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vol.67 めぐみ、まさかのデート宣言!

 茜色の空。

 街の輪郭。

 伸びた影。

 下校の道が、少し柔らかい。


 早坂と別れたけんたろうは、一人になった道をのんびり歩く。

 人通りは少ない。

 放課後の余熱だけがアスファルトに残る。

 昨日の練習で、指先からこぼれたばかりの旋律。

 頭の中で、心地よくリフレインする。

 鍵盤の余韻が、まだ耳の奥に。

 世界には今、彼と音楽しか存在しない。


 はずだった。


 背後で、別の世界が近づいていた。


(チャ〜ンス☆)


 そんな文字が、夕空に浮かんだ気がした。

 実際に浮かんでいたのは、めぐみの機嫌の良さだ。

 獲物が群れから離れ、無防備な背中を晒している。

 彼女はアスファルトを蹴り、風を巻き起こして駆け出す。

 足音が軽い。

 追跡の足音なのに、やけに楽しそうだ。


「けんたろうさ〜ん!」


 弾ける声が、夕暮れの空気を震わせる。

 名前を呼ばれた瞬間、けんたろうの中のメロディがぷつりと切れた。

 振り返った先に、光が立っていた。

 大きなサングラス。

 マスク。

 そして、視線を奪うほどの笑顔。


 けんたろうは、その姿を知らないわけじゃない。

 ただ、知っているのはテレビの中の人だ。

 スポットライトの中で跳ねる、Dream Jumpsの中心。

 なのに。

 今ここにいる彼女は、舞台衣装でもなく、ステージメイクでもない。

 放課後の路地に落ちてきた、別の光だ。


「ぎょっ……」


 喉の奥で奇妙な音が鳴る。

 心臓が余計に跳ねる。

 けんたろうの脳裏に、別の夜がよぎる。

 大型音楽番組『ミュージックコネクト』。

 暗転したステージ。

 事故みたいな闇。

 そこに浮かび上がる、指先。

 顔を出さず、指だけで戦うと決めた夜。


 あの夜、Dream Jumpsも同じ空気を吸っていた。

 彼女たちの楽屋のモニターに、こちらの演奏が映っていた。

 指先のカットが、実況で「神回」と呼ばれた。


 めぐみが言った。

「……負けない」

 そのまっすぐな目を、けんたろうは直接見ていない。

 けれど、どこかで知っている。

 音楽の向こう側で、確かに触れた気がする。


 目の前の彼女が、サングラスをずらす。

 勝ち誇ったような笑顔。

 あの夜の宣言が、形を変えて近づく。


 けんたろうにとって彼女は知っている人。

 けれど、彼女にとって彼はもっと知っている人らしい。

 その差は、共演者という言葉では埋まらない。


「えっと……」


 けんたろうは混乱する。

 本当は名前を知っている。

 でも、ここで知っていると言っていいのか分からない。

 彼は、隠すことに慣れすぎている。

 顔を出さない癖が、日常にも染みている。


 だから、最初の一言が少しずれる。


「はじめまして?」


 タイプではない。

 けれど強烈に可愛い。

 愛するけいとが静かな月なら、この子は真夏の正午の太陽だ。

 直視すれば目が焼けるような、愛らしさ。

 まぶしくて、視線の置き場がない。


「私のこと、知らない?」


 めぐみは小首をかしげた。

 まるで「呼吸してる?」と聞くみたいに、当たり前の調子で。


 けんたろうは、一秒だけ悩む。

 知っている。

 でも、知っていると言えば、こちらの知っているも引きずり出される気がした。

 シルエットの先は、簡単に触られたら壊れる。


「……すみません」


 そして、弱い嘘を選ぶ。


「はい……知らないです」


 正直に言った瞬間みたいに、空気がぷくっと膨らむ。


「え〜!知らないの〜!?」


 頬がふくらみ、悔しさがそのまま形になる。

 その反応が、かわいい。

 そして怖い。

 かわいいは、時々、凶器。


 だが、そこはプロのアイドルだった。

 めぐみは瞬時に立て直し、とびきりのスマイルを作る。

 さっきの悔しさが、もう遠い。


「Dream Jumpsの、めぐみですっ☆」


 名乗りは、確認の儀式の様に響く。

 けんたろうは、分かっていたはずの名前に、なぜか今さら殴られる。


「えええええええ!!!」


 漫画みたいな叫び声が、自分の口から出る。

 共演している。

 知っている。

 知っているのに。

 ステージの外で、こんなふうに個人として呼び止められることが、想像の外だった。

 テレビの向こう側の住人が、路地のこちら側へ降りてくる。

 それだけで、世界はひっくりかえる。


「あ、あの……はじめまして。

 えっと、僕に、何の御用ですか?」


 必死に平静を装う。

 装っただけで、装えていない。

 声は裏返り、膝は笑っている。

 心の中は、転調どころじゃない。


「ふっふっふ〜。

 それは決まってるじゃないですか。

 スーパープロデューサーさんに会いに来たんですよ!」


 めぐみは、してやったりの顔をする。

 無邪気で、残酷で、やけにまぶしい笑みだ。

 その一言で、けんたろうの血の気が引いた。


(うわあああ。

 バレてる。

 なんで。

 どこから?)


 脳裏に、顔が次々浮かぶ。

 けいとの心配そうな目。

 ユージの困った眉。

 綾音の焦り。

 社長の怒り。

 Midnight Verdictのみんなの青ざめた表情。

 連鎖反応みたいに、悪い予感が増殖していく。


(もうダメだ。

 僕たちの秘密が……)


 あの夜の闇が、今さら追いかけてくる。

 顔を出さないと決めた理由が、喉の奥で固くなる。

 頭を抱えたい。

 でも抱えたら終わる気がして、必死に立っている。

 まだだ。

 まだシラを切れるかもしれない。


「えっと……何のことですか。

 僕はただの高校生ですけど……」


 否認は弱い。

 自分でも分かる。

 めぐみはその弱さを見逃さない。

 むしろ、面白がっている。


「やだぁ〜。

 そんなこと言っちゃって〜?

 ここまで来るのに、骨を折りましたよ〜?

 だって、けんたろうさんってば、ガードが堅いんだもん!」


 ふふん、と鼻を鳴らす。

 可愛いのに、取り調べの手つきだ。


「それにね。

 誰からヒントをもらったと思う?」


 クイズみたいな溜め。

 けんたろうの胃が、きゅっと縮む。


「まさか……」


 言いかけたところへ、笑顔が刺さる。


「そう!

 こはるさんが良い情報をくれましたよ〜♪」


 終わった。

 けんたろうの中で、何かが崩れる音がする。

 よりによって、あのこはるから。

 天然の一撃。


「こりゃダメだ……」


 力が抜ける。

 諦めの言葉だけは、妙に正確だ。


 白旗を上げた彼を見て、めぐみは畳み掛ける。

 ここぞ勝機。

 彼女は一歩踏み出し、上目遣いで射抜く。

 距離が近い。

 息が届く。

 香りまで、現実。


「ねぇ、けんたろうさん。

 今から私とデートしてください!」


 言葉が軽い。

 なのに、重い。

 けんたろうは、思考ごと固まる。


「え……デート……ですか?」


「はい。

 話したいことがあるんだから。

 もちろん、嫌とは言わせませんよ?」


 笑顔は天使みたいに輝いている。

 でも、その輝きがいちばん狡猾だ。

 逃げ道を、光で塞いでくる。


 そして彼女は、甘い声で最後の呪文を落とす。

 優しいふりをした、契約の言葉を。


「だって、もし断ったら……けんたろうさん、困っちゃいますよ?」


 困るの中身を、彼は想像できてしまう。

 噂。

 記事。

 炎上。

 秘密の崩壊。

 顔を出さない指先の神話が、ただのスキャンダルへ落ちる未来。


 夕闇が迫る路地で、僕は悟った。

 自分は今、可愛らしい猛獣の檻の中に放り込まれたのだと。

 逃走経路、なし。

 選択肢、ひとつ。

 このデートは、いったいどこへ連れていかれるのだろう。

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