第43話「芽生えた自信」
一週間後の夕方。
レッスン着姿のひなたは、ポンテ広場にいた。
HONOKAとのレッスンは、一時間後。
少し早めに来て、前回教わったステップを確認している。
スマホから『流星エトワール』を流し、鏡の前で同じ動きを繰り返す。
右。
左。
重心を移して、次の一歩へ。
先週は、ひとつひとつ頭の中で数えていた。
でも今は、足が少しだけ、先に動いてくれる。
余裕があるわけではない。
練習の疲れも、まだ身体の奥に残っている。
それでも、不思議と身体は軽かった。
何度目かのステップを踏んだところで、後ろから声がした。
「だいぶ足は動くようになってきたみたいやな」
振り向くと、HONOKAが立っていた。
「あ……HONOKAさん、お疲れ様です」
「おつかれ」
「ちゃんと三つのステップ、できてるやん」
「ありがとうございます」
ひなたは少し照れたように笑う。
HONOKAは、その足元を見てから、スマホを取り出した。
「それじゃ、一度通しでやってみよか」
「はい」
HONOKAがスマホを操作する。
小さなスピーカーから、『流星エトワール』のイントロが流れ出した。
ひなたは、迷わずに一歩目のステップを踏んだ。
Aパート。
Bパート。
そして、サビ。
前とは違う。
ステップが、音についていけている。
足元だけを追いかけていた時より、手の動きも自然につながっている。
腕を上げるタイミングも、視線を前に向けるタイミングも、少しだけ分かる。
足が動くと、腕に少し余裕が生まれる。
腕に余裕ができると、顔を上げることができる。
顔を上げると、目の前の景色が少し広く見えた。
通し終えたひなたは、息を整えながらHONOKAを見る。
HONOKAは、少しだけ目を細めた。
思っていた以上に、振りが身体に入っている。
「やっぱ覚え早いな」
「一週間でこんだけできたら、十分やわ」
「ありがとうございます……」
「なんだか、夢中になっちゃって」
「ええことやん」
「それじゃ、もう一回。少し細かいところ調整していこか」
「はい」
もう一度、最初から曲を流す。
今度は、HONOKAが途中で短く声をかけていく。
「足はもう考えんでええよ」
「その分、腕を少し大きく使ってみよか」
ひなたは言われた通り、足ではなく腕に意識を向ける。
指先まで伸ばす。
肩に力を入れすぎない。
動きの終わりを、雑に切らない。
「サビ前、顔が下がる癖あるな」
「そこ、前見たほうがきれいに見える」
「はい」
顔を上げる。
目線を前へ。
それだけで、同じ動きなのに少し違って見えた。
「止まった時の顔はええ」
「でも、動いてる途中で表情が消える時ある」
ひなたは、思い当たるところがあったのか、小さくうなずいた。
一通り踊り切ったあと、ひなたは肩で息をしながらも、自然に笑っていた。
先週にはなかった手応えが、その表情に残っていた。
「うん」
「あとはもう、微調整したらいけると思う」
「……ありがとうございます!」
ひなたは、深く一礼する。
その時だった。
「頑張ってるみたいやね」
聞き覚えのある声に、ひなたは振り向いた。
広場の入口近くに、ひかりとみらいが立っていた。
「ひかりさん……」
「みらいちゃん」
「今日、夜の部休みやからな」
「様子見に来たんや」
ひかりが軽く手を振る。
その隣で、みらいが少し興奮したように言った。
「ひなたちゃん、通しで踊ってたの見てたよ」
「すごい!」
「ありがとう……」
「まだ細かいところは全然なんだけど……」
ひなたは少し照れながら、自分の足元を見る。
「でも、前よりは、ちょっとだけ動けるようになった気がする」
「うん。見てて分かった」
みらいの声は、素直だった。
ひなたは、その言葉が嬉しかった。
二人が話している少し横で、ひかりはHONOKAに声をかける。
「ひさしぶりやん」
「どう、ひなたちゃん」
「ひさしぶり」
「てか、思ってた以上やな」
HONOKAは、ひなたの背中を見ながら答えた。
「振り、ちゃんと入れてきてる」
「足も先週とは全然ちゃうわ」
「まあ、師匠ゆずりの頑張り屋さんやからな」
「師匠?」
HONOKAが眉を上げる。
ひかりは、小声で続けた。
「ひなたちゃんのマネージャー」
「……のぞみやねん」
HONOKAは、一瞬だけ目を見開いた。
それから、すぐに納得したように、ひなたの背中を見る。
「……なるほどな」
「よう似てるわ」
ひかりは、ひなたの方を見たまま、小さく笑った。
「本人には、まだ言うてへんみたいやけどな」
「そうなんや」
「うん」
「まあ、言わんって決めてるなら、うちから言うことちゃうしな」
HONOKAは、少しだけ口元をゆるめた。
「相変わらず、そういうとこは空気読むんやな」
「そういうとこ、ってなんやねん」
ひかりが小さく笑う。
みらいは、ひなたに言った。
「一緒に通しで踊ってみようか」
「うん、やってみよ」
ひなたはうなずいた。
HONOKAがスマホを操作する。
イントロ。
みらいとひなたが、同時に一歩目を踏む。
足元は、まだ完全にはそろわない。
けれど、二人とも止まらない。
音を聞いて、次の動きへ入っていく。
Aパート。
Bパート。
みらいの動きは、丁寧だった。
ひなたは、その横で顔を上げる。
サビに入る。
二人の腕が、同じ方向へ伸びる。
少し離れた場所で、ひかりはその様子を見つめていた。
——みらい、やっぱひなたちゃんと踊ってる時のほうが表情ええな。
ひとりで歌っている時の丁寧さとは違う。
誰かと並ぶことで、力が抜けている。
楽しさが、先に顔に出ていた。
「ええコンビやろ」
ひかりが、HONOKAに言った。
「そやな」
HONOKAは二人の動きを見たまま答える。
「なあ、ひかり」
「ん?」
「わたしらも一緒に踊ろか」
ひかりは一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、にっこり笑う。
「ええやん」
「ほな、入ろか」
2コーラス目に入るタイミングで、ひかりとHONOKAが加わった。
みらいとひなたは、驚いたように振り向く。
けれど、すぐに笑顔になった。
四人の動きが、広場の中で重なる。
HONOKAの動きは、やはり一つひとつが正確だった。
大きく動いているわけではないのに、足元がぶれない。
音の少し手前で、身体が次の場所へ向かっている。
その隣で、ひかりは少し懐かしそうに笑っていた。
昔のままではない。
けれど、曲が流れた瞬間、身体が自然に思い出しているようだった。
視線の上げ方。
手を伸ばす角度。
サビ前に、ふっと表情を明るくするタイミング。
みらいは、その二人を横目に見ながら、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
エトワールだった人たちが、今、自分たちの横で踊っている。
それは過去が戻ってきたというより、今の時間に混ざってくるような感覚だった。
ひなたも、顔を上げたまま踊っていた。
腕は、まだ少し遅れる。
ターンのあとの足も、一瞬だけ迷う。
それでも、止まらなかった。
音から外れそうになっても、足が戻る。
表情が固まりそうになっても、前を見る。
気づけば、広場にいた人たちが少しずつ足を止めていた。
通りがかった人。
壁際で休んでいた若い子たち。
別の曲で練習していた人たち。
誰かが、小さく手拍子を始める。
それに、別の誰かが重ねる。
手拍子は、少しずつ広がっていった。
ラスサビ。
手拍子に乗って、みらいとひなたは笑顔で踊る。
二人の動きは、まだ完璧にはそろっていない。
それでも、不思議と見ていたくなる明るさがあった。
ひかりとHONOKAが、少しだけ後ろで支えるように踊る。
前に出すぎず、けれど確かに場を支えている。
最後の一拍。
四人の腕が、星を描くように伸びた。
曲が終わる。
一瞬だけ、広場が静かになった。
次の瞬間、拍手が起こる。
大きな歓声ではない。
けれど、あたたかい拍手だった。
四人は、見ていた人たちに深く一礼した。
「ありがとうございました」
みらいが言う。
ひなたも、それに合わせて頭を下げた。
拍手が少しずつ収まっていく。
足を止めていた人たちが、またそれぞれの時間へ戻っていく。
広場には、夕方から夜へ変わる空気が流れていた。
HONOKAが、ひなたの横に立つ。
「初ステージ、ばっちりやん」
「……ありがとうございます!」
ひなたは、少し息を弾ませながら答えた。
その顔は、疲れているのに、明るかった。
みらいも、ひなたの方を見る。
「私たちのダンスを見て、楽しんでくれる人がいて」
「……すごく嬉しい」
「ほんとだね」
ひなたは、まだ拍手の余韻が残る広場を見た。
「最初は、ステージなんてできるかなって思ってたけど」
「……いけるかなって」
完璧にできたわけではない。
まだ直すところはたくさんある。
でも、顔を上げたまま、最後まで音に乗れた。
そして、見てくれた人がいた。
みらいとひなたは、顔を見合わせて、小さく笑った。
二人の胸の奥には、少しばかりの自信が芽生えていた。




