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菰宮牡丹は100倍可愛い。  作者: ジンボヤスヒデ@ぼんじー
20/30

20.0 お姉ちゃんを裸にしておいて、怖くなって逃げ出したんでしょ?

 天と地が、逆転している。こんなに高く、橋は掛けられていたのだろうか。

 僕の頭上から、鈍く、けれども大きくうねる水の音が聞こえてくる。


菰宮先輩が言い残していったこと。ただ彼女の容姿、美貌について。


『そうだわ。今後、小石井君の前に現れた女の子全員に、こう伝えてちょうだい。』


 それが重要な言葉なのかさえ解らなかったが、いや、たぶん特に意味は無いのだろうが、僕は彼女の言い付けを守ることにした。


 勝手に、先輩を守った気になっているだけだが、ほんの少し、満足感がある。


 と、僕は、水飛沫を上げ、流れる川の中に、飲み込まれた。


 美七は電話で、『僕が蹴った石ころが、海に沈んでいく音は、あまりにも小さく、他の音に掻き消された。』と話していた。


 しかしどうだろう。僕の身体が、河面にぶつかり、水中に引き込まれるとき、激しく、うねるような水の音が、僕の頭の中をかき混ぜる。


 今度は僕がその音を、美七に教えてやろうと思ったその時、


 僕の意識はぷつりと途切れた。




 暗い。

 僕はゆっくりと目を開ける。

 それでも、視界は暗い。


 僕の目に見えるもの。緑色に光る避難灯。そして、僕のそばには薄明かりを放つナースコールのボタンがあった。病室だ。と、わかった。

 時計はどこにあるのだろう。時間も、日付もわからなかった。


「おはよう。小石井君。」

 時間的には、こんばんは、ね。


と、僕の隣から、幼い女の子の声がした。

 僕は重たい頭を動かし、そちらを見る。


 そこには、赤いランドセルを背負った女の子が立っていた。


「はじめまして。私は、九重さくらの妹、九重きょうか。名前は、平仮名で"きょうか"よ。」

と、その女の子は名乗る。


 九重さくらの妹?


「立てるよね?ついてきて。」

と、彼女は病室の扉に向かって歩き始めた。

「ちょっと。」と、僕は呼び止めようとしたが、彼女はそのまま病室を出ていく。


 僕は、ベッドの手すりにつかまり、何とか立ちあがる。

 体中、神宮寺から打撃を受けた箇所が、ずきずきと痛む。

 思考には(もや)がかかっている気がする。


 僕は、病室の壁に手をつき、体を支えながら、彼女の後を追って病室から出た。

 九重きょうかは、病室の外の廊下で待っていたが、僕が歩いてくるのを確認すると、再び歩き出す。


「きょうかちゃんがいるってことは、ここは羽津病院?どうして九重さんの妹がいるの?」


 『九重』の表札がかかった病室も、羽津病院にあった。僕が落ちた川から、一番近い総合病院でもある。


すると彼女は、「そうよ。」と足を止め、その場で少し考えこんだ。


とても難しそうな顔をする。


「どうして私がいるのか。それは、お姉ちゃんに妹なんて要らなかったということ?」


「いや、」と、僕は慌てて言い直す。


「どうして九重さんの妹の、きょうかちゃんが、僕の病室にいるの?」


 いや、そんなことよりも。

 九重さくらは人間ではなかった。

 人工知能を載せた、精巧なロボットだった。


 もしも、僕の目の前にいる九重きょうかが、本当に九重さくらの妹だとしたら、それは九重さくらの後継機ということなのだろうか。

 確かに、九重きょうかは、自身の足で歩いている。九重さくらの妹として、ロボットとしての性能は向上しているのかもしれない。


 それ以前に、僕は九重きょうかと全くの初対面だ。この女の子が、僕の病室にいるのはおかしい。


「なーんだ、そんなこと。」

と、九重きょうかは、少し呆れた表情をした。

 彼女の表情は姉と比べて、自然なものだった。


「小石井君、お姉ちゃんを裸にしておいて、怖くなって逃げ出したんでしょ?」


 その言い方は、誤解を招くからやめて欲しい。


「それでお姉ちゃん、小石井君のことすごく心配してた。しかもその後、呼吸も、心肺も止まった状態で川から引きずりあげられて、病院に連れてこられるんだもん。」


と、九重きょうかは歩き出す。


「お姉ちゃん、小石井君のお見舞いに来るか、とても迷ってるの。あなたに嫌な思いをさせないかな。って。」


 だから、代わりに私が来た。と、九重きょうかは言った。


 僕も、彼女を追って、病院の廊下を進む。

 廊下には、僕たち以外の人の姿は見えなかった。窓から差し込む月明かりに掻き消されるほど、照明の明かりは絞られていた。


 けれど、一昔前の、病院を舞台にしたホラー映画のような、スリリングな恐怖感は無く、代わりに、深く、冷たく、透き通った静けさが、廊下を満たしていた。体を支える為に、壁についた手の平から、静まり返った建物の振動が、伝わってくる。


 僕たちは、エレベーターの横にある階段を上り、さらに廊下を進んだ。

 僕たちは無言のまま、歩く。


 無言ではあるものの、無音ではない。

 足元から聞こえる足音。廊下の壁に手をつく音。

 僕の口から、息を吸う音、息を吐く音。

 わずかに、心臓の鼓動。


 気が付くと、九重きょうかは、一枚の扉の前で、立ち止まっていた。

 彼女の足音はあまりにも小さく、僕には聞こえなかった。


「着いた。」と、彼女は振り返った。


「僕たちは、どこに着いたんだろう。」


「お姉ちゃんのところよ。」

お姉ちゃん。九重さくら。

「お姉ちゃんはね、」と彼女は振り返り、その扉を背にして、きょうかが続ける。


「お姉ちゃんは、人間よ。人工知能というプログラムでも、ロボットという機械でもない、生きている人間。小石井君が、勘違いするのもわかるけど。」


 勘違い。どういうことだろう。


「どういうことかは、この扉の向こうの部屋にあるわ。私は、もう行かないと。」


「どういうこと?行くって、どこに?」


 どこにって、うーん。パレードみたいな?

 と、彼女はよくわからないという顔をした。


 きっと、僕も同じ顔をしていたのだろう。「とにかく、」と、彼女は話を戻した。


「お姉ちゃんはね、ちゃんと人間よ。私は、少し違うかもしれないけど。だから、あなたたちとは、違うルールで生きてるの。」


 彼女は、「生きているの、だって。ふふふ。」と、笑った。


「そうそう、浮瀬さんという人に会ったら、伝えておいてくれる?『余計なお世話よ。』って。」


「あ、ああ。」

なぜ浮瀬の名前が出てくるのだろう。


「じゃあね、小石井君。」

と、彼女は僕の傍に近寄ると、

「お姉ちゃんの友達になってくれて、ありがとう。」

と、九重きょうかは、僕たちが来た方に、廊下を歩きだした。


また会いましょう。


彼女は、廊下をただまっすぐと進み、闇の中に消えていった。


 その足音は、聞こえなかった。


 彼女が最後に発した言葉が、この空気を震わせ静まり、廊下に差し込む月明かりが、彼女に反射し、この廊下を抜け出し、それらの余韻が消えた後も、僕はしばらくそこに立っていた。


 そして僕は、もう一度この扉に視線を向ける。

『どこに着いたんだろう。』

『お姉ちゃんのところよ。』


僕はその扉を開ける。


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