出立と別れ
「それで、ディサナスの了解は得られたのね」
すでに真夜中のような暗闇にカロリナの綺麗な横顔が写っていた。煌々《こうこう》と照らされた部屋の灯りの向こうに重なるようにして寒そうな雪景色が広がっている。
「ああ、納得してもらった。クリスと一緒に話を聞くことも、今回の任務に同行することも。たぶんだけど、クリスのこと少し認めてくれたんじゃないかなと思う」
窓からカロリナに視線を戻すと、湯気の出ている入れたてのブラックコーヒーを口へと運ぶ。芯から温まっていくのが感じられた。
「なるほど、それは残念ね」
意外な返答にコーヒーを噴き出しそうになった。カロリナは頬杖をつくと、微笑みながらじっと僕の目を見つめる。
「もしディサナスが拒否すれば、あなたを行かせずにすんだのかもしれないじゃない」
カロリナも味わうように目を軽くつむってコーヒーを飲む。金色の細いリング型のピアスが揺れた。
「わがままを言うようだけれど、私はハルトに行ってほしくない」
「……いつもわがままを言われているような気がするが」
眉をひそめて唇を尖らせるも、すぐに表情を和らげると「そうかもね」とカロリナは小さく笑いながら言った。
「でも、それはハルトが私の専任執事だからよ。執事というのは、仕える人のわがままを叶えるものなの。その点、あなたは今までよくやってくれたわ。学院に入って条件付きではあるものの、上級魔法が扱えるようになり、ヴェルヴも使いこなし、マリーの声を取り戻し、なによりこうして私の話し相手になってくれている」
飲もうとしたコーヒーカップをテーブルに戻す。カロリナの声が急にトーンダウンしたからだ。
「こんな風に自然に話ができる人。今の宮殿には誰もいなかった。前も言ったけど、私がわざわざコーヒーを淹れることだってそうはないことなのよ。私は、スルノア国の王女で国が決めた方針には絶対に従わなければいけない身。だけどハルト、あなたを戦場に送りたくない──そう、思ってしまっている」
カロリナは大切なものを抱え込むように両手で柔らかくコーヒーカップを包み込んだ。
「ハルト。カロリーナ・カールステッド第一王女が命令を下します。必ず、必ず生きて私のところへ戻りなさい」
そしてコーヒーを口に運ぶ。
「帰ってきたら、美味しいコーヒーを作ってあげるわ」
*
──また漆黒の闇が全てを黒く塗り潰していた。落ちているのか上っているのかすらわからない不気味な感覚。絶望色に支配されたのか、身体は何かに縛られ圧迫されているかのように重苦しかった。いつまでここにいるのか、いつからここにいるのかすらわからない。何もわからないまま、ただ感じるのは圧倒的な無力感のみ──。
パチパチと暖炉の火がはぜる音が、暗闇の底から目を覚まさせてくれた。不思議なことだが、ずっと前から今のような夢を見ていた気がする。
極夜のこの時期は早朝からすでに薄暗く、見ていた夢も相まってすっきりとした目覚めは迎えられなかった。
僕は目を擦りながらも、冷たいカーペットの上に足を乗せた。足元から全身をめぐる冷気がいい具合に目覚めを促進させる。首を回すと、小気味いい音が鳴った。
「さて、行くか」
今回の任務は学院生として向かうものではない。だから、いつもの執事用の燕尾服に分厚い茶色のコートを着込んだ。コートのポケットにはいつでも使えるようにカロリナからもらった特製のヴェルヴと4種のリベラメンテ、そしてオーケ先生から譲り受けたタクトをそれぞれ忍び込ませる。
最後にコーヒーを一口、味蕾に這わせるように味わうと、暖炉の火を消して部屋の外へ出た。
「来ましたね、ハルト」
裏門の前にはすでに全員が集まっていた。それぞれに荷物を抱え、暖かそうなコートに身を包んでいる。
「持ち物は全て馬車に積めました。食糧も干し肉が中心ですが入れられるだけ入れています。それから──」
ニコライ執事長がびっしりと文字が書かれた紙を広げながらゾーヤに説明している。その隣には厚手の白いローブを着たマリーが寒そうに手足を小刻みに動かしながら待ってくれていた。
「マリー」
僕に気づいたマリーはパッと表情を変えて走り寄ってきた。
「ハルト。やっぱり見送りに来たくて」
そう言ってマリーはローブの内側から何かを取り出して僕の手の上に置いた。
「これは……手紙?」
「うん。何かあげたいと思ったんだけど、何も浮かばなくて。でも、ハルトは私にいっぱい言葉をくれたから、手紙かなって。この前の王宮防衛戦の前にもらった手紙にはまだ返事書いてなかったし──」
「おい! ハルト行くぞ!」
まだ何か言いたげな様子のマリーの言葉をクリスが遮る。マリーは一歩後ろへ下がると、大きな笑顔を僕に向けてくれた。
「じゃあ、行ってらっしゃい!」




