22.0 春が過ぎて、夏が来たようだ。
僕はまた、病室で目を覚ました。
「頼!」と、ベッドの傍から母の声が聞こえる。よかった。と、母は、涙ぐんで僕の手を握る。
「お母さん。僕は」
「もう、大丈夫だからね。本当によかった。」
僕は昨夜、九重の病室にいたはずだ。どうやって戻ってきたのだろう。ベッドの傍のデジタル時計は、午後5時を示していた。
個室の病室だった。母は朝からいたのだろうか。病室に置かれた棚の上には、母が使ったのであろうマグカップが置かれている。その隣には、封の切られた固形の栄養食品が置かれていたが、中身はあまり減っていないみたいだ。
起き上がろうと、体を動かすと、頭にするどい傷みが走った。
「まだ動いちゃだめよ。手術の傷が開いちゃう。」
昨夜はこんな痛みはなかったはずだ。
「お母さん、手術って?」
「酸素が脳に不足して、脳の一部が損傷を受けて、部分的に、機械を埋め込む手術をしたの。もししなかったら、手や足が動かなくなっていたかもしれないの。」
僕の頭の中に、機械が埋め込まれていた。
九重が言っていた、頭の機械とはこのことだったのか。
「その、それは、どのくらい大きな機会が入っているの?」
僕の思考には、この意識の形成には、その機械とやらは、どれくらい関与しているのだろうか。
「お医者さんは、ほんの一部分だと言っていたわ。」
ほんの一部分の機械の停止で、僕の意識は昨夜のように、ぷつりと途切れてしまうのだろうか。
もしも僕が手足を怪我したとき、義肢を着けてくれるかどうか、母に聞いたことがある。もちろん着けてくれるとのことだったが、その機能は、人間波の物に限るというのだった。
『だって、一般的な人の能力を超えてしまったら、人としての幸せは、掴めないと思うの。』
僕はこの、頭の中に埋め込まれた機械で、僕がもともと持つ以上の、記憶力や計算能力を手に入れたのだろうか。
「その機械はね、処理能力を制御されているの。」
詳しいことは、お医者さんから聞いてね。と、母は言う。
「お母さん、その、僕がここに来るまでのこと、あまり覚えていないんだけど。」
嘘をついた。母はどこまで知っているのか、聞いておきたかった。
「急なことだったものね、覚えていなくて当然よ。頼、あなた、一昨日の夕方、羽津図書館からの帰りに、細い橋を渡ったところまでは覚えてる?」
もちろん、覚えている。そこで僕は薙刀道家、神宮寺真琴に出会い、自ら川へと身を投げた。
「その橋、塗装は直されていたけど、だいぶ古いものだったそうよ。後から調べたら、いつ壊れてもおかしくなかったみたい。たまたま、本当にたまたま、運悪く、頼が渡った時に崩れたの。」
橋が崩れた?
そんなはずはない。
「それじゃあ、僕のほかに、落ちた人はいなかったの?」
もし仮に、本当に橋が崩れたのだとしたら、神宮寺はどうなったのだろう。
「ええ、特に聞いていないわ。だって、頼の周りに、人はいなかったでしょう?それは、覚えていないかしら。大丈夫、無理に思いだす必要はないわ。」
神宮寺は、落ちていない。
そこで病室のインターホンが鳴った。
「誰かしら。どうぞ?」母は立ち上がって扉を開ける。
入ってきたのは、車椅子に乗った、九重と浮瀬だった。二人とも、制服姿だった。
「こんにちは。頼くんの友達の、九重といいます。彼も、同じクラスで、浮瀬くんです。」
「あら。いつも頼がお世話になっています。」と母は、室内に招き入れる。
すると母は、「じゃあ私は、少し家のことをしに帰るわね。また夜に来るから」と言って、簡単に荷物をまとめ、部屋から出て行った。
「小石井君、元気そうだね。」浮瀬は、母が座っていた椅子に腰かける。
いや、僕のどの姿を見て、元気そうだと思うのだろうか。
「顔色は良さそうですね。頭にはまだ痛みが残りますか?」と、車椅子の九重も、その隣に並ぶ。
「うん。動かすと、かなり痛い。」
昨晩の彼女は、僕の頭部の機械について知っていた。浮瀬は知っているのだろうか。
「でも、そこまで重量感も無いだろう?樹脂金属複合材料の三次元造形技術の発達で、体内医療機械も随分と軽量化されているみたいだね。」
彼は僕よりも、詳しく知っていた。
すると九重は、そうそう、小石井君に、伝えないといけないことがあります。と、
「まだ申請中ですが、私たちが創設する部の、最初の活動内容が、部長のお見舞いになってしまいました。」
なるほど。僕の知らない誰かが、新しい部活動の部長になって、そのうえ体調が優れないと。
「あ、いえ。部長はもちろん、小石井君ですよ。」
なるほど?部長はもちろん、小石井君ですか。誰が部長になるかは百歩譲ろう。申請には部長になる僕の、直筆のサインがいるはずなのだが。
「それなら、小石井くんの筆跡を、私が目視スキャンして、申請書にサインしました。精度は120%ですよ。」
猿渡くんも、名前だけ貸してくれました。と、彼女は言う。
“目視”にルビとか振らないで欲しい。機械の身体だと僕に明かしたとたん、やりたい放題だ。
けれど、彼女の身体についても、浮瀬は知っているのだろうか。僕はそっと、浮瀬の方を見る。
「僕は前から、九重さんの身体のことは知っていたよ。彼女の動作や表情を見れば、全身が義体だなんて誰でもわかる。」
こいつは何でも知っているのだろうか。
というか、彼女の動作や表情を見ただけで、全身が義体だなんて誰もわからない。
「それに、そんなこと、実はどうでもいいことなんだよ。彼女の体が機械だろうが、小石井君の思考や意識の大半が、計算機に頼っていようが、そこに九重さんや、小石井くんがいることに変わりはない。
他人と同じプロセスで生成した意識が、"確かにそこにある必要なんてない"。」
僕の思考や意識の大半は、計算機に頼っているのか。医者が嘘をついたのか。母が嘘をついたのか。
彼は、続けた。
「今の時代、身の回りの電子デバイスが、どのように動いているのか、きちんと理解している人は、ほとんどいない。君のスマートフォンも、このテレビも、九重さんの車椅子も、どういう原理で動いているのかは、あまり問題ではない。きちんと動くことに変わりが無いのなら、中に例えば、妖精さんが入っていて、入力に対して適切な出力をしていた。ということが”真実”でもいい。」
「いいですね、妖精さん。」
と、九重は笑った。
「その中身をどう呼ぼうとするのかは、その人の勝手だよ。それは、科学にも、魔法にも、神の御業にも、妖術にもなり得る。」
妖術。
幽霊の類も、そこに含まれるのだろうか。
九重きょうかから、浮瀬に伝えるように、ことづけられた言葉があったが、九重さくらの前で、妹の話をするのはやめておいた。
そこで浮瀬は、
「何より、今日は小石井君の元気な姿が見れてよかった。」と、だから入院服姿の僕の、何を見てそう思ったんだという適当な言葉で会話をまとめ、
「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ。」と、浮瀬は立ち上がった。
「私も今日はこれで。また明日きますね。」と、九重は病室の入り口の方に向かう。
二人がこの部屋からいなくなることが、少しさみしかった。
もしかすると、僕が元気そうに見えたのは、彼らに会えて気持ちが晴れていたからかも知れない。
「ねえ。」と、僕は二人を呼び止める。
「僕が部長になる予定の部活動って、なんていう名前?」
九重は振り返ると、少し恥ずかしそうに言った。
「小石井くん、浮瀬くんとよく屋上にいたそうですね。」
僕はよくはいないし、あまり良い理由でもなかったが。
「私にとって、それがとても羨ましかったので。」
屋上部と、名づけました。
「申請書には、『足の不自由な人など、身体的な理由から、高所にある設備の利用が難しい人への支援を考えるとともに、普段よりも高い場所から景色を見渡すことで、新しい発見や感動を得るための設備の実現を目指す。』と書きました。」
そんな怪しい内容で、申請は通るのだろうか。
いや、そもそもうちの高校の屋上は、生徒の立ち入りが許可されていたのだろうか。
創部の申請が通るか楽しみだ。
「けれど、直近の活動内容は、小石井君のお見舞いですね。」
では、お大事に。と、彼女は微笑むと、廊下に出た。
また明日。と、僕は返した。
そして僕は浮瀬の方を見て、「ありがとう。」と伝えた。
「ああ、本当に、橋を壊すのは大変だったよ。」
と、笑って、「じゃあ、また。」と、彼も廊下を出ていく。
いや、見舞いに来てくれたことに関して、お礼を言っただけなのだが。
橋を壊したって、どういうことだよ。
扉が閉まり、僕はため息をついた。「また明日。」また、彼らに会えるのが、楽しみだった。
その週の日曜日。
授業が休みなので、九重は昼過ぎに見舞いに来た。
僕は体調がよく、ゆっくりではあるが歩くことが出来たので、二人で病室を抜けだし、病院の前の公園に向かった。
僕はベンチに腰掛け、連なる病棟を見上げた。
九重も、そちらに目をむける。
開いた窓から風が抜け出し、白いカーテンがはためいている。
「春過ぎて 夏来にけらし ですね。」
と、九重がいう。
春が過ぎて、夏が来たようだ。
「うん、見えるものは衣でも、天の香具山でもないけど。」
しかし、風情は、感じることができた。




