第3話 出会いは突然に
キィン
「ギャアアアー!」
甲高い音と共に野太い悲鳴があがり、ごろごろと2メートルを超える茶色の毛むくじゃらの生き物が地面を転がっていく。
手をかばいながらのたうち回っていたその生き物は、起き上がると四つんばいの体勢でミツキを憎々しげに睨みつけながら牙をむいて威嚇を始めた。
この土竜の源泉付近に生息する代表的なモンスターであるドラゴンモールの姿を、ドキドキしながら見つめていたミツキだったが大きく息を吐いて心を落ち着ける。
「びっくりしたー。しかし、さすが聖龍のひげ。ドラゴンモール程度の攻撃なら跳ね返せるのか」
ミツキが右腕を軽く振る。五本の指の先からは白銀にきらめく細い糸が垂れ下がっていた。
ラティアの主力装備の一つである聖龍のひげは、文字通り聖龍というイベントボスを倒すとまれにドロップするひげを武器として加工したものだ。
武器の形態は『糸』。最近実装されたばかりのイベントボスの、更にレアドロップということもあり現状の糸装備の中では最強の名をほしいままにするほどの強さがあった。
「シャー!!」
ドラゴンモールが一際大きく威嚇の声をあげ、その爪を再び振り上げる。しかしその先が向かったのはミツキではなく真下の地面に向けてだった。
まるで硬い地面が柔らかいプリンのように掘られていく様子にミツキが慌てて右手を振る。
「いけ!」
ミツキの言葉に従うようにドラゴンモールに向けて5本の糸が伸びていく。そして今まさに掘っている穴に飛び込もうとしたドラゴンモールの四肢、そして首を拘束した。
「プギャ!」
糸に引っ張られ地面へ顔面からダイブしたドラゴンモールが珍妙な悲鳴をあげる。仰向けで大の字に地面に倒れ伏したその姿に、主人に甘える犬を幻視し、ミツキはうっすらと微笑んだ。
もちろん当のドラゴンモールにそんなミツキの思いが伝わるはずがない。
ドラゴンモールはすぐさま首をぶんぶんと振ると、勢いのままひっくり返ろうと体を跳ねようとし……まったく微動だにしない自分の体をいぶかしむ様に首を傾げる。
「聖龍のひげとラティアのステータスがあればドラゴンモールは拘束可能かー。中級者の壁を拘束できるのは妥当と言えば妥当かな?」
そんなことを呟きながらミツキがドラゴンモールに近づいていく。
ドラゴンモールはなんとか拘束から逃れようと体を暴れさせているが、四肢と首をがっちりと固められ、その糸を余計に食い込ませる結果にしかならない。
それでも届かない爪を必死に向け、抵抗の意思を見せ続けるドラゴンモールの姿にミツキは違和感を覚える。
しかしその原因にミツキがたどり着く前に、事態は進んでいた。
ヒュン
風切り音を耳に捕らえてミツキが視線を上げると、その視界に薄緑の膜をまといながら迫り来る矢が入ってきた。
反射的にミツキはドラゴンモールの拘束を解き、自分の前面を守るように糸を展開したがその努力は無駄に終わる。
トスッという矢が何かに突き刺さる音が辺りに響く。
脳天にピンポイントで突き刺さった矢が、つい先ほどまで元気に暴れていたドラゴンモールの息の根を止めた。
地面に手足を投げ出した姿勢のままピクリとも動かないドラゴンモールから視線を外し、ミツキが顔を上げる。岩の上に乗り次の矢を番えたまま警戒していた射手の男は小さく息を吐き、矢筒に番えていた矢を収めると軽やかに地面に降り立った。
「嬢ちゃん、怪我はないか?」
安心させるかのような低く優しい声で呼びかけてくる20代前半と思われる黒髪の男の頭をミツキが見つめる。いや、正確に言えばその頭から生えている犬耳をだが。
(黒犬もなかなかいいな。装備的に見て中級者ってところか)
ドラゴンモールの革が使われた男の胸当てなどから推察しつつ、ミツキは安堵の息を吐く。ここで人に会えたのは重畳だ。なにか対応するにしても早いに越したことはないのだから。
「すみません。ちょっとバグが起きてしまったようでこんな姿なのですが、私は人形師のミツキです。運営に連絡をしたいのですがウィンドウも開けないありさまで。変わりに連絡していただけますか? もちろんそれなりのお礼はさせていただきます」
ミツキは現状を話し、助けを求めた。運営に連絡するだけならボタン一つで終わる。お礼もすると伝えてあるし、これでなんとかなるだろうとミツキは思っていた。
ミツキはトワイライトメモリーではそれなりに名の通ったプレイヤーの一人だ。
一線級の生産職であるのはもちろんだが、以前起こった人形使いブームの火付け役になった人形がミツキの作であり、そのあまりの職業の偏りように人形使いが弱体化するよう運営がパッチをあてる事態になったことがあるのだ。
そういった経緯からプレイヤーの多くは多少なりともミツキの名を耳にした者も多いのだが。その男の反応はミツキの予想とは違い、眉根を寄せて首を傾げるというものだった。
「運営? 領主様のことか?」
「いや、ゲームの運営です。もしかしてNPC? だとしたら……コール」
「嬢ちゃん、なにやってんだ? とりあえずこの辺は危ねえから戻るぞ。異変の調査も終わってねえってのに、厄介なもん拾っちまったな」
頭をぼりぼりとかいて面倒くさそうにしながら男がミツキの手を引いて歩き出す。男の心情を表すかのように、へにょんと垂れてしまった尻尾になんとなく目をやりながらもミツキの頭は疑問で埋め尽くされていた。
ミツキの発した「コール」という言葉は、あまり知られてはいないがNPC経由で運営に連絡をとるための方法だ。
以前、面倒事に巻き込まれた時にミツキは一度使用したことがあり、停止したNPCを介してヘルプデスクに繋がり話すことができていた。しかし目の前の犬獣人の男が止まる様子は全くない。
(バグでコールもきかなくなってる? そんなことは……)
考え事をしながらのため、遅い足取りのミツキの手を律儀に引きながら獣人の男は歩いていく。ピクピクとその犬耳を動かし周囲を警戒しながら。
ミツキの中の違和感が膨らんでいく。
(あんなに耳って動いたっけ? それに尻尾だって)
ミツキの客にも獣人を選んだ者はたくさんいる。それに生産者のクエストをこなすために協力を依頼した者たちの中にも獣人はいた。
彼らを見たミツキの感想は、コスプレみたいだ、というものだった。もちろんコマンドや特定の行動をした場合、自然な形で耳や尻尾を動かすことはできる。しかし移動中や戦闘中などはただのアクセサリーのようにぶらぶら揺れるだけだった。
(アップデートしていた? にしても動きが自然すぎる。それにそれ以外のことも……)
ラティアの体で目覚めてから、ずっとミツキは違和感を覚えていた。バグのせい、ラティアの体のせい。そんな風に考えていたが、それを振り払うようにミツキは首を振るとその足を止めた。
「少し待っていてください」
「あっ、おい。嬢ちゃん、どこ行くんだ!」
腕を振り払い、来た道を引き返していくミツキを唖然とした様子で男が眺める。驚きのあまり固まっていた男だったが、ミツキの背中が小さくなっていく様子に慌ててその後を追い始めた。
「くそっ、今日はとことんついてねえ。報酬ははずんでもらうからな、クソジジイ」
一瞬だけ街の方向へと振り返り、今ここにいない誰かに向けて悪態をついた男は、面倒くさそうに尻尾を一振りすると走る速度を上げたのだった。
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これからしばらくは複数話投稿していくつもりです。
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