↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝国一の無能兵を三年間演じた俺、最高機密を盗んで帰るはずが、処刑寸前の大回復魔道士まで拾ってしまった  作者: レイヴ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/15

第一話 帝国一の無能兵



「悪い、ルドルフ! 手が滑った!」


 頭から水を被った。


 冷たい水が髪を伝い、軍服の襟から背中へ流れ込む。


 二階の窓から笑い声が降ってきた。


「おい、廊下まで濡らすなよ!」


「掃除当番なんだから自分で拭いとけ!」


「魔法で乾かせ、魔法で!」


 俺は足元に転がった木桶を拾い、二階を見上げた。


「そんな便利な魔法、使えませんよ」


「知ってる!」


 また笑われた。


 帝国軍北部魔導研究所。


 帝国北部における魔法研究の中枢であり、新型術式や魔導兵器の研究、開発を行う軍事施設。


 そこで俺は三年間、無能として生きてきた。


 ルドルフ・ベルン、二十七歳。


 剣術は最低評価。雷属性の魔法を持ちながら、訓練で出せるのは指先に小さな火花を散らす程度。実戦経験もなければ、これといった功績もない。


 任される仕事は掃除、荷運び、倉庫整理、研究員の使い走り。


 後輩には階級を抜かれ、新人兵からは「ルドルフに負けたら終わり」と笑われる。


 三年間。


 そう思わせてきた。


 そして今日。


 ルドルフ・ベルンは消える。


「何をしている、ルドルフ」


 背後から声がした。


 振り返ると、ヴァルガス大尉が立っていた。


 三十七歳。北部魔導研究所の警備部隊を預かる男で、俺の直属の上官でもある。


 大柄な身体に、隙なく整えられた軍服。腰には帝国軍制式の長剣と、七本の鍵が下がっている。


「水をかけられました」


「誰にだ」


「見てませんでした」


「なら自分で転んだんだろう」


「桶の水を頭から被る転び方ってあります?」


「口答えするな」


「すみません」


 頭を下げる。


 ヴァルガスは鼻を鳴らし、そのまま通り過ぎようとした。


「ああ、ルドルフ」


「はい」


「今夜、酒を買ってこい」


「またですか?」


「何か文句があるのか」


「先週も俺でしたよね」


「だから何だ」


「店の主人に、大尉の名前を出したら次は売らないって言われました」


「俺の名前を出せ」


「もっと怒られます」


「黙って買ってこい」


「はい……」


 ヴァルガスが去っていく。


 その腰で、七本の鍵が鳴った。


 六本の銀。


 一本の黒。


 黒鉄の鍵が加わったのは、一年七か月前だった。


 最初は何の鍵か分からなかった。


 だから調べた。


 研究棟、武器庫、魔導具保管庫、地下施設。


 ヴァルガスがどこへ行き、何時に戻り、鍵の位置が変わっているのはいつか。


 一つずつ潰した。


 三か月前。


 ようやく辿り着いた。


 地下第四区画。


 帝国軍北部魔導研究所、最高機密資料室。


 俺は雑巾を絞った。


 床に広がった水を拭きながら、いつものように困った顔で笑う。


 誰も俺を見ていなかった。


 無能な男が何を見ているかなんて、誰も気にしない。


 それが、三年間で得た一番大きなものだった。



 夜。


「遅いぞ」


「店が混んでたんですよ」


「いつもの酒だろうな」


「三年間買わされてますからね。間違えません」


 警備室で、ヴァルガスが俺から酒瓶を奪い取った。


「お前にも一つくらい取り柄があったな」


「酒の買い出しが取り柄って嫌だなあ」


「靴磨きも上手いぞ」


「それ、兵士として褒めてます?」


「磨いていけ」


「言わなきゃよかった」


 ヴァルガスが椅子へ腰を下ろした。


 俺は仕方なく布を取り出し、その前へしゃがみ込む。


 黒い軍靴を磨く。


 右。


 左。


 ヴァルガスは早くも酒瓶を開けていた。


 警備室の奥では、二人の兵士が明日の配置について話している。


「視察団、本当に明朝なんですか?」


「ああ。帝都を昼に出たらしい。今夜中には北部へ入る」


「面倒だな。こっちは巡回まで増やされてるのに」


「仕方ないだろ。第三研究棟に一人追加。地下巡回も二十三時に一度増える。忘れるなよ」


 布を動かす手は止めなかった。


 地下巡回が一度増えた。


 予定にはなかった。


 問題ない。


 北通路を捨てる。


 第三研究棟を経由すれば九分増えるが、二十二時十五分の魔力炉放出には間に合う。


 ヴァルガスが酒を飲む。


「まだか?」


「もう少しです」


「さっさとしろ」


「だったら自分で磨いてくださいよ」


「お前の方が上手い」


「やっぱり転職しようかな」


 笑いが起きた。


 俺も笑った。


 軍靴を磨き終える。


 立ち上がる時、ヴァルガスの腰に手が触れた。


「すみません」


「気をつけろ」


「はい」


 頭を下げて警備室を出た。


 扉を閉める。


 廊下を歩く。


 角を一つ曲がったところで、右手を開いた。


 黒鉄の鍵があった。


 十二秒。


 それだけ借りればいい。


 懐から薄い型板を取り出し、鍵を押し当てる。


 表。


 裏。


 溝。


 深さ。


 もう必要な形状は分かっている。


 最後の確認だけを終え、来た道を戻った。


「大尉」


「今度は何だ」


「布、忘れました」


「お前は本当に使えんな」


「よく言われます」


 机の横に落としておいた布を拾う。


 ヴァルガスの背後を通った。


 黒鉄の鍵を元の位置へ戻す。


「失礼しました」


「明日の朝は遅れるなよ」


「分かってます」


「お前は放っておくと寝坊するからな」


「今日は早く寝ますよ」


 警備室を出た。


 今度は戻らない。


 廊下の窓に映る自分の姿を一度だけ見る。


 猫背。


 僅かに外へ開いた爪先。


 小さな歩幅。


 人とすれ違うたびに相手へ道を譲る癖。


 全部、三年前に作った。


 角を曲がる。


 人影が消えた。


 背筋を伸ばした。


 爪先を戻す。


 重心を変え、歩幅を広げる。


 呼吸を浅くする。


 足音が消えた。


 ルドルフ・ベルンの歩き方も消えた。


 懐中時計を開く。


 二十二時四分。


 残り、一時間五十六分。


 午前零時。


 北西門。


 三年前から決まっている。


 連絡はない。


 変更もない。


 俺が今日まで生きていることを、向こうが知る方法すらない。


 それでも午前零時になれば、北西門で脱出路が開く。


 俺がそこにいようが、いまいが。


 それが三年前に決めた約束だった。


 目的は一つ。


 帝国が存在そのものを否定している広域魔導毒――〈灰の雨〉。


 製造記録。


 使用記録。


 命令系統。


 帝国の関与を証明できるものを持ち帰る。


 三年間潜っても、確証は掴めなかった。


 だが三日前。


 ようやく見つけた。


 廃棄直前の書類に記されていた、二つの文字列。


 〈GRAY〉。


 そして。


 2413。


 意味は分からない。


 調べる時間も、もうない。


 今夜が最後だ。



 第三研究棟へ入った。


 昼間とは違い、夜間の照明は最低限まで落とされている。


 人はいない。


 いや。


 正確には、二十七秒後に来る。


 俺は歩みを止めず、突き当たりの扉を開いた。


 清掃用具庫。


 中へ入る。


 扉を閉めた七秒後、廊下から足音が聞こえた。


 二人。


「……視察のたびにこれだ」


「あと一周だ。終わったら飲みに行こうぜ」


「ヴァルガス大尉みたいになるぞ」


「それは嫌だな」


 笑い声が遠ざかる。


 俺は十二秒待ってから扉を開けた。


 巡回が増えても、人間が歩く速度までは変わらない。


 階段を下りる。


 地下第一層。


 ここから先は、昼間の俺には入る理由がない。


 最初の扉には鍵がない。


 代わりに、通過する人間の魔力を読み取る認証術式が埋め込まれている。


 登録されていない魔力が触れれば、警備室へ通知が飛ぶ。


 俺は扉の前で待った。


 懐中時計を見る。


 二十二時十四分五十八秒。


 十五分。


 低い振動が地下を走った。


 研究所中央の大型魔力炉が、蓄積した余剰魔力を外へ放出する。


 その瞬間だけ、地下の認証術式へ流れる魔力が僅かに乱れる。


 毎日一度。


 十一秒。


 三年前には知らなかった。


 知るまでに八か月かかった。


 扉へ手を当てる。


 開く。


 通過。


 閉める。


 九秒。


 警報は鳴らない。


 その先で、足を止めた。


 何もない廊下。


 少なくとも、目にはそう見える。


 腰の小袋から黒い筒を取り出し、先端を捻った。


 細かな銀色の粉が空気へ舞う。


 次の瞬間。


 廊下を埋め尽くすように、無数の赤い線が浮かび上がった。


 縦。


 横。


 斜め。


 床から数センチ。


 腰。


 首。


 天井近く。


 魔力感知線。


 一本でも触れれば、地下区画が封鎖される。


 しかも配置は一定ではない。


 十二秒ごとに切り替わる。


 俺は時計を見なかった。


 必要ない。


 覚えた。


 右足を一歩。


 止まる。


 目の前を赤い線が通過する。


 消えた瞬間に身体を横へ向け、二本の間を抜ける。


 左足。


 しゃがむ。


 頭上を三本。


 立たない。


 次の切り替えまで二秒。


 一。


 二。


 床すれすれの一本が消える。


 手をつき、身体を滑らせた。


 立ち上がる。


 最後の一本が胸の前を横切った。


 消える。


 通過した。


 振り返る。


 赤い線が再び廊下を塞ぐ。


 ここを初めて見た時は、突破できるとは思わなかった。


 今は違う。


 さらに地下へ降りた。


 第二層。


 第三層。


 途中で予定になかった警備兵を一人見つけた。


 曲がり角の向こうから足音が近づいてくる。


 この時間、この通路を使う者はいないはずだった。


 足音の間隔を聞く。


 一人。


 急いでいる。


 俺は壁際の配管へ手を伸ばし、細い留め具を抜いた。


 金属片が床へ落ちる。


 甲高い音。


「ん?」


 足音が止まった。


 俺は反対側の資材棚の影へ入る。


 警備兵が角から顔を出した。


「何だ?」


 床の金属片を見る。


 近づく。


 拾う。


「……また緩んでるのか」


 警備兵が配管を見上げた。


 その背後を通った。


 走らない。


 息も止めない。


 ただ歩く。


 十歩。


 十一歩。


 角を曲がる。


 警備兵は振り返らなかった。


 想定外。


 それくらいは起きる。


 三年間で学んだ。


 計画通りにいくことを前提にした計画は、計画とは呼ばない。



 地下第四層。


 空気が変わった。


 壁も床も、それまでとは違う黒い石材で覆われている。


 魔力を吸収する特殊建材。


 窓はない。


 逃げ道もない。


 突き当たりに、一枚の扉があった。


 帝国最高機密資料室。


 俺はその前に立った。


 扉の横には五つの装置が並んでいる。


 第一封鎖。


 物理錠。


 複製した黒鉄の鍵を差し込む。


 回った。


 小さな音がする。


 第一封鎖、解除。


 第二封鎖。


 魔力認証。


 細い針を認証盤の下へ差し込み、内部の術式へ触れる。


 雷属性の魔力をほんの僅かに流した。


 強ければ壊れる。


 弱ければ反応しない。


 必要なのは、一か所だけ。


 術式の流れが一瞬途切れた。


 その間に、認証盤の横にある接点を繋ぐ。


 第二封鎖、解除。


 この位置を知るまで、一年二か月。


 第三封鎖。


 八桁の暗号。


 入力する。


 五。


 一。


 九。


 七。


 四。


 二。


 六。


 三。


 第三封鎖、解除。


 これは簡単だった。


 管理官が暗号を覚えられず、机の裏へ書いていた。


 第四封鎖。


 時限式。


 表示されている文字盤を見る。


 二十二時二十七分。


 開錠可能になるまで、あと十九秒。


 急がない。


 十七。


 十六。


 十五。


 背後から音はしない。


 十一。


 十。


 九。


 右手を装置へ置く。


 三。


 二。


 一。


 術式が切り替わる。


 回す。


 第四封鎖、解除。


 そして。


 第五封鎖。


 鍵穴もない。


 認証盤もない。


 ただ帝国の紋章が刻まれているだけだった。


 最後の一つだけがずっと分からなかった。


 何を入れるのか。


 誰の魔力を使うのか。


 どんな術式なのか。


 そもそも装置がどこにあるのかさえ分からない。


 答えを見つけたのは。


 先月だった。


 俺はしゃがみ込んだ。


 帝国の紋章には触れない。


 見るのは床。


 扉の前。


 黒い石材の継ぎ目。


 右から七枚目。


 爪を差し込み、僅かに持ち上げる。


 下に小さな金属板があった。


 押す。


 何も起きない。


 そのまま三秒。


 離す。


 立ち上がり、扉の取っ手へ手をかける。


 五秒以内。


 回した。


 重い音が地下に響いた。


 扉が、ゆっくりと開いていく。


 警報は鳴らない。


 誰も来ない。


 五重封鎖。


 突破するのにかかった時間は、二分にも満たない。


 準備には。


 三年かかった。


 中へ入る。


 扉を閉めた。


 広い。


 天井まで届く書架が、何列も並んでいる。


 帝国が存在を認めない研究。


 失敗した魔導兵器。


 人体実験。


 軍内部ですら閲覧を許されない記録。


 そのすべてが、この地下に眠っている。


 だが、興味はない。


 探すものは決まっている。


 書架の番号を確認しながら奥へ進む。


 十二。


 十三。


 十四。


 ない。


 次。


 十六。


 十七。


 その途中で足が止まった。


 最下段。


 黒い背表紙。


 文字は一つしかなかった。


 ――〈GRAY〉。


 三年間。


 笑われた。


 馬鹿にされた。


 床を拭いた。


 酒を買った。


 上官の靴まで磨いた。


 その全部が。


 ここへ繋がっている。


 俺は黒い資料へ手を伸ばした。


「やっと会えたな」


 帝国一の無能兵が。


 三年かけて、帝国最高機密へ辿り着いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。