吐き気とバケツ
訓練所に整列した治癒魔術科。
今日も今日とて、床は硬く、空気は重く、教官は元気いっぱいだった。
……帰りたい。
そんな私たちの心をまるっと無視して、教官は両手を叩いた。
「基礎は出来上がった。次は――魔力を“出す”のではなく、“取り込む”特訓だ」
(……は?)
全員の顔に、同時に浮かぶ疑問符。
言葉の意味は分からないが、嫌な予感だけははっきりしている。
そして。
配られたのは――バケツ。
「……え?」
誰かが小さく声を漏らした。
その声に、全員の視線がバケツへ集まる。
銀色。
無駄に深い。
やけに実用的。
「習うより慣れろ」
来た。
来てしまった。
治癒魔術科名物・無茶振り宣言。
教官は一人の生徒を指差し、にこやかに手招きした。
呼ばれた生徒の顔色が、目に見えて死ぬ。
「はーい!流しまーす」
軽い。
あまりにも軽い声。
次の瞬間。
教官から放たれた魔力が、強制的に生徒の体内へ押し込まれた。
治癒じゃない。
調整でもない。
魔力そのもの。
身体の中に、異物が雪崩れ込んでくる。
「っ……!」
生徒は一歩よろけ、次の瞬間――
「うぇぇぇぇ……っ!!」
バケツへ、盛大に。
音と共に、心が折れる音が聞こえた気がした。
そのまま膝から崩れ落ちる。
シーン……
誰も、動けない。
カラン、と。
誰かのバケツが手から落ちた音だけが、やけに響いた。
教官は真顔で頷いた。
「はい、今のが魔力枯渇時の緊急対応だ」
(今のが!?)
「魔力供給、魔力循環、魔力送流。覚えておくように」
つまり――
他人の魔力を、自分の身体に取り込む。
簡単に言えば、そういうこと。
現実は、そう甘くなかった。
順番が回ってくる。
逃げ場はない。
押し込まれる魔力。
胃がひっくり返る感覚。
視界がぐらつく。
「……っ、むり……」
涙が出た。
膝が崩れた。
バケツと目が合う。
そして、吐いた。
吐いて、吐いて、吐いて。
バケツが、相棒になった。
誰だよ。
「オラに力をわけてくれ!」とか言って、
軽々と他人の魔力を取り込めてたキャラは。
現実は。
全然、キラキラしてない。
友情パワーとか、感じる余裕ゼロ。
胃と頭と魂が同時に悲鳴を上げている。
「……なんてこった……」
床に座り込んだまま、そう呟く。
教官は満足そうだった。
「いい反応だ。では次、二巡目いこうか」
治癒魔術科。
泣いた。
吐いた。
でも――
また一つ、
生き残るための技術だけは、
確実に身体に刻まれていった。




