vol.61 めぐみ、疑念の胎動
深海の底。
テレビ収録を終えたDream Jumpsの楽屋。
太陽の光は届かない。
沈黙のみ。
高級な革張りのソファに、メンバー全員が深く沈み込む。
誰もスマホに手を伸ばさない。
見ないのか。
見られないのか。
通知の一つひとつが刃になって飛んでくる気がした。
さっきまでステージで浴びていた、何万ワットもの眩いライト。
鼓膜を震わせた大歓声。
それら全てが、遠い異国の出来事だったかのように思える。
楽屋の白い蛍光灯だけが、無機質な羽音を立てて、彼女たちの汗を冷たく乾かす。
五人の呼吸だけが、部屋に残る。
水を飲む音さえ、やけに大きい。
めぐみは膝の上で拳を握った。
爪が掌に食い込む。
痛みがあるのに、心のほうが痺れている。
「……くそっ」
声は小さい。
小さいのに、静寂がひび割れた。
「ユージさんの煽り……ほんと腹立つ」
言った瞬間、喉の奥が熱くなった。
――かわいいけど、まだまだ。
あの言葉が、まだ刺さったまま。
りおが視線を上げずに言う。
「でも……音楽は、すごかった」
悔しさが混ざった声。
認めたくないのに、認めてしまう声。
「あのライブ感、半端ない……」
ゆずが、笑顔を作れずに呟く。
「歌声も、熱量が……
魂を込めるって、ああいうことなのかな」
その言い方が、まるで自分たちの歌を否定する。
そんな気がして、めぐみは奥歯を噛んだ。
そして話題は、磁石に吸い寄せられるように、あの核心へと向かう。
「何より……」
ももが、そっと口を開く。
「あのスーパープロデューサーって呼ばれてる、けんたろう……」
名前だけで、空気が冷たくなる。
見えない相手ほど、怖い。
あいが小さく続けた。
「暗闇で指先だけなのに、あんなに存在感があるなんて……
私たち、本当に勝てるのかな」
勝てるのかな。
祈りみたいな、ほとんど敗北宣言。
誰かが力なく言った。
「春本先生は……『君たちが最強だ』って」
春本康。
芸能界の大御所にして、絶対的な権力者。
彼が与えてくれた最高の楽曲。
一流デザイナーによる衣装。
億単位の金が動くプロモーション。
与えられた最強。
保証された地位。
言葉で塗装された栄光。
その「最強の黄金の鎧」を着ているはずの自分たち。
鎧を着ているはずなのに、寒い。
鎧の隙間から、夜が入り込んでくる。
たった一人の、顔も見えないプロデューサーの音楽に、鎧ごと心を貫かれている。
沈黙が長引く。
その沈黙に耐えられなくなったみたいに、誰かが言った。
「もし……もし、けんたろうが、私たちに曲、作ってくれたら……」
窒息しそうだった空気が、ふわりと浮く。
「それ、ヤバい!」
「最強じゃん!」
「春本先生のプロデュースに、あの人の曲?」
「無敵だよ!」
メンバーたちの目が、ほんの少しだけ輝きを取り戻す。
甘い砂糖菓子のような妄想。
でもその光は、すぐにしぼむ。
そんな都合のいい話、あるわけがないじゃん。
また静かになる。
夢を口にして、現実に殴られて、黙る。
楽屋はその繰り返しを抱え込んでいる。
ただ一人。
めぐみだけが、その夢想を「夢」として終わらせていなかった。
彼女の脳裏では、数日前の学園祭の光景が、リピート再生されていた。
埃の匂い。
西日の射す教室。
古いアップライトピアノ。
あの少年の横顔。
ピアノに触れた指先。
思い出すだけで鼓動が速くなる。
悔しさが、熱になって戻ってくる。
(……同じだった)
(まさか、そんな……)
(でも、あの音は……)
めぐみは顔を上げ、わざとらしく明るい声を張り上げた。
作りすぎた明るさだった。
「ていうかさー!」
空気を切り替える、アイドルの声。
「逆にあのけんたろうって人、めっちゃ若かったりしてね!」
「ほら、最近の天才って、中学生とか高校生とかいるじゃん?」
その唐突な言葉に、楽屋に一瞬だけ、乾いた笑いが起こった。
笑いは起きたが、誰の目も笑っていない。
「めぐみ、何言ってんの!?」
「ないない!あんな複雑な曲、大ベテランの仕事でしょ!」
りおが、呆れたように、けれど冷静にツッコミを入れる。
少し間を置いて、続けた。
「それに……
私たちが負けたのは、プロデューサーの年齢のせいじゃない」
「パフォーマンスの熱量、気迫……全部、私たちに足りなかったものよ」
りおの客観的な正論が、全員の胸に突き刺さる。
そうだ。
相手の正体をあれこれ想像して、夢を見ているだけでは、何も変わらない。
反論した瞬間、負けが確定する気がした。
「だよねー、アハハ……」
めぐみは笑ってごまかす。
ごまかしながらも、メンバーたちの反応を冷徹に観察していた。
誰も、本気にしていない。
ありえないと笑っている。
誰も、【若いけんたろう】を信じていない。
それでいい。
めぐみは心の中で、静かに独りごちた。
みんなは「けんたろうが曲を書いてくれたら」と、宝くじのような夢を見ている。
でも、夢を見ているだけじゃ、何も手に入らない。
夢は、待っているだけじゃ手に入らない。
もし、あの学園祭で会った少年が本当に「けんたろう」なら?
私だけが。
私だけが、その夢を現実に引きずり下ろせる場所にいる。
私たちの音楽に足りないもの。
春本先生の完璧なプロデュースだけでは埋められない、あの魂を揺さぶるような「何か」。
人の心を揺らす、乱暴なくらいの熱。
Synaptic Driveには、それがあった。
そして、それは指先から生まれていた。
それが、彼の指先から生まれているのだとしたら――。
めぐみは、膝の上で再び拳を握った。
それは悔しさの震えではなく、決意の強さだった。
「……私が、捕まえなきゃ」
心の中で言い直す。
もし。
もし、あの学園祭の少年が本当に「けんたろう」なら。
自分だけが、夢を現実に引きずり下ろせる場所にいる。
春本康がくれた「最強」は、物語だ。
誰かが書いた勝利の脚本だ。
けれど、けんたろうの音は、脚本の外から殴ってくる。
目の前で鳴った。
目の前で息を奪った。
あれは現実だ。
捕まえる。
願うんじゃない。
取りに行く。
誰のためでもない。
Dream Jumpsが「本物」になるために。
そして、めぐみがトップで居続けるために。
彼の音楽を、この手に入れるまでは。
めぐみの瞳の奥にはもう、アイドルの笑顔はなかった。
あるのは、宝を狙う冒険家の目。
夢を見る者たちの中で、ただひとり。
めぐみは、夢を獲る者になろうとしていた。




