向こうで爆発音が響いた。
『ダグ!』
『分かってる!』
地鳴り。
また東門を塞いだ。
『レオン!』
「何!」
『こっちはいい! 住民逃がせ!』
返事ができなかった。
住民を見る。
列は西へ進み続けている。
その最後尾では、ガロンが帝国兵を止めていた。
土壁が崩れる。
その向こうへガロンが踏み込み、剣を振る。
ロイズとリックが続く。
オーウェンが大盾で魔法を受け、ハンスが崩れた街道を土で塞ぎ直す。
守れている。
俺がいなくても。
「ダグ」
『何だ!』
「あと十分」
『……は?』
「十分だけ持たせて」
少し間があった。
『長えよ!』
「分かってる」
『こっちは前と後ろにいるんだぞ!』
「分かってる」
『分かってねえだろ!』
「分かってるから言ってる」
西を見る。
住民は進んでいる。
十分あれば、さらに距離を稼げる。
その後に東門を突破されても、すぐには追いつかれない。
何より、今はガロンがいる。
「十分後、東門を捨てていい」
通信の向こうが少し静かになった。
『……いいのか?』
「ああ」
『帝国軍、全部入ってくるぞ』
「入ってくるまでに、もう一回塞いで」
『簡単に言うな』
「できる?」
『誰に聞いてんだよ』
「ダグに」
『じゃあできる』
「最後に東門ごと潰して、南へ抜けて」
『南?』
「北は敵が入ってる。西にも追撃部隊がいる。南から回って西へ出る」
『俺たちだけで?』
「違う」
『あ?』
「迎えに行く」
通信の向こうが止まった。
『……お前が?』
「ああ」
『住民はどうすんだよ』
「任せる」
『誰に』
ガロンを見る。
帝国兵の魔法を土壁で受け、そのまま前へ出ている。
その後ろにはロイズたちがいる。
「仲間に」
ダグが黙った。
『……そっか』
「ああ」
『じゃあ十分な』
「死なないで」
『善処する』
「フェルも」
『聞こえてる!』
「死ぬなよ」
『そっちこそ早く来い!』
「行く」
通信を切った。
西側の帝国兵は、ガロンたちが押し返していた。
倒すために追わない。
住民との間に入り、近づいてきた兵だけを止める。
戦うために止まらない。
逃がすために戦う。
それでいい。
俺も最後尾へ加わり、何度か抜けてきた兵を止めた。
その間にも住民は西へ進む。
五分。
まだ東から地鳴りが聞こえる。
二人は持たせている。
「レオン」
ガロンが戻ってきた。
剣についた血を振る。
「行くんだろ」
「ああ」
「なら行け」
「でも、まだ追ってきてる」
「見りゃ分かる」
「怪我人もいる」
「それも見りゃ分かる」
「住民は国境まで――」
「レオン」
言葉を止めた。
ガロンが俺を見る。
「こっちは任せろ」
迷いはなかった。
さっきウォルターを殺したばかりの男が、もう次の役目を引き受けようとしている。
「全員、国境まで連れてく」
「……うん」
「だからお前も連れて帰ってこい」
東を見る。
地鳴りが響いた。
「分かった」
ガロンの肩を一度だけ叩き、馬へ向かう。
「ロイズ!」
「何だ!」
「住民を頼む!」
「分かった!」
「アレン!」
「俺も行くか!?」
「来るな!」
「早いな!」
「エレナと怪我人を頼む!」
「……分かったよ! そっちは任せろ!」
馬へ足をかける。
そのまま振り返った。
「セリア!」
「何!」
「お前も来い!」
「どこに!」
「ダグとフェルを迎えに行く!」
セリアが東を見た。
「分かった!」
返事は早かった。
近くにいたオーウェンへ住民の誘導を任せ、自分の馬へ走る。
「レオンさん!」
エレナの声がした。
振り返る。
負傷したグレンの肩を押さえながら、俺を見ている。
「必ず四人で戻ってきてください!」
俺とセリア。
ダグとフェル。
「ああ」
二人で馬を走らせた。
何百人もの人間が西へ向かっている。
その流れに逆らって、俺とセリアだけが東へ走った。
アルネへ戻る。
西門が近づくにつれ、戦闘の跡が増えていった。
倒れた帝国兵。
焼けた街道。
崩れた土壁。
町へ入ると、人の姿はほとんどなかった。
少し前まで二千人以上が暮らしていた場所とは思えない。
聞こえるのは、東から響く戦闘の音だけだ。
「あと五分!」
セリアが叫ぶ。
「分かってる!」
「間に合う!?」
「間に合わせる!」
「それ答えになってない!」
「俺もそう思う!」
大通りへ出たところで、帝国兵がいた。
北門から東へ向かっている途中らしい。
十人ほど。
向こうも俺たちに気づいた。
「止まらない!」
「了解!」
セリアが片手を前へ向ける。
風が街路を走った。
兵士たちが踏ん張る。
吹き飛ばすほどの魔力は残っていない。
それで十分だった。
体勢が崩れたところへ馬を走らせる。
剣が来る。
受け流す。
槍を避ける。
セリアがもう一度風を放ち、道を開ける。
二頭でその間を抜けた。
後ろから魔法が飛んでくる。
振り返らない。
今は一人倒す時間すら惜しい。
「ダグ!」
『おう!』
返事がある。
まだ生きている。
「あと少し!」
『こっちもあと少しだ!』
「フェルは!」
『生きてる!』
少し離れたところから声が入った。
『勝手に殺すな!』
「南へ抜ける準備して!」
『してる!』
「時間になったら東門を潰して、そのまま南!」
『了解!』
馬を走らせる。
東へ行くほど、音が大きくなる。
爆発。
地鳴り。
風。
剣がぶつかる音までは聞こえない。
それでも、二人が戦っていることだけは分かる。
もう時間がない。
『レオン!』
ダグの声。
『門、次で持たねえ!』
「時間!」
『待ってました!』
「東門を捨てろ!」
『了解!』
直後。
アルネ全体が揺れた。
馬が一瞬怯むほどの振動だった。
東の空へ大量の土煙が上がる。
ダグが残った魔力を全部使った。
東門だけじゃない。
周囲の道も、建物も、崩れた瓦礫も巻き込んで塞いだ。
あれなら帝国軍もすぐには抜けられない。
「ダグ!」
『走ってる!』
「南へ!」
『分かってる!』
『後ろ来てる!』
フェル。
「何人!」
『知らねえ!』
「戦わないで!」
『戦ってねえ! 逃げてる!』
「そのまま南!」
頭の中でアルネの道を組み立てる。
東門から南へ。
二本目の道。
広場。
そこから南西。
俺たちは南側から回る。
ぶつかる場所は。
「セリア、次右!」
「分かった!」
「その先を南!」
「分かったって!」
二頭の馬が路地へ入る。
ダグとフェルは走っていた。
ダグの足はもうまともに上がらない。
魔力は空だった。
フェルも肩から血を流し、呼吸を乱している。
それでも止まらない。
後ろから帝国兵が追ってくる。
「お前……もうちょい速く走れねえの?」
「魔力全部使った奴に言うな!」
「俺もねえよ!」
「風使いだろ!」
「風がねえんだよ!」
「ただのフェルじゃねえか!」
「元からフェルだよ!」
角を曲がる。
前に帝国兵がいた。
六人。
二人が止まる。
後ろからも足音が近づいてくる。
「……最悪」
フェルが剣を構えた。
「レオンの真似?」
「うるせえ」
ダグも隣に立つ。
土魔法はもう使えない。
剣を握る。
「死ぬなって言われたな」
「ああ」
「善処したよな?」
「まだ終わってねえよ」
「厳しいな」
「帰ってから文句言え」
前の帝国兵が動く。
後ろからも来る。
二人が背中を合わせた。
その時だった。
馬の蹄が聞こえた。
横の道。
近づいてくる。
「伏せろ!」
二人が同時に身体を落とした。
頭上を風が通り抜ける。
前にいた帝国兵がまとめて体勢を崩した。
その向こうから二頭の馬が飛び出してくる。
ダグが目を見開いた。
「……マジで来た」
「来るって言っただろ!」
馬を走らせたまま剣を抜く。
道を塞いでいた兵士の剣を弾き、その横を抜ける。
「遅え!」
「急いだ!」
「死ぬとこだったぞ!」
「生きてる!」
「結果論だろ!」
「ダグ、乗れ!」
「お前の後ろ!?」
「嫌なら走って!」
「乗る!」
ダグが馬の後ろへ飛び乗る。
横を見る。
フェルはもうセリアの後ろへ乗っていた。
「ちょっと! 腰掴まないで!」
「落ちる!」
「服!」
「破ける!」
「じゃあ落ちて!」
「死ぬだろ!」
「行くよ!」
セリアが馬を走らせる。
俺も続いた。
後ろから帝国兵が追ってくる。
相手にしない。
南へ抜け、次の道を西へ。
東門が完全に破られる前に、できるだけ距離を取る。
「ダグ」
「何だよ!」
「生きてる?」
「今さら確認すんな!」
「フェル!」
「生きてる!」
「よかった」
「ほんとに死ぬかと思ったわ!」
ダグの額が俺の背中へ当たる。
「寝るな」
「寝てねえ」
「重い」
「助けに来た奴が言うな」
横を見る。
セリアの後ろで、フェルもぐったりしている。
それでも二人ともいる。
まだ終わってはいない。
住民は国境へ向かっている。
東門の向こうには帝国軍がいる。
負傷者もいる。
ここから全員で逃げ切らなければならない。
それでも。
さっきは二人で戻った道を、今度は四人で走る。
誰も置いていかない。
今度こそ、全員で帰る。




