隣国からの留学生
合同訓練へ向かう回廊は、春先の冷たい光に満ちていた。
冬の名残を残した石床はひんやりとして、足音がやけに響く。
エルンストとヴィルの間を歩きながら、私は深呼吸する。
新学期の空気。
少し浮ついて、少し張り詰めている。
その時だった。
向かいから歩いてくる一団。
視線が、自然と引き寄せられる。
――知っている。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「……レオン・ヴァルグ」
ほとんど息に紛れるほど小さな声で、無意識に名前が零れた。
金髪。
鋭く光る眼差し。
歩き方に、遠慮がない。
隣国公爵家の後継者。
優雅で、堂々としていて、危険な男。
ゲームの記憶が、一斉に蘇る。
選択肢を奪う人。
逃げ道を潰す人。
踏み込んだら、戻れないルート。
――まずい。
反射的に、私は一歩下がった。
エルンストの背中。
ヴィルの肩。
二人の後ろへ、すっと身を隠す。
気配を消す。
呼吸を浅くする。
エルンストとヴィルが、同時に足を止めた。
「……今、言ったな」
低い声。
エルンストの声音には、鋭さが混じっている。
ヴィルも視線を動かさず、小さく息を吐いた。
「フルネーム、だな」
しまった。
二人とも、気づいている。
私が“知っている”ということに。
向かいの青年――レオン・ヴァルグは、こちらを一瞥した。
ほんの一瞬。
けれど、獲物を値踏みするような視線。
背中が、ぞわりと粟立つ。
指が震える。
(見ないで)
心の中で、そう願う。
幸いにも、彼は立ち止まらなかった。
何事もなかったかのように、すれ違っていく。
遠ざかる足音。
その瞬間、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「……はぁ……」
自分でも驚くほど、息を止めていたらしい。
何事もなかった顔を作って、振り返る。
「はやく行こう!」
そう言って、私は二人の腕を引いた。
明るく。
いつも通りに。
エルンストとヴィルは、一瞬だけ視線を交わす。
言葉はない。
だが、空気が変わった。
――今のは、なんだ。
二人とも、そう思っているのが分かる。
私だけが知っている。
今すれ違った存在が、どれほど厄介で、危険か。
胸の奥に、重たいものが沈んだ。
春の学園。
新学期。
その裏側で、静かに歯車が噛み合い始めた音がした気がした。




