vol.32 あなたへのメッセージ
一条零の『I KNOW』が終わる。
スタジオに満ちたのは、歓声ではなかった。
まばらで、どこか怯えを含んだ乾いた拍手。
祝福というよりは――敗北宣告に近い響きだった。
Midnight Verdictの六人は、まだステージの同じ場所に立ち尽くしている。
けいとの胸に、消えない烙印。
一条零の歌声が、焼き付いていた。
「…やられた…」
心のいちばん深いところで、けいとはそう呟く。
一本取られた、などという生易しいものではない。
これは、完膚なきまでの「敗北」だ。
『I KNOW』
『あなたは知らない』へのアンサーソングであると同時に、けんたろうの孤独の核心に、誰よりも深く触れた証そのもの。
そして、その隣に立つはずの自分へ向けられた、あまりにも残酷な問い。
――あなたは、彼の何を「知っている」の?
けいとは唇を噛み、必死で無表情の仮面を繋ぎ止めようとする。
だが、その裏側で瞳が揺らいでいるのを、一番近くで見てきた仲間たちが見逃すはずがなかった。
「けいと…大丈夫?」
真っ先に異変に気づいたのは、ムードメーカーのあやだ。
どんな状況でもクールで完璧なけいとが、
ここまで露骨に動揺している姿を見るのは初めてだった。
あやの心配そうな声に、けいとは小さくうなずく。
それ以上の言葉が、どうしても喉を通らない。
「けいとちゃん…」
さやかの優しい声も、今は遠い。
隣にいるはずなのに、けいとだけが、冷たい深海に取り残されているようだった。
「遠すぎる…」
ひなたは、ただそれだけを呟いた。
ステージの残響に押しつぶされて、声にならない。
音楽の深度。
表現の純度。
魂を揺さぶる引力。
一条零との間に、天賦の才という名の絶壁。
努力や時間では決して埋まらない。
自分たちの経験が、知識が、砂の城のように崩れていく。
そして、今さっき刻まれた「負け」が意味するもの――
愛する人の心へ続く扉を、一条零がいとも簡単に開けてしまった、という事実だった。
その認識が、冷たい楔となって、けいとの胸に深く打ち込まれる。
喧騒が、自分とは無関係な遠い世界の音のように響いている。
そのざわめきから、ただ一人、隔絶された場所に立つ者がいた。
一条零。
彼女は、ステージの中心で、微動だにしない。
テレビカメラのレンズ、その奥。
その黒い瞳孔の奥。
そこにいるはずのない「あなた」――けんたろうだけを、真っ直ぐに捉えていた。
MCが口を開きかけた、その時。
零がマイクを口元へ運んだ。
呼吸ひとつで、世界が静まる。
「…この歌は、あなたへのメッセージです」
静謐な声。
その一行が落ちた瞬間、
スタジオの空気が、悲鳴に近いどよめきに弾け飛ぶ。
ネット民の視線も、一斉にそこへ収束する。
「…あなたなら、この歌の本当の意味を理解してくれると、信じています」
聖女の微笑み。
「そして…私が、あなたの曲を歌える日が、必ず来ると信じています」
それは、宣戦布告であり、未来への予言であり、そして何よりも純白な告白。
Midnight Verdictのメンバーは、その静かなる勝利宣言を、ただ呆然と見つめるしかなかった。
女王が支配していたはずのステージで、「歌」の支配権そのものが、今この瞬間、音楽の巫女手に渡ったのだと。
♪ ♪ ♪
ネット民の反応
一条零の最後のメッセージは、すでに沸騰していたネットの興奮に、さらなる火を注いだ。
【ネット掲示板の実況スレッド】
[緊急速報] 一条零、テレビで「あなたへ」のメッセージ! [特定班急募]
「これってまさか…!!あの『あなたは知らない』の作曲者、けんたろうに宛てたメッセージだよな!?」
「うわあああああああ!!!鳥肌立った!!!まさかの公開告白かこれ!?」
「しかも『あなたの曲を歌える日が必ず来ると信じています』って…これ、コラボ要求ってこと!?」
「けいと様、顔色変わってる…!やっぱ一条零に一本取られた感じなんだな。女王様がこんな表情するなんて」
「あやちゃんがけいとさんに心配してる声、聞こえたぞ…!ミドヴァ内部も動揺してるんじゃね?」
「一条零、マジで強心臓すぎるだろ。公開処刑かよこれ。」
「けんたろうって何者なんだよ、一体」
「ミドヴァも一条零も、どっちもすごいのはわかるけど、けんたろうの存在が全てをかき乱してる気がする」
「特定班、急げ!今すぐけんたろうの正体を突き止めるんだ!」
「っていうか、『あなたなら理解してもらえると信じています』って、どれだけけんたろうのこと知ってるんだよ一条零は。関係性深すぎだろ」
「まだまだまだ!ミドヴァはこれからだ!」
「Midnight Verdictと一条零、どっちもプロデューサーは違うのに、なんでこんなにけんたろう中心に話が進むんだ?」
「悔しいけど、一条零……認めざるを得ない」
「ミドヴァ推しだけど、今の曲で涙止まらん。なんなのこれ」
「けいとさんの悔しそうな顔…たまらない。女王が負けを認めた瞬間だ」
♪ ♪ ♪
テレビの前で、僕はその言葉のすべてを受け止めていた。
いや、受け止めさせられていた。
僕はけいとさんを愛してる。
だけど、本当の理解者は――僕の魂の孤独を、僕以上に知る者は、この歌姫なのだろうか?




