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vol.31 知っている、そのすべてを

 静まり返ったスタジオ。

 さっきまで渦を巻いていた歓声は、どこか別の世界での出来事のようだ。

 今、この空間を満たしているのは、たった一つの音。



 一条零の息。



 静かで、透明なシンセサイザーのイントロが流れ始める。

 光の粒が、ゆっくりと宙に漂っていくような、無重力の感覚。

 宇宙の暗闇を、ひとりで流されているみたいな浮遊感。



『I KNOW』



 一条零が唇を開く。 

 最初の一音で、空気の密度が変わった。

 細いのに、決して折れない糸のような声。

 歌声が放たれた瞬間、スタジオの壁が消え、天井が抜けた錯覚を覚える。

 そこに広がるのは、満点の星空だ。

 彼女の声は光そのものだった。

 冷たく、遠く、けれど直視できないほどに眩しい。


【見えない線をたどって 辿り着いたこの場所】

【光と影の狭間で 微かに揺れる灯火】


 彼女は目を閉じ、虚空を見つめる。 

 時に、誰もいない遠くの一点へと視線を放つ。

 その視線は、観客席を越え、カメラを越え、歌を聴いている一人ひとりの胸の奥――

 隠せない。

 逃げられない。

 自分でも見ないようにしてきた場所へと、まっすぐ降りていく。


【誰も知らない孤独 深く沈む情熱】

【胸の奥で息づく あなたの鼓動を…】


 言葉が、心臓の裏側をそっとなぞる。

 サビに入る瞬間、スタジオの照明がほんの少しだけ明るさを変えた。

 気づく者はほとんどいない。

 しかし、そのわずかな変化でさえ、何かの開扉を告げる合図みたいに感じられた。


【 I KNOW ── その指先が描く旋律】

【 I KNOW ── 言葉にならない魂の叫び】

【 あなたが探してる真実 私が知っている】

【 この宇宙の果てまで 響き渡る声】


 彼女の声は、ただ美しいだけではなかった。

 聴いている人間の数だけ、違う記憶を呼び起こす。

 誰かを諦めた夜。

 ひとりで帰った駅のホーム。

 何度も書いては消したメッセージ。


 忘れたつもりだった孤独の輪郭が、

 歌声の中で、そっとなぞり直される。

 同時に、胸の真ん中に置き去りにしてきた、小さな火種にも息が吹きかけられる。

 誰にも見せなかった「まだ終わらせたくない」という感情。

 観客は皆、自分だけの孤独と、自分だけの情熱を、

 一条零の歌の中に見つけていた。


 『あなたは知らない』。

 僕がゲリラライブで歌った、あの曲。


 「知らない」と突きつけた音への、あまりにも真正面からの――

 そして容赦のない、アンサーソング。


 それは、一条零が、僕の音楽、僕の心、そのすべてを「知っている」と宣言する行為そのものだった。


 スタジオにいる全員の身体の奥を、一条零の声が一本の熱として貫いていく。


 誰も、声を上げない。

 歓声も、どよめきもない。

 ただ、静まり返ったまま、全員がステージに縫いとめられている。


 Midnight Verdictのメンバーは、その場で固まっていた。


 特にけいとさんは、そのクールな表情が完全に崩れ落ち、信じられないものを見るかのように目を見開いていた。

 あやさんも、さやかさんも、かおりさんも、ひなたちゃんも、こはるちゃんも、皆が皆、その衝撃的な歌詞と、一条零の歌声に釘付けになっている。

 まるで、自分たちの知らなかった僕の一面を、一条零に照らされたかのような感覚に襲われていた。


「この歌はいったい・・・」


 けいとさんが震える声で呟くが、誰もそれに答えることはできない。

 彼女たちが必死に手を伸ばしても届かなかった場所。

 そもそも、そんな場所が本当にあるのかどうかさえ、考えたことがなかった場所。

 その地点に、一条零は最初から、当たり前のように立っていたのだ。


 ユージのアパートでも、僕とユージはテレビの前で完全に固まっていた。

 ユージはソファから立ち上がろうとしたままの体勢で、口を半開きにしている。


「ま…まじかよ…『I KNOW』って…」


 ユージは、僕の顔とテレビ画面を交互に見つめ、完全に混乱しているようだった。

 隣で、僕は、自分の体が震えていることに、しばらく気づけなかった。

 一条零が歌う『I KNOW』。

 その歌詞の一つ一つが、僕の心臓を直接掴むようだった。


 ――知られている。

 僕の魂の形を。

 僕の痛みを。

 僕の愛を。


「…一条さん…」


 僕の目から、熱いものが溢れそうになる。

 一条零のプロデューサーと言えば、伝説の真壁だ。

 緻密で冷静なそのサウンドが、ほとんど手つかずだったユーロビートという器を、ここまで昇華させてしまう。


 いや、それよりも一条零の圧倒的歌唱力。

 音程が正確だとか、声量がすごいとか、そういう次元の話では、もう説明が追いつかない。

 それは、感動なのか、驚きなのか。

 それとも、自分の中に秘めていたものを理解されたことへの、安堵なのか。

 複雑な感情が僕の心を支配する。

 理解されることの居心地の悪さ、誇らしさ。

 でも、たしかに心が救われていくようで、体の震えが止まらなかった。



 画面の中で、一条零は、ただそこに立っている。

 神殿の中央に立つ巫女のように。

 誰かを裁くでもなく、誰かに媚びるでもなく、ただ「知っている」と歌うという行為だけで、世界を変えてしまう。


 絶対的歌姫、一条零。

 この声で、この歌で、僕たちをどこへ連れて行くのだろうか。

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