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姉の恋人が、私に向いていただけのこと  作者: 成神 なるせ


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ep. 2 向いているのは、きっと私

第2話です。

妹視点を第1話と併せてどうぞ。

 それからしばらくのあいだ、私は、お姉様の恋人と偶然よく会った。


 もちろん、本当に偶然ばかりだったわけではない。


 けれど、わざとらしく近づいたつもりもない。

 お姉様が彼を家に招く日をなんとなく覚えていて、少し早めに廊下を通るようにしたとか、夜会で彼が来ると知っている場所へ出向いたとか、その程度のことだ。


 そんなもの、社交の場では誰でもやっている。

 会いたい相手の近くへ行くくらい、作法本にだって止められてはいない。


 最初に話したあの日から、彼は私に対してひどく親しげだった。


「また会えたね」


 夜会の広間でそう言って、彼は自然に私の隣へ立った。


「妹君は、もう少し人混みを避ける人かと思っていた」

「わたくしもそう思っていたのですけれど」

「けれど?」

「来る理由ができましたの」


 言うと、彼は少し目を細めて笑った。

 こういうところがいい。


 あからさまに受け取って浮ついたりしないのに、ちゃんと嬉しそうにする。


「それは光栄だな」

「光栄に思ってくださいませ」

「命令形だ」

「嫌でした?」

「まさか」


 私の言葉に、彼はくすくすと笑う。

 その横顔を見ながら、やっぱりこの方は分かりやすいな、と思った。


 褒めれば喜ぶ。

 頼れば張り切る。

 少し甘えれば、気を良くする。


 でも、それだけではない。

 機嫌の良くなり方が上品なのだ。


 ただ単純なだけなら、もっと露骨に鼻の下を伸ばす男の人はいくらでもいる。

 けれどこの方は、喜んでいてもそれが品を崩さない。上に立つ家に生まれた人の、そういう収め方を知っているのだろう。


 それが、私にはとても都合がよかった。


「アレクシス様」

「何かな」

「あちらにいらっしゃるラングレー侯爵夫人、わたくし少し苦手ですの」

「そうなのかい」

「話が長くて、しかも途中で逃がしてくださらないでしょう?」

「それはたしかに厄介だ」

「ですから、もし捕まってしまったら助けてくださいませ」

「先に頼まれてしまった」

「だめですか?」

「だめなわけがない」


 やっぱり分かりやすい。

 頼られるのが好きなのだ、この人は。


 それも、露骨な芝居じみた甘えではなく、少しだけ困ったふうに言われるのがいちばん効く。


 その後、本当に侯爵夫人に捕まりかけた時、彼はきちんと助けに来た。

 しかも、相手の顔を立てながら、自然な理由をつけて私を会話の輪から引きはがす。無理がなく、失礼でもない。


 こういうところを見ると、やはり中身がないわけではないのだと思う。


「ありがとうございました」

「約束だったからね」

「それでも素敵でしたわ。ああいう時に、あんなに綺麗に話を切れる方、そうそういませんもの」

「褒めても何も出ないよ」

「褒めたくて褒めてるんですの」


 私がそう言うと、彼は少しだけ照れたような顔をした。


 可愛い。


 男の人に向かって思うことではないのかもしれないけれど、でも可愛いものは可愛い。

 ちゃんと格好をつけたいくせに、褒められると嬉しいのが顔に出る。そのくせ、露骨に浮かれた顔まではしないところが、なおのこといい。


 私はこの頃にはもう、彼のことをかなり好きになっていた。


 顔が良くて、話していて楽しくて、ちゃんと人を助ける気遣いもある。

 しかも、公爵家の嫡男で、立場も華もある。


 こういう人が目の前にいて、欲しくならないほうが無理でしょう。


 そして何より、彼は私といる時のほうが、明らかに楽しそうだった。


 それは、私の思い上がりではないと思う。

 だって、お姉様と彼が並んでいる時の空気は、いつも少し硬いのだ。


 二人で話していても、そこにあるのは安心とか信頼とか、そういうきちんとしたものだ。

 でも、胸が弾む感じがない。


 お姉様は彼を値踏みしているわけではないのだろうけれど、どこかでずっと、ちゃんとしているかを見ている。

 彼もまた、お姉様の前では少しだけ姿勢が良すぎる。


 その点、私の前では違う。

 少し冗談を言って、少し崩れて、少し気を抜ける。


 たぶん彼は、その違いに自分で気づいている。

 気づいていて、こちらを見ている。


 ある夜会で、お姉様も交えた立ち話になったことがあった。


 彼は最近の領地経営の話をしていて、お姉様はそれに対していくつか鋭い意見を返していた。内容はたぶん正しい。実際、彼も真剣に聞いていた。


 でも、お姉様の言葉は、少しも彼を浮き立たせない。


「今年は人手を集めるより、まず古い慣習の整理を優先されたほうがよろしいかと」

「なるほど。たしかに、余計な手当が二重になっている箇所はあった」

「ええ。そこを削れば、秋の前にかなり整うはずです」

「君は本当に、そういうことによく気がつくね」


 彼は感心したように言った。

 けれど、その最後の一言にある微かな引っかかりを、私は聞き逃さなかった。


 褒めているようでいて、少し距離がある。

 すごいね、助かるよ、ではなく、よく気がつくね。

 ありがたくは思っていても、胸が躍っていない褒め方だ。


 私は横から口を挟んだ。


「でも、古い慣習って、残しておいたほうが喜ぶ方もいらっしゃるでしょう?」

「いるね。特に年寄りは」

「でしたら、全部切ってしまうより、形だけ残したほうが揉めませんわ」


 私は扇を軽く傾けた。


「お年寄りって、失くなることより、ないがしろにされるのを怒るんですもの」


 一瞬の間のあと、彼がふっと笑う。


「……それはそうだ」

「でしょう?」

「君は、そういうところを見るのが上手いな」

「わたくし、難しいことは苦手ですけれど、人の機嫌は割と分かりますの」

「そのほうが、案外大事かもしれない」


 彼がそう言った瞬間、お姉様の目が冷えた。


 けれど、私は構わなかった。

 だって本当のことだもの。


 帳簿を全部読めなくても、人がどこでへそを曲げるか分かれば、進む話はたくさんある。

 貴族社会なんて、特にそうだ。


 皆が皆、頭の良さで動いているわけではない。

 気分や見栄や面子のほうが、よほど大きく物を決める。

 そこを気持ちよく回せるなら、それも立派な能力でしょう。


 私がそういうのを勉強と思ったことはあまりないけれど、でも、できるのだから仕方がない。


 会話のあと、お姉様は露骨に機嫌が悪くなった。

 彼が席を外した途端、私を見て言う。


「あなた、最近ずいぶん出歩くのね」

「そうかしら」

「とぼけないで」

「別に、とぼけてはいませんわ」

「アレクシス様のいらっしゃる場所ばかりに顔を出しているでしょう」


 はっきり言われてしまって、私は少しだけ瞬いた。

 お姉様は昔からこういうところがある。思ったことをそのまま言う時だけ、妙に遠回しでなくなる。


「それが何か?」

「何か、ではないわ」

「お姉様だって、彼に会いに行かれるでしょう」

「私は恋人です」

「わたくしは違う、というだけ?」

「そうよ」


 私はそこで少し首を傾げた。

 やっぱり、納得がいかない。


「お付き合いって、そこまで絶対の札になりますの?」

「リリア」

「婚約でもないのに」

「それでも節度というものがあるでしょう」

「節度なら守っておりますわ。公衆の面前で抱きついたりしていませんもの」

「そういう問題ではなくて!」


 珍しく、お姉様が声を荒げた。

 その声に、近くの令嬢たちがちらりとこちらを見る。


 お姉様はすぐに気づいて唇を噛み、私の手首を取って人気の少ない回廊へ引っ張っていった。


 少し乱暴だ。

 でも、その乱暴ささえ、お姉様には似合わない。

 怒っているのに、怒り方が不器用なのだ。


「本当に、どういうつもりなの」


 回廊に出るなり、お姉様は低く言った。


「どうもこうも、ありませんわ」

「あなたは昔から、私が持っているものにばかり」

「それは違います」


 私はきっぱり言った。


「お姉様のものだから欲しがったことなんて、一度もありません」

「……本気でそう言うのね」

「ええ。欲しいものが、たまたまお姉様の手の中にあっただけです」


 お姉様の顔が、瞬時に強張る。

 ああ、また言いすぎたかもしれない、と思う。

 けれど、取り繕う気にはなれなかった。


「最低ね」

「そうかしら」

「自分で言っていて恥ずかしくないの」

「恥ずかしい理由が分かりませんもの」

「あなたは」


 お姉様は息を詰め、それから吐き出すように言った。


「人を傷つけることに、あまりにも鈍感だわ」


 その言葉は、少しだけ心に引っかかった。

 あまりにも、と言われるほどかしら、とは思う。

 でも、まったく分からないわけでもない。


 私はお姉様のことが好きではない。

 いつも張りつめていて、何でも正しさで量って、こちらにまでそれを押し付けるから。


 でも、嫌いだから傷つけたいと思ったこともない。

 面倒だとは思うけれど、わざわざ泣かせたいわけではない。


 それでも、結果として傷つくのなら、それはもう仕方がないのではないかしら。


「お姉様」


 私は少しだけ声をやわらげた。


「わたくし、お姉様のことを困らせたいわけではありませんの」

「だったら」

「でも、あの方、お姉様に求めているものと、わたくしに求めているものは違うでしょう?」

「何を……」

「求められてることを、読み違えるからよ」


 お姉様が、短く息をのんだ。

 前にも同じことを言った。けれど今度は、もう少しだけ、ちゃんと説明できる気がした。


「お姉様は、有能で、しっかりしていて、間違えないでしょう」

「だから何」

「だから、あの方はお姉様に安心してる」


 私は小さく息を吐いて言った。


「でも、安心するのと、ときめくのは別ですわ」


 お姉様の指先がぴくりと震えた。

 痛いところだったのだろう。

 でも、そこを避けて話しても仕方がない。


「男の人って、頼もしい女の人が好きでも、それだけじゃ満たされないことがあるでしょう?」

「随分、男のことが分かったような口をきくのね」

「分かりやすい方のことしか分かりませんわ」


 私は肩をすくめた。


「でも、アレクシス様は分かりやすいほうですもの」

「……やめて」

「褒めたら嬉しそうになるし、頼ったら張り切るし、少し近くに寄れば、ちゃんと意識してくださるでしょう?」

「やめなさい」

「どうして? 本当のことでしょう」

「やめて!」


 お姉様の声は、今度こそ切羽詰まっていた。


 私は黙った。

 怒鳴られたからではない。その顔が、少し、見ていられなかったからだ。


 ひどく傷ついた顔だった。

 それでも気丈に立っていようとして、余計に痛々しい。


 少し間を置いてから、お姉様は低く言った。


「それで満足?」

「何がですの?」

「私より、自分のほうが合っていると証明して」

「証明というほどのことでは」

「リリア」


 私は口を閉じた。


 たしかに、私はそう思っている。

 お姉様より、私のほうがあの方には向いている。


 でも、それをお姉様の前で素直に言うほど、私も子どもではない。


 ……いえ、少しは子どもかもしれない。

 少なくとも、お姉様ほど上手く黙れない。


「満足、ではありませんわ」

 私は正直に言った。

「まだ何も手に入っていませんもの」


 その瞬間、お姉様が私を見る目が、決定的に変わった。

 もう話にならないと思ったのだろう。

 軽蔑と怒りと諦めが、一度に混ざった顔だった。


「あなたとは、もう話したくない」

「お姉様」

「せいぜい好きにしたらいいわ」


 お姉様は踵を返した。


「でも、あなたが何をしても、私は絶対に認めない」


 その背中を見送りながら、私は小さく息をついた。


 やっぱり、お姉様とは合わない。

 昔からずっとそうだったけれど、今はそれがいっそうはっきりした気がする。


 私は別に、戦っているつもりはない。

 勝ち負けを決めたいわけでもない。

 欲しいものがあって、手を伸ばしているだけだ。


 それなのにお姉様は、最初から傷ついた顔をして、まるで私が何かを壊しに来たみたいに見る。


 壊れるのなら、最初から危うかったのではないかしら。


 夜会のあと、帰りの馬車の中でもお姉様はひと言も口をきかなかった。

 私はそれを別に気にしなかったし、母も父も、二人の間に流れる妙な空気には気づいていないようだった。


 たぶん、あの人たちは、私たち姉妹のこういう空気に慣れすぎているのだろう。


 数日後、また彼と会った。

 今度はお茶会だった。


 お姉様も同席していたけれど、席が少し離れていて、私は彼と話す時間を十分に持てた。


「この前はずいぶんお姉様に睨まれてしまいましたの」


 冗談めかして言うと、彼は苦笑した。


「……気づいていたんだね」

「気づきますわ。あんなに分かりやすいんですもの」

「すまない」

「どうしてアレクシス様が謝るんですの?」

「君を巻き込んでいる気がして」


 その言葉に、私は少しだけ目を丸くした。

 巻き込んでいる。

 そういう言い方をするのだ、この人は。


「巻き込まれるの、嫌いではありませんわ」

「それは危ない発言だ」

「危ないですか?」

「僕が喜ぶ」


 私は思わず笑った。

 ずるい。

 こういう返しが、やっぱり上手い。


 でも、その直後だった。


 彼の視線が一度だけ、お姉様のほうへ向いた。

 向いて、すぐに戻った。

 そのほんの短い一瞬に、私は見てしまった。


 困っている。

 面倒がっている。

 そして、少しだけ、もう決めている。


 ああ、と私は思った。


 この人はもう、お姉様のほうを向いていない。


 もちろん、まだ恋人同士なのだろう。

 別れたわけではない。


 でも、心がもう片方を向き始めた時、人は案外あっさり元の位置には戻れない。

 特に、自分にとって楽なほう、心地よいほう、機嫌よくいられるほうを知ってしまったあとでは。


「アレクシス様」

「何かな」

「わたくし、この前からずっと思っていたのですけれど」

「うん」

「あなた、お姉様といる時より、わたくしといる時のほうが笑ってくださいますね」


 彼は、すぐには答えなかった。


 否定するなら簡単だったはずだ。

 そんなことはない、と笑ってしまえば済む。

 けれど彼はそうしなかった。


 ただ少しだけ困ったように目を細めて、それから視線を逸らした。


 その動きは、私を満足させた。


 人は、心にもないことなら案外すぐ口にできる。

 でも、本当のことほど、きれいには誤魔化せない。


「……君は、時々、ひどく鋭いね」


 低く落ちたその声に、私は思わず笑ってしまう。


「鋭いのではなくて、分かりやすいんですもの」

「そうかな」

「ええ。気を許した相手の前では、ちゃんと顔がやわらかくなるでしょう?」

「君は本当に」


 彼は言いかけて、途中でやめた。

 困っているようでもあり、少しだけ観念しているようでもある顔だった。


 ああ、と私は思う。


 この方は、自分でも気づいているのだ。

 もうお姉様のほうだけを見てはいないことを。

 私といる時のほうが楽で、心地よくて、機嫌よく笑えてしまうことを。


 なら、あとは時間の問題でしょう。


 たぶん、もう遅いわ。


 お姉様のためにではない。

 私のためにでもない。

 あの方自身が、自分の気持ちをごまかしきれないところまで来ている。


 それが分かるだけで、胸の奥が甘く満ちる。


 欲しいものが、こちらへ来ようとしている。

 私はただ、それを受け取ればいい。


 その時だった。


「君といると」


 彼が、ひどく静かな声で言った。


「……変に気を張らなくて済む」


 私は扇を持つ指先に、少しだけ力を込めた。


 言ってしまった、という顔を彼はしていた。

 たぶん本音だった。

 たぶん、言うつもりのなかった本音。


 そして、ああいう本音は、一度こぼれたら戻らない。


 私は何も答えなかった。

 答えなくても、もうよかったから。


 この人はもう、お姉様との関係を、前と同じままでは見ていない。


 決定的な言葉には、まだなっていないのかもしれない。

 でも、心がゆっくりほどけるほうへ、もう足を踏み出してしまっている。


 ならあとは、この人が自分で決めるだけだ。


 もう、気づいていないふりはできない。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

次回、第3話は恋人視点。明日更新予定です。


ぜひ、ブックマークしてお楽しみください。

リアクション、評価も、ぜひぜひよろしくお願いします。

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