4-30.読み書きの勉強
翌朝から、早速ゾーラたちによる教育が行われた。ゾーラ先生の前にホイ含めて五人で座る。僕やティナには不必要なんだけど、手伝いだ。
とりあえず、読み書きの内の読みの方をある程度習得させるが当面の目標だ。
書きは絶望的だ。なにしろホイはペンも持ったことがない。もっと簡単な道具の使い方から覚えてもらわないと。ペンより先にスプーンだな。
「最初は文字を覚えて貰うところから。自分の名前を認識するのが第一歩。次に、身近で簡単な単語を読めるようになってもらう。動物や食べ物の名前ね」
「ホイの身近な動物や食べ物って?」
「無さそうなのが問題ね。生まれてこのかた、狼と人間くらいしか見たことなさそう」
「それ、お祭りまでの数日で覚えられるかしら」
「無理ね。普通に教えたら、文字を覚えさせるので精一杯」
「アタシたち復習って言っても、それは簡単すぎて意味ないんだけど」
「わかってるわよ。だから、あなたたちも一緒に教えるの。それからヨナくんとティナも」
「え? 僕?」
「家中の物にこれを貼り付けて名前を書いて」
紙の束を渡したゾーラは、そのうち一枚を手に取り筆で自分の名前を書いて胸元に貼り付けた。胸の谷間を出している素肌に直接糊でつけたわけだ。服の上じゃなくていいのだろうか。
「日常的に物の名前と書き方を覚えてもらうの。もちろんあたしたち人間も例外じゃない。名札をつけて、人間の名前を覚えてもらう。もちろんホイ自身も、これから家族になるオルソンたちのもね」
「なるほどな」
キアは納得して、自分の名札を剥き出しのお腹に貼り付けた。ゾーラの真似をして素肌につけなくても良いとは思うのだけど、アンリも少し迷った挙げ句に太ももに貼った。
「三人とも、なにやってるんですか」
ティナは紙を二つ折りにして、襟に挟むようにつける。よし、僕も真似させてもらおう。
「はい、ホイも。あなたの名前はこう書くのよ」
ゾーラはホイにも同じように名札をつけて、それから対面して紙に文字を書き始めた。
「文字っていうのは記号なの。下手でもいいから、他人に判別出来るように書ければ上出来」
「きご、きごう?」
「あー。わかんないかー」
ホイはここまで、ゾーラの言ってることを半分も理解できてなさそうだ。
「ゾーラの言うことは難しいのよ」
「アタシも習い始めた時、意味わかんなかったぜ」
「元から都会にいて頭が良かったゾーラとは違うのよ」
「いいでしょ別に。今は理解できるようになったんだから。ホイ、文字を書くから、あなたはそれを真似して、指を動かしなさい。その文字の発音をしながらね。そうやって文字を覚えていくの。キアとアンリは両側から、同じことをしなさい」
こんな感じで文字学習が始まった。
僕たちは名札の貼り付けだな。家中を動き回らないと。
「やりますか、ヨナ様」
「うん。まずは食堂から」
テーブル、椅子、キッチンの皿にコップ。食事をする時は、皿の前に料理名を書いた札を置くのかな。
窓から、庭にいるもふもふが目に入った。僕たちが名札をつけてるのに、もふもふだけ無いのは不公平だよね。
窓に札を貼ってから外に出る。
「どっちで書きますか? 馬か、もふもふか」
「馬をもふもふって名前で覚えるのはまずいんじゃないかな?」
「確かに。けど、馬って名札にしたら、アンリさん怒りますよ?」
「それもそうか」
"もふもふ"と書いて鞍に貼り付ける。
「オルソンさんはお仕事でしょうか。リーサさんは家にいますよね」
「うん。名札つけてもらおう」
家の扉と、両脇にあるランプにも札を張って、中に入る。靴箱と、中の靴にもしっかりと貼った。
リーサの姿はすぐに見つかった。名札の件を話すと大喜びで了承した。
「わかりました! ホイのためですもんね」
「ホイさんを家族として迎えること、リーサさんは嬉しいですか?」
「それは……戸惑いもありますけれど。特に、父から聞かされていた叔父の子供ですし。それでも血の繋がった家族じゃないですか。ちゃんと普通に暮らせるようになれば、それは嬉しいです」
「そうですか……」
ティナの口調にどこか迷いがあるのは、ホイがリーサに向ける目にこもった熱のせい。
リーサはホイを、不幸な生い立ちの従弟だと思っている。けどホイは違う見方をしているはずだ。
結局、ホイの恋は叶うことなどないけれど。まずは大人の情緒というものを身に着けないといけないらしい。
それがなんなのか、十二の僕にはよくわからない。
オルソンが帰ってきたら、リーサの方から名札の件は話してくれるとのこと。あとは。
「姉さんはどうしましょうか」
「あー……。あの人は、こういうのに協力的ですか?」
「いいえ。全く」
「そうですかー」
予想はしてたけど。
ナーサはホイの存在自体は、今朝食事をした時に知った。けれど興味を示さないばかりか、気持ち悪い存在と捉えたらしい。すぐに部屋にこもってしまった。
どうせオーゲル家とは離れるのだから、新しい家族に興味はないのだろう。
一応、三人でナーサの部屋まで行って声をかけてみた。
「放っておいて! そんな馬鹿なことするはずないでしょ!」
「でも、家族の中で姉さんだけ仲間はずれになるし」
「やらないから! わたしは城主夫人よ! そんな馬鹿げたものつけられない! あの男を視界に入れたくもない! というか、冒険者なんか家に住ませないで! 庶民なんかと一緒にいたくない!」
ホイだけではなく、僕たちにも好印象はないと判明した。好かれてはないとは思ってたけれど。
「ごめんなさい。姉さんが酷いことを。ドラント様との結婚しか頭にないようで。それで、叔父と村のことを聞いて縁談が揺らいで、ショックを受けているそうなんです」
「いえ。気にしないでください。リーサさんも張り紙をするの、手伝ってくれませんか?」
「はい! もちろんです!」
リーサも家のあちこちに札を貼り始めた。




