自らの目で
「……うぅん……」
アルヴァが目を覚ますと、そこは自宅だった。ふと隣のベッドに視線を送れば、体に包帯を巻かれた眠るスグルトもいた。まだ意識がはっきりしない。頭が重い。頭部に手を当て、上体を起こす。
「ッツ――」
起き上がると、全身に痛みが走る。見れば彼女の体もまた包帯が巻かれていた。
「―――あ、気が付いたんだ」
ふとドアのところに立つヘイルに気付いた。
「……ヘイル?」
「そうだよ。まだ寝ぼけてるの?」
ヘイルは手当をしながら目を合わせずに答える。アルヴァは未だ頭がはっきりとしない。霧がかかるように、記憶が曖昧となっていた。
「……どうして私はこんなところにいるんだ?」
頭を抑えながら、アルヴァはヘイルに訊ねる。ヘイルは、呆れる様に言った。
「何も覚えてないんだ。ケガをした大志達が運んで来たんだよ」
「……大志? 大志……」
どこか聞いたことがある。だが、思い出そうとすると頭が痛い。それでも、彼女の頭は徐々に覚めていった。
「―――ッ!! 大志―――!!」
全てを思い出した彼女は、ベッドから跳び起きようとした。だがやはり、全身に痛みが走り、結局はベッドで蹲る。
「ほらほら、無視しないで。全身ボロボロなんだから、しばらくろくに動けないと思うよ?」
「し、しかし、大志達が……!!」
「……大志達なら、とっくに出てったよ。先を行くんだって」
「………そう…か……」
もはや大志達は旅立った……それが分かったアルヴァは、全身の力を抜いた。結局彼を止めることは出来なかった。全身全霊をかけ、命をかけ、それでも止めれなかった。
不甲斐ない。情けない……そう思う一方、どこか清々しい思いもあった。
「……そういえば、大志がお姉ちゃんに“言伝て”だって」
「大志が?」
「うん。――追いかけたいならそうしろ。兵を送りたいならそうしろ。天界全土に御触書したいならそうしろ。それでも俺は先を行く。……だって」
「……なるほどな」
それを聞いたアルヴァは、ふと笑みを浮かべた。
(どこまでも分からない奴だ。私達にトドメをさしていれば余計な気を使わなくてもいいだろうに……)
大志は、やはりステラの言うとおりの人物のようだ。何者にも縛られず、思うがままに生きる。この世界の理からかけ離れた人物……
それが分かり、少し肩の荷が降りた気がした。
「………」
アルヴァは、迷っていた。おそらくは、ボロボロの自分とスグルトを運んできた大志に、ヘイルは動揺したであろう。しかし、大志達の素性を言うべきか言わざるべきか……余計なことを言えば逆に怖がらせるだけかもしれない。
しかし何かしらの説明をしなければいけない。そう思ったアルヴァは、口を開いた。
「……ヘイル、大志達だが……」
「――魔界人…なんでしょ?」
「――ッ!?」
思いがけないヘイルの言葉に、アルヴァの心に動揺が走る。ヘイルは片付けを一度止め、大志達がアルヴァ達を運んで来た時のことを話し出した。
『――お姉ちゃん!? スグルト!?』
家で待機していたヘイルは、ボロボロの状態の二人に驚愕する。大志達は未だ目覚めない二人をベッドに寝かせ、ヘイルと共に治療をした。
治療をしながら、ヘイルは信じられない現実を直視していた。
アルヴァ――この街の兵士長。類稀なる剣術の才能を持ち、この街の全ての人の尊敬を受ける姉。彼女の魔法“障壁”はいかなる攻撃も遮断する、まさに守りの盾。
スグルト――闘技場の覇者。数年の間、誰にも敗れることなく王者として君臨してきた男。兄貴とも言える人物。彼の双斧は鞭の如き速度で繰り出され、一方的な強さを見せていた。
……そんな二人が、ここまでボロボロになることは、ヘイルにとって信じ難かった。しかし現実として目の前にはその状態の二人がいる。いったいどうして……彼の脳裏に疑問が浮かぶ。もしかしたら連れてきた大志が知っているのかもしれない。ヘイルは、治療しながら大志に訊ねた。
『大志、お姉ちゃんとスグルトをこんなにした人って誰なの?』
大志は一瞬手を止め難しい顔をしたが、すぐに作業に戻る。
『……聞いてどうするんだ? 敵討ちでもするつもりか?』
大志の態度を見たヘイルは、大志がその人物を知っていることを悟る。しかし敵討ちは到底無理だった。何しろ、この街最強とも言える実力者二人が敗れるほどの人物。自分ではどうしようもなかった。いや自分だけではない。おそらくは、この街の人が誰一人として相手にならないだろう。
『そういうわけじゃないけど……ただ、知りたいんだ。お姉ちゃんとスグルトをこうしてあっさりと倒した相手を……』
『う~ん、あっさりってわけでもなかったけどな。お前のお姉ちゃんとスグルトは、本当に強かったぞ』
『ん? 大志、もしかしてお姉ちゃんが戦うのを見てたの?』
『見てたって言うか、その相手ってのは俺なんだよ』
『――――え?』
その瞬間、室内の空気が固まった。平然とする大志とは対照的に、ヘイルはガタガタと震え始めた。大志の言葉には、一切の偽りもないように感じた。当たり前のように、それが当然のように、アルヴァ達を倒したのが自分であると語った。
『……そ、それ、本気で言ってる?』
『本気だ』
『だったら何で――!!』
椅子に座っていたヘイルは勢いよく立ち上がった。
『――私が原因なんです』
突然、室内にステラの声が響いた。ヘイルと大志はその声の方向に目をやる。そこは部屋の出入り口で、ステラが立っていた。そして彼女は、フードを外していた。
『おいステラ、フードを……』
『いいんです大志さん。――ヘイルくん、私の“目”を見てください』
『……目?』
ヘイルはステラの顔を注視した。とても綺麗な顔だった。黒髪が似合う女性。そんな彼女の瞳は、紅い。
『―――ッ!!??』
ヘイルは壁際まで後退った。目の前にいる女性は、紅い瞳を宿している。それが意味することなど、一つしかなかった。
『ま、まさか……魔界人!!??』
『………はい』
『――ッ!!』
ヘイルは慌てて部屋の隅に走る。そこには、アルヴァのものと思われる剣があった。ヘイルはその剣を鞘から抜き、不恰好に構える。
『――な、何をしてる魔界人!! どうしてお前がこんなところに……!!』
『私は、大志さんの旅に同行してるだけです。本来大志さんだけなら、こんなことにはならなかったと思います。ですが、私が同行したことで、アルヴァさんは大志さんと戦いました。そしてスグルトさんも……全部、私のせいなんです』
『そんなこと関係あるか!! さっさと出ていけ!! さもないと―――!!』
『――さもないと、どうするんだ?』
叫ぶヘイルの言葉に、大志は静かに声を出した。
『決まってるだろ!? この剣であの魔界人を―――!!』
ヘイルがそう返した瞬間、大志は立ち上がり剣を奪い取る。そして、ヘイルの頬に平手を打った。
『―――』
ヘイルは固まった。頬には痛みが響く。大志の顔は、怒りは見えない。どこか悲しそうな顔をしていた。
『……ヘイル、お前が剣を向けたのは誰だ?』
『だ、誰って……魔界人……』
『違うだろ。お前が剣を向けたのは、“ステラ”だろ』
ヘイルには大志の言葉の意味が分からなかった。ステラは魔界人。だったら、違うことはない。
『で、でも、魔界人なんだろ!? 凶暴で! 残忍で! 天界を狙ってる魔界人だろ!?』
『いいかヘイル。お前は昨日までステラとどう接していた? 話して、一緒に飯を食べて、笑ってただろ? それが凶暴で残忍に感じたか?』
『そ、それは……正体を隠して……』
『確かに魔界人であることは隠していた。でもお前は、魔界人とは気付くことなく、ただ“ステラ”として接してたんじゃないのか? それが魔界人だと分かった瞬間に剣を向けるのか?』
『そ、それは……』
『ステラがお前に…アルヴァ達に何をした? お前には危害なんて加えてないし、アルヴァとスグルトを叩きのめしたのも俺だ。ステラじゃない。だったら、本来ならこの剣は俺に向けるべきじゃないのか?』
『………』
『ヘイル。お前の目で世界を見ろ。お前の目で、目の前のことを見ろ。そして自分の頭で考えろ。周りに流されず、自分の見たことを信じろ。
そしたらお前にも分かるはずだ。世界はこんなにも広いし、色んな柵や歪みがある。そこには正しいことも、そうとは思えないこともある。まずは自分の素直な目で、それを見ろ。
――それでも剣を向けるならかまわない。そんときは、俺が全力で相手する』
『………』
ヘイルは黙り込んだ。大志の目、黒く揺れる瞳は真剣そのものだった。ヘイルにも分かる。おそらくその時大志は、言葉通り全力で向かって来るだろう。ヘイルはそれがとても恐ろしかった。気が付けば彼の体は奮えていた。口が渇き、背中に嫌な汗が流れる。
『……怖いかヘイル』
『……うん』
『でも、剣を向けるってのはそういうことだろ。剣を向けるからには、それだけの覚悟が必要なんだよ。アルヴァもスグルトも、全てを懸けて俺に向かってきた。ケガすることも……死すらも覚悟してた。だからこそ俺もそれに応えた。……その結果が、これだ』
『………』
『生半可な覚悟で剣を向けるな。何も知らないのに剣を向けるな。剣を握るのは、お前がその覚悟を持ってからだ』
『……お姉ちゃんも、覚悟を?』
『アルヴァは、天界のことを考えていた。俺達を先に行かせるのは危険だと思ったアルヴァは、俺に向かってきた。そしてスグルトは、そのアルヴァの覚悟に同調し刃を向けた。――立派だったよ』
『………』
ヘイルは俯いてしまった。大志が語るアルヴァは、とても清々しく凛々しかった。本来なら兵士全てを動員できたはずのアルヴァは、たった一人で大志を止めようとした。それこそが彼女自身の覚悟にも思える。それに比べて自分はどうだろう。相手が魔界人だと知った瞬間に、何も考えず、ただ剣を構えた。剣を持った自分の手には何もない。それが虚しかった。
『……ヘイル、お前も強くなれ。いつか姉ちゃんを超えれるように、強くなれ。そして見つけるんだよ。お前自身の覚悟を。俺だってまだ分からないことは多い。アルヴァと比べれば小さな存在だ。だから世界を見て回りたいんだよ。
――だから、俺達はもう行く』
そう言い残し、大志はステラを連れて部屋を出始めた。ヘイルは何も言うことが出来ない。ただドアを開ける大志達を見ていた。
ふと、大志は立ち止まり、立ち尽くすヘイルに向け言った。
『そうそう、アルヴァが起きたら言っててくれ。
――追いかけたいならそうしろ。兵を送りたいならそうしろ。天界全土に御触書したいならそうしろ。それでも俺は先を行くってな』
『……そんなこと言って、もし天界全土の兵士に狙われたらどうするの?』
『決まってるだろ――』
そして大志は笑みを浮かべた。
『――それでも、進むだけだ―――』
「……そうか。大志は、そんなことを……」
「うん……。何も言えなかったよ。何も出来なかったよ」
話を聞いたアルヴァは、少し嬉しそうにしていた。大志はアルヴァを認めていた。アルヴァもまた大志を認めていた。魔界側であると思っていた大志が、天界である自分を立派だと言った。それが何だか嬉しく思えた。
「お姉ちゃん、これからどうするの?」
「これから?」
「大志のこと」
「――ああ、そうだな……」
アルヴァは、少し言葉を控える。そして天井を見上げた。
「……追いかけてみるか。大志が何をしてるのか。何をしようとしてるのか。――私は、それが知りたい」
「………」
ヘイルは、姉を見ていた。ボロボロになって敗北して、それでもアルヴァは美しかった。また別の何かを覚悟した顔をしていた。それが羨ましく思えた。だけど、今の自分には何も出来ない。姉に劣等感を感じて何もしようとしていなかった自分には何も出来なかった。
そして彼は一人静かに決意した。自分もまた強くなろうと。アルヴァに辿り着けないまでも、同じように覚悟を持てるだけの強さを掴もうと思った。彼は手を握り締めた。そして窓の外を見つめ、どこかを進んでいるであろう大志を思い描いた。
そんな彼の瞳は空の色を写す。雄大で透き通るような、綺麗な蒼色だった。
……この数年後、この街には初の魔法が使えない兵士長が誕生する。圧倒的な剣技をもって、魔法が使える相手を凌駕するほどの兵士長が。聡明で、全てを見渡す程の視野を持つ、町中の人が尊敬する兵士長が。
しかしそれは、また別の話である。
◆ ◆ ◆
アルヴァが目覚める時より少し遡る街道では、大志とステラが歩いていた。二人は英雄の街でのことを振り返る。
「……すみません大志さん。私のせいで、アルヴァさんと戦うことになってしまって……」
ステラは沈んだ表情で大志に謝る。
「それはステラのせいじゃないって。ある意味俺のせいだろうし」
「それこそ違いますよ。私が魔界人だからこそ、アルヴァさんは大志さんを危険視したんですよ。……やはり、天界は魔界を恨んでいるんでしょうね……」
ステラは寂しそうにそう呟く。しかし大志は、どこか納得いかない表情で頬を指でかいていた。
「……それ、たぶん違うと思う」
「違う?」
「ああ。アルヴァを見ただけだからまだ何とも言えないけど、天界は魔界を恨んでなんかいない。天界が持ってるのは、“恐怖”だろうな」
「恐怖…ですか?」
「そうそう。過去の魔界の進撃に、天界は恐怖を植え付けられたんだよ。だから魔界人に過剰に反応する。怖いからこそ奴隷として自分達を上に持ってこようとする。こんなところだろ。
――恐怖ってのは、人の視界を遮ってしまうもんなんだよ。目に見えない恐怖に煽られて、知るべきことを知ろうともせずに排除してしまう。それは、時には恨み以上に怖いもんだ」
ステラは、そう話す大志の顔をジッと見ていた。そして、ゆっくりと口を開く。
「……大志さん」
「うん?」
「鼻血、出てますよ」
「ふぁ!?」
大志は慌てて自分の鼻の下を拭う。拭った手には、赤い血が付いていた。全然気付いていなかったことが、無性に恥ずかしかった。
慌てて顔を拭う大志を、ステラは少し微笑みながら見ていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、悪い。……くあ~、恥ずかしいな。なんでいきなり―――――」
――と、次の瞬間、大志の動きが停止する。急に虚空を見つめ、動かなくなった。
「? 大志さん?」
「………」
ステラの呼び掛けに答えることなく、大志はそのまま前のめりに地面に倒れた。
「ッ!? 大志さん!?」
大志の意識は完全になくなっていた。先ほどまで立って歩いていた大志は、まるで糸が切れたマリオネットのように力なくうつ伏せのまま動かない。
「大志さん!! どうしたんですか!? 大志さん!!」
ステラは体を揺すりながら必死に呼びかける。だが、大志の意識は戻らなかった。
青空の下、驚きと焦りのステラの呼び掛けだけが、辺りに響いていた。
第三章 完




