第十二話 俺の番だ
北東に残っていた最後の重魔導兵器が崩れ、その向こうでは〈GRAY〉の散布装置が炎を上げていた。
五基あった重魔導兵器はすべて沈黙し、中央の散布装置も上半分が跡形もなく吹き飛んでいる。地下へ戻した毒の容器だけは無事で、アレンが最後まで確認していた魔力反応も消えていた。
もう、動かない。
二千四百十三。
まだ、死者数ではない。
「レオン!」
セリアの声に振り返ると、崩れた重魔導兵器の向こうから黒い軽装鎧の兵士たちが走ってきていた。
数人ではない。散開していた兵士たちまで集まり始めているらしく、建物の陰や壊れた兵器の間から次々と姿を現す。
アルネの守備兵ではない。
ウォルター直属の兵士たちだ。
作戦を潰したからといって、こいつらまで消えてくれるわけじゃない。
「アレン、毒の容器は?」
「隔離できてる! でも、ここで戦うなら絶対に近づけさせるな! あれだけは壊されたら洒落にならねえ!」
「エレナを連れて下がれ。リック、中央には近づけさせるな」
「分かった!」
リックが剣を抜きながら前へ出る。その横へユアンが並び、ダグたちもすぐに位置を変えた。
俺も剣を構えたところで、腹の奥に鈍い痛みが走った。
さっき〈雷装〉を右腕だけに絞ったとはいえ、身体への負担がなくなったわけじゃない。それでも、ここで背中を向ければ追われる。その先にいるのは、まだ国境を越えていないアルネの住民たちだ。
「ここで終わらせる」
「簡単に言うわね」
隣へ来たセリアが息を整えながら右手を上げた。掌の上に火が集まったが、さっきまで重魔導兵器を吹き飛ばしていたものとは比べものにならないほど小さい。五基の兵器を相手に魔法を連発した上、最後には〈GRAY〉の散布装置まで破壊している。
「まだ撃てる?」
「誰に聞いてんのよ」
「さっきも聞いた」
「だったら答えも同じよ!」
セリアが腕を振ると、火球が帝国兵の足元へ着弾した。
爆発を避けた兵士たちは左右へ分かれたが、陣形は崩れなかった。前列が剣と盾で受け、その後ろから槍が伸びる。左右へ回ろうとすれば、さらに後ろの兵士がすぐに穴を埋める。
一人一人が強いだけじゃない。
互いの動きを分かっている。
俺は剣を構えたまま、数秒だけ見た。先頭が出れば後ろが続き、左右が広がったところで中央から槍が伸びる。同じ動きがもう一度繰り返された。
なら、壊す場所は一つでいい。
「リック、中央を三歩下げろ」
「何?」
「ユアンは左。フェル、俺が合図したら右から風を流せ」
フェルが帝国兵を見ながら位置を変える。
「何する気だ?」
「こいつら、強い」
先頭の盾兵が出た。
後ろの槍兵も動く。
「だから崩す」
もう一歩。
左右が開いた。
「今だ」
リックが三歩下がった。
押したと思った帝国兵が一斉に前へ出る。
そこへ右からフェルの風が叩きつけた。
先頭の盾兵の身体が僅かに左へ流れ、その背後から突き出された槍が味方の盾にぶつかった。ほんの一瞬、中央の足が止まる。
「ダグ!」
「おう!」
地面が隆起した。
前列と後列の間に土が盛り上がり、連携が切れる。
「行け!」
リックとグレンが飛び込んだ。
俺も走る。
正面から来た男の剣を身体を半歩ずらして避け、伸び切った腕の内側へ入ると、そのまま喉を斬った。
倒れる身体の横を抜けたところへ槍が来る。穂先を剣で外へ流し、柄を左手で押さえた。相手が引き戻すより先に距離を詰め、胸へ剣を突き込む。
抜いた瞬間、右から別の剣が来た。
受けたものの、傷の残る身体では力で押し返せない。帝国兵がさらに踏み込んできたところで、その脇腹から槍の穂先が飛び出した。
「いつまで押されてんだ!」
帝国兵が崩れ、その向こうにグレンがいた。
「助かった」
「貸し一つな!」
「覚えてたら返す」
「忘れるやつだな!」
グレンが槍を引き抜いた直後、その死角から別の兵士が迫った。
「グレン!」
声を上げた時には剣が振り下ろされていた。
グレンが身体を捻ったが避け切れず、刃が左肩へ食い込んで血が飛ぶ。それでも槍は離さず、相手が次の一撃を放つより先に片手で突き出して腹を貫いた。
「ノア! グレンを下げろ!」
「分かった!」
「まだやれる!」
「その肩で何する気!?」
「槍なら右手一本――」
「黙って下がって!」
ノアに怒鳴られながら、グレンが後ろへ引いていく。
空いた場所には、もうリックが入っていた。
誰かが傷を負えば別の誰かが前へ出る。魔力が尽きかければ後ろへ下がり、まだ動ける者が代わる。俺が指示を出せば、それを聞いた誰かが動き、その動きに合わせて別の誰かが次の穴を埋める。
三年間、俺は一人で動いてきた。
潜入中に失敗すれば、自分で処理するしかなかった。怪我をしても代わりはいない。何かを見落としても、それを教えてくれる人間はいない。
今は違う。
「レオン、右!」
声に反応して剣を上げ、振り下ろされた刃を受ける。横からユアンが斬り込み、帝国兵がそちらへ向いた瞬間に俺が踏み込んだ。
最初の連携を崩してから、戦況は変わった。
ウォルター直属の兵士たちは一人一人が強い。それでも陣形を分断し、二人、三人と切り離せば、こちらは数人で一人を相手にできる。
リックとユアンが前を支え、フェルが動きを乱す。ダグが地形を変え、セリアとミラが後方から魔法を撃つ。
俺はその間を見て、空いた場所へ人を送った。
それでも、無傷では終わらなかった。
ミラが魔力を使い切って膝をつき、ノアが右脚を斬られた。ユアンも脇腹へ深い傷を負い、それでも剣を杖代わりにして立ち続けた。
最後まで残った帝国兵がリックへ斬りかかったところへ、ダグの土魔法が足元から突き上がる。
浮いた身体の下へリックが踏み込み、剣を振り抜いた。
黒い鎧の男が地面へ倒れた。
誰もすぐには武器を下ろさなかった。
荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を見る。壊れた兵器。燃える散布装置。そして、地面に倒れた黒い鎧。
もう立ち上がる者はいない。
「……終わったか?」
ニールが聞いた。
もう一度確認する。
「ああ」
ようやく剣を下ろした。
終わった。
その言葉を聞いた途端、何人かがその場へ座り込んだ。
「もう無理……」
「寝るな、ニール」
「寝てねえよ。休んでるだけだ」
「目閉じてるぞ」
「目も休ませてんだよ……」
声が聞こえる。
誰かが返す。
まだ笑える奴もいる。
周囲を見渡した。
グレンは左肩。
ノアは右脚。
ミラは魔力枯渇に加えて左腕の火傷。
ユアンは脇腹。
重傷者は四人。
他にも軽い傷を負った者は多く、俺自身もまともな状態とは言えない。それでも人数を数える必要はなかった。
全員いる。
「エレナ」
「もう診ています」
エレナはグレンの横へ膝をつき、傷口へ手を当てていた。淡い光が生まれたものの、すぐに弱くなる。魔力が戻り始めたとはいえ、本来の回復魔法には程遠い。
「ごめんなさい。今の私では、傷を塞ぐところまでは……」
「血が止まれば十分だ」
グレンが顔をしかめながら笑った。
ここに長居はできない。
東へ動かした帝国軍は、もう偽の命令に気づいている。ダグたちが街道を崩し、複合魔法まで使って時間を稼いでくれたが、止められるのはあくまで一時的だ。
「動ける奴は馬を集めろ。重傷者を優先して乗せる」
ニールたちが動き始める。
グレンは自分で乗れると言い張ったが、左腕が上がらず、結局リックに身体を押し上げられていた。
「自分で乗れた」
「半分以上、俺が上げた」
「細かいな」
「次落ちたら置いてくぞ」
「それは困る」
そんなやり取りを聞きながら、俺も馬へ乗った。
向かうのは西。
ガロンたちと合流し、住民を国境の外へ出す。
ここまで来れば、あと少しだった。
馬を走らせる。
重傷者を乗せているため速度は上げられないが、それでも歩くよりはずっと速い。壊れた建物の間を抜け、アルネの中心部から外れた道へ出たところで、前方が二つに分かれた。
左へ進めば西門、その先にガロンたちと住民がいる。
右へ戻ればアルネの東側へ続く。
その分かれ道へ差しかかった時だった。
「待て」
アレンが馬を止めた。
全員が振り返る。
アレンは東を見ていた。
俺も同じ方向を見ると、遠くの街道に巨大な土煙が上がっていた。
最初は風かと思った。
違った。
地面が震えている。
何十、何百という馬が走れば、ああなる。
「戻ってきやがった……」
フェルが呟いた。
東へ誘導した帝国軍だ。
ダグたちが壊した街道を越えて、アルネへ戻ってきている。
「どれくらいいる?」
セリアが目を細める。
「分からない」
「五百?」
「それくらいはいる」
今度は西を見る。
遠くに住民の列が見えた。
長い。
先頭がどこまで進んでいるのか、ここからでは分からない。それでも最後尾がまだ国境を越えていないことだけは分かった。
帝国兵がアルネへ戻るまでの時間と、住民全員が国境を越えるまでの時間を頭の中で比べる。
間に合わない。
このまま全員で西へ向かえば、俺たちは逃げ切れるかもしれない。
住民は無理だ。
東門を崩す。
街路を塞ぐ。
周囲の建物まで落とせば、大軍が一気に通ることはできなくなる。
だが、帝国軍にも魔法使いはいる。五百を超える兵士を相手に、一度道を塞いだ程度では長く持たない。
壊されるたびに、塞ぎ直す必要がある。
そこまで考えたところで、後ろから馬の足音が消えた。
振り返る。
ダグが止まっていた。
「ダグ?」
俺たちが見ていることに気づくと、ダグは東の土煙を眺めたまま頭を掻いた。
「……俺、残るわ」
何を言ったのかは聞こえた。
意味を理解したくなかった。
「馬を出せ」
「レオン」
「聞こえなかったのか」
「聞こえてるよ」
ダグが馬から降りた。
「東門まで戻る。門と周りの道を土で潰す」
「一度塞いでも突破される」
「だから残るんだよ。壊されたらまた塞ぐ。道を作られたら、また潰す。俺の魔力が続く限りやれば、かなり時間を稼げる」
「却下だ」
考えるより先に言っていた。
「レオン」
「乗れ」
「でもよ」
「乗れ」
ダグが何か言おうとしたが、その前に続ける。
「別の方法を考える。全員で西へ行く」
「そんな時間ねえだろ」
「作る」
「どうやって?」
「俺が考える」
「お前なら何でもできんのかよ」
言葉に詰まった。
ダグは怒っていなかった。
困ったように俺を見ているだけだった。
「お前は最初から分かってただろ。誰かが残らねえと、あいつら住民に追いつくって」
分かっていた。
最悪の場合、誰かが残って帝国軍を止めなければならない。
その可能性まで考えていた。
考えていたのに。
「だからって、お前が残る理由にはならない」
「なるよ」
「ならない」
「なるって」
「死ぬぞ!」
声が響いた。
ダグが黙る。
セリアも、アレンも、誰も口を挟まなかった。東から聞こえる馬蹄の音だけが、少しずつ大きくなっている。
やがてダグが、小さく息を吐いた。
「俺さぁ、馬鹿だから」
「……何だよ」
「打倒帝国とか、正直あんましどうでもいいんだよ」
思ってもいなかった言葉だった。
ダグは東を見たまま続ける。
「帝国倒して、その後世界をどうするとかさ。ヴァルドたちが難しい話してても、半分くらいしか分かってねえし。アルネの連中だって、今日初めて会った奴ばっかりだ」
そこで振り返った。
「ただ、お前らといるのが楽しかったんだよ」
誰も喋らなかった。
「一緒に飯食って、酒飲んで、馬鹿な話してさ。任務で失敗した奴がいたら笑って、セリアに怒鳴られて、ガロンにぶっ飛ばされて。それで、たまに誰か助けて帰ってくる」
ダグが笑った。
「俺には、それで十分だった」
「……ダグ」
「お前が帰ってきた時も嬉しかったぞ」
その言葉に、胸の奥が詰まった。
「三年間だろ? 一人で帝国ん中に入って、誰にも会えねえで、ずっと無能のふりしてたんだろ」
「あれは俺の仕事だ」
「そうだよ」
ダグが頷いた。
「お前にしかできない役目だった」
東から地響きが届く。
もう時間がない。
「今はどうだ?」
ダグが自分の手を開いた。
その指の間から、茶色い魔力がわずかに漏れている。
「門を潰す。道を塞ぐ。突破されたら、また塞ぐ。何百人来ようが、通れる道を片っ端から潰してやる」
俺にはできない。
セリアにもできない。
ここにいる中で、それを一番長く続けられるのはダグだった。
「今度は、俺にしかできねえ役目だ」
「それでも――」
「レオン」
ダグの笑みが消えた。
「俺は死んでも構わねえ」
「ふざけるな」
「ふざけてねえよ」
「俺は構う」
「ああ。知ってる」
即答だった。
だから余計に腹が立った。
「だったら乗れ!」
「でもな」
ダグは俺ではなく、後ろにいる仲間たちを見た。
セリア。
アレン。
リック。
フェル。
ノア。
グレン。
ミラ。
ニール。
ユアン。
傷だらけになりながら、それでも全員ここまで生きてきた。
ダグが一人ずつ確かめるように見て、最後に俺へ戻ってくる。
「お前らの中から死ぬ奴が出る方が、俺は耐えられねえ」
何も言えなかった。
「俺にとっては、帝国よりそっちの方が大事なんだよ」
ダグは照れたように鼻の下を擦った。
「だって、お前ら家族だからな」
三年間。
俺は一人でやった。
誰かに代わってもらおうと思ったことはない。
自分にしかできない役目だったからだ。
今、同じ言葉を返されている。
合理的に考えれば、ダグを残すべきだった。
感情では、絶対に残したくなかった。
「一人で格好つけんなよ」
別の声がした。
フェルだった。
馬を降りると、手綱をニールへ渡す。
ダグが眉を寄せた。
「お前は行け」
「嫌だね」
「フェル」
「門を塞ぐのはお前にしかできない。そこは認める」
フェルが東を見る。
「でも、五百人相手に一人で魔法使ってる間、誰がお前の背中を守るんだよ」
「……」
「俺の風なら、崩した土も瓦礫も使える。突破してきた奴も押し戻せる」
「だからって――」
「さっき自分で言っただろ」
フェルが笑った。
「役割なんだろ?」
ダグが黙った。
「だったら俺にも役割くれよ」
「……馬鹿だな、お前」
「お前にだけは言われたくねえよ」
二人が笑った。
笑えなかった。
東を見ると、土煙はもうはっきりと大軍の形を見せ始めている。西には、まだ国境へ向かう住民の列が続いていた。
時間がない。
答えも、もう出ていた。
「……絶対に死ぬな」
ダグが笑った。
「無茶言うなよ」
「命令だ」
「じゃあ、善処する」
腰につけていた予備の通信機を外し、ダグへ投げると、片手で受け取った。
「住民が国境を越えたら連絡する。それまで持たせろ」
「ああ」
「連絡したらすぐ逃げろ。帝国兵を倒す必要はない。時間を稼ぐだけでいい」
「分かった」
「道が一つ抜かれて、自分たちが逃げられなくなるなら捨てろ」
「分かったって」
「それと――」
「レオン」
止められた。
ダグが笑っている。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なんだ。
そう言いたかった。
言えなかった。
俺は手綱を握り、西へ馬首を向けた。
「行くぞ」
仲間たちの馬が次々と動き出す。
最後に振り返ると、分かれ道にはダグとフェルが立っていた。
二人とも、もうこちらを見ていない。
迫ってくる帝国軍を見ていた。
「レオン!」
セリアに呼ばれ、前を向いた。
馬を走らせる。
背後で地面が大きく鳴った。
振り返らなかった。
ダグとフェルの役目が始まった。
今度は、俺たちが自分たちの役目を果たす番だった。




