揺れる世界、戻る安心
ベンチを離れたあとも、胸の奥がふわふわしていた。
耳元で、淡い青色のピアスが小さく揺れるたびに、現実だと教えられる。
寮へ戻る夜道。
風は少し冷たく、でも不思議と寒くない。
――戻った。
そんな感覚が、じんわりと広がっていた。
ここ最近、ずっと感じていた違和感。
エルンストが、エルンストなのに、少し遠くて。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、霧一枚隔てたみたいで。
それが、今日はなかった。
ただ、隣にいる。
それだけなのに、世界が落ち着く。
「……なあ」
歩きながら、エルンストが静かに声を出す。
「最近、変な感じがしなかったか?」
心臓が、ひくりと跳ねた。
「……した」
正直に答える。
隠す意味がない気がした。
「なんていうか……世界が、勝手に進んでいく感じ」
エルンストは足を止めた。
私も立ち止まる。
月明かりに照らされた横顔は、いつもの凛とした騎士のそれで。
でも、瞳の奥は少し揺れていた。
「俺もだ」
短く、でもはっきり。
「気づいたら、俺じゃない俺が動いてるみたいで。
言ってない言葉を言って、選んでない選択をしてる」
……同じだ。
「でも」
エルンストが、私を見た。
「君が名前を呼ぶと、戻ってくる」
その言葉に、息を飲む。
「アイナが俺を呼ぶと……霧が晴れるみたいに。
ちゃんと、ここに立てる」
そっと、私の耳元へ視線が落ちる。
淡い青のピアス。
「だから、渡した」
指先が、空をなぞるように近づいて、触れない。
「揺れても、戻る場所があるって……思い出せるように」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「エルン……」
名前を呼ぶと、彼の瞳が確かに熱を帯びる。
「ほら」
小さく笑う。
「今も、戻っただろ?」
……ずるい。
こんなの、安心しないわけがない。
世界は、まだ揺れている。
イベントみたいな出来事は、勝手に起きる。
桃色の髪も、銀色の瞳も、遠くで交差している。
それでも。
呼べば、戻ってくる。
触れれば、ここにいる。
「……明日から、船だね」
話題を変えると、エルンストは頷いた。
「ああ。揺れるぞ、色々」
意味深な言い方に、思わず笑ってしまう。
「その時は?」
「呼べ」
即答だった。
「何度でも戻る」
夜風が、静かに吹き抜ける。
揺れる世界の中で、
確かに残ったものが、ここにあった。
私は、耳元のピアスにそっと触れて、もう一度名前を呼んだ。
「エルン」
「ああ」
世界が、少しだけ、安定した気がした。




