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シャルロットは一人、家屋の前で哺乳瓶を抱えて待っていた。
村人に牛乳を飲ませるべく試しに一番近い家の扉をノックしてみたのだ。
頼むから無人であってくれという願いは「ちょっと待ってくれないか」という家の中からの返事により儚く砕け散った。
(あたし……何してるのかしら……それにしても哺乳瓶って……マスターの趣味かしら? ………………いやいやいや、飲まないわよ! 何考えてるの、あたし! しっかり!)
物思いにふけっていたシャルロットは、扉の開く音で現実に引き戻される。
出てきたのは、鍬を持ち麦藁帽子を被ったいかにも農夫といった人間の中年男性だった。
「待たせたね、お嬢さん。これから畑仕事で準備をしていたところだったんだ。それで何かご用かい? ……と、エスパーか?」
「あ、え、えーっと、お忙しい中、突然お邪魔して申し訳ありません! 仰る通りあたしはエスパーですが、危害を加えようなんて思ってません! あの、あたし、これからウラメシ山で新製品のミルクを売ろうと思っているのですが、一般の方の御意見もお聞きしたくて……その、ウラメシ山で売る前に試飲していただこうかと思って……」
農夫は少し訝しい目つきで見ていたが、頭を下げているシャルロットがエスパーのわりにきっちりした言葉遣いで誠意を見せようとするので、その警戒心を解くことにした。
「ほう……ミルク? どれどれ、おじさんは酪農もやっているから興味があるな。お嬢さんはエスパーにしては珍しく真面目な子のようだし、そういうことなら見せてもらえるかな?」
喋り始めてからマフラーを取るべきだったと後悔していたシャルロットであったが、あっさりと受け入れられて満面の笑みで農夫の顔を見上げた。そしていそいそと哺乳瓶を農夫の前に差し出しす。
「あ、あの、白いのは普通の牛乳です。あとはちょっと奇抜な色をしていますが……どれもおいしいと思います!!」
「ほ、哺乳瓶!? こ、これは……最近はこういうのも流行っているのかい? ノスタルジーというやつか……ふむ……と、とりあえずまずは普通のものを頂こう」
農夫は勝手に納得をし、シャルロットの手から白いオーソドックスな変態牛乳を貰い受けた。
「ちゅ……ちゅぱ……ちゅっちゅっちゅ……ちゅぱ……」
(お、おえ~~~~っっっ!! さ、最悪の絵面だわっっ!! おっさんが目の前で哺乳瓶に吸い付くなんてっっっ!! こんなことでもなかったら絶対攻撃してしまってるわ!!)
「ちゅぱ……これは……もにゅもにゅちゅっちゅ……ちゅぱもにゅもにゅ」
農夫はスジ乳の味を確かめるように吸い付いては舌で転がしを繰り返していた。
それはシャルロットにとって拷問に等しい行為である。
「お、お嬢さん……これを作ったのはお嬢さんなのか!?」
哺乳瓶の中の乳を飲みつくし、興奮した面持ちで口からミルクを飛ばしながら農夫はシャルロットに詰め寄った。
「い、いえ……あ、あのこれは友達の農場で……その……」
「これは素晴らしい牛乳だっ!! こんな牛乳は今まで飲んだことがないっっ!! そもそも色からしてもう他の牛乳と違う! このほんのりと茶色みがかった白い色は、いい餌を食べている証拠だよ! そして甘み! もちろんこれは何か加工をしているわけではないのだろう? これほどまでに甘いとは恐れ入った。しかし甘いながらも決して飲みにくいわけではない!! 口当たりもさらりとしている。何よりもこの牛乳はコクが深い!! 満点だっっっ!!」
「は、はぁ……」
シャルロットは、変態が出した乳ですとはとてもではないが言い出せなかった。
そして農夫の手は自然と他の牛乳に伸びた。
「とんだ色物の牛乳を持ってきたものだと思ったが、これは他も飲んでみる必要がありそうだ。どれ、この黄色いやつをいただこうか」
薄いとはいえ黄色い不気味な牛乳を、農夫は迷いなく口にした。
自分で持ち込んできておいて、そんなことが言える立場ではないと分かりつつも、こいつはアホだなとシャルロットは思ってしまう。
「んむ、ちゅぱ……ちゅっちゅっちゅ……ちゅぱ……ちゅぱっ!?」
黄色の指す属性は雷。飲んだ相手が痺れるようなイメージをしながら乳を出せという西京の指示を受けて搾った乳であった。
授乳ではないため効果はかなり薄くなっているが、農夫の舌先がかすかに痺れた。それは炭酸と似た刺激であった。
「これは……牛乳……なのか? 何か牛乳に似たジュースを飲んでいるような……ちゅぱちゅぱちゅっぱ……う、うまいっ!!」
黄色い牛乳も一息に飲み干した農夫はもう止まらなかった。空になった哺乳瓶をシャルロットに返すと次は緑色の牛乳に手を伸ばす。
「ちゅっちゅ……ちゅ……ちゅちゅっっっ!? お、お、お、お、おぉぉぉ……これは……これはぁぁぁーーーーーーーー!! あはあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
緑色はアニマの色、飲めばたちどころに傷が癒え体力が回復する。授乳ではないので効果は半減以下となっているが、もはやそれはソーマも呼んでも差し支えのない牛乳となっていた。
「な、なんだこれは……腰痛が……肩こりが……!! 体が軽くなっていくっっっ!! こ、この牛乳の効果なのかっ!? これはもはや牛乳ではない……!! これは、これは──ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅっちゅちゅちゅぱちゅぱちゅちゅちゅちゅちゅーーーーーーーーーーーっっっっっっ!!」
「……おえっ」
シャルロットはそれまで必死に隠していたが夢中で哺乳瓶を貪るいい大人を見て、とうとう我慢しきれずに、小さくえづいてしまった。
それを責めることは出来ない。
農夫は緑の乳を飲み始めてから、その場で地面に寝転び、まるで母親に授乳をされる赤子のように体を丸め、哺乳瓶に吸い付いていたのだ。シャルロットは心の中で今この場にいないチョンカのことを恨めしく思っていた。なぜ自分一人だけがこのような光景を目にしなければならないのかと理不尽を呪っていたのだ。
「お、おぎゃ、おぎゃぁ……おぎゃあ……まんま……」
スジ太郎が緑の乳を出すにあたってイメージしたもの。それは母親の愛情である。
もちろん傷や病気を癒すイメージもしているが、相手に安らかな気持ちを与えようとスジ太郎なりに出した答えが母親であった。
その結果により生まれたのが、妙齢の乙女の前で床に身を投げ出し赤ちゃんプレイを始めた中年の男である。
「おえっ! き、きもい……あたしは何を見せられているの!? お、恐ろしい……なんて恐ろしいミルクなの……」
今度はえづきを隠そうともしない。農夫は中年の姿のままで赤ちゃんになりきってアブアブと声を上げながらヨダレをたらしている。そして農夫にとっての夢の時間はすぐに終わりを告げる。効果が薄いからだ。
「──はっ! お、俺は一体……」
正気に戻った農夫は体を起こし、現実に戻りきれていない表情で哺乳瓶を見つめていた。
「なんという幸福感……この牛乳は牛乳の域を超えているぞ!! お、お嬢さん……君は一体……?」
「え、えっと、あ、あたしもそんなにすごいミルクだとは思ってなくて……そ、その、友達に渡されたものですので……あ、あはは」
歯切れの悪い答えでも、その効果は身をもって体験してしまっている。
当然農夫の目線は最後の牛乳、ピンク色の哺乳瓶のほうへ向かう。
「お嬢さん……最後の牛乳も頂くが……いいかな?」
「え! そ、それは……」
「頼む!! 頼むからおじさんにこれを飲ませてくれないか?」
ピンク色の牛乳。
ピンクは魅惑のピンク。人を惑わせる色。
シャルロットは予測していた。それを飲めばスジ太郎の奴隷となり授乳を求めてしまうようになるであろうことを。薄まっているのでどこまでの効果が出るかは不明であるが、恐ろしい光景を見ることになるのではないかと危惧するシャルロットが、思わず渋ってしまうのも仕方のないことであった。
しかし真っ直ぐにシャルロットを見つめる農夫の目は、本気の目であった。
沈黙を続ける二人であったが、とうとうシャルロットはその目に根負けしてしまう。
「わ、分かりました……でもどんな効果があるか……」
「構わない。これを飲まないとおじさんは一生後悔することになる。どんなことになってもお嬢さんを恨んだりはしないことを誓う!!」
農夫は最後の哺乳瓶を手に取った。
「なんという美しい色だ……これが牛乳とは……」
シャルロットには、飲む前から既に魅了されてしまっているようにも見えた。
シャルロットが持ち込んだ哺乳瓶はこれで最後である。農夫はこの時間が終わってしまうことを惜しんでいるのか、手に取った哺乳瓶の中で揺れるピンクの液体を見ながら、ほぅとため息を吐き、なかなか飲もうとしない。
シャルロットは、飲むなら早く飲みなさいよと心の中で悪態をつくが、いよいよ農夫は哺乳瓶の乳首をゆっくりと唇へ近付けはじめた。
ゆっくりと──
まるで自身を焦らすように──
そして丁寧に舌で迎え──
「ちゅ……っぱ──」
「おえっ……」
目を逸らすことは出来ない。
なぜなら、試飲という体裁でミルクを持ち込んでいるからだ。
それとは分からないように口に手を当てて最小限のえづきで抑えてはいるが、もしもばれてしまえば当然だが失礼にあたってしまう。チョンカならば大きな声でえづいていたであろうが、シャルロットの性格ではそれはできなかった。
それにしても目の前の光景はそう長い時間耐えられる類のものではない。
シャルロットは農夫が早く飲み終わるのを祈りつつ、時間が過ぎるのを待っていた。
「ちゅぱ……ちゅぱ……ちゅっちゅ……ふむ……」
ピンクの変態牛乳を半分ほど飲み終えた頃、農夫は乳首から口を離した。
これまでの牛乳を飲んだときの反応とは大きく違い、味を褒め称えるわけでもなく、ましてや興奮をしている様子もない。
シャルロットもその反応を不思議に思った。
「あ、あの、残したということは……もしかしてピンク色はお口には合いませんでしたか?」
「ん? ああ、いやそうじゃない。とてもうまいよ……うん……ところでお嬢さん」
「はい?」
「おじさんにおっぱいを見せてくれないか」
「はい……は……? ふぁっっっっっっっっっっっっ!!?? お、お、おっぱ……!?」
農夫の手から哺乳瓶が滑り落ち、床に衝突し割れて飛び散った。
農夫の目から光が失われている。正気ではない。
「乳にむしゃぶりつきたくて堪らん……お嬢さんの母乳をおじさんにおくれ。何でも言うことを聞くから、ハ、ハートウォーミングな関係になろう?」
シャルロットの時が止まった。農夫が何を言っているのか分からない。飲めばスジ太郎を求めるものとばかり思っていた。一体どんなイメージをしながらピンクの乳を搾ったのか、グルグルと高速で思考が廻るが目ざといシャルロットは見てはいけないものを見てしまった。
農夫の唇からチロリと顔を出した舌先がピロピロと上下に動いたのを──
「え、あ、あ……いやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁあああああああああああああああああぁぁああああああああああああああああぁぁぁぁああああああぁぁっぁあぁぁぁぁぁあぁあぁああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっっ!! サ、サ、サ、ササササササササイコシャドウっっっっっっっっっっっっっ!! テレポーテーションっっっっっ!!」
その日、ただでさえ少ない村の家屋の一つが、住人ごと跡形もなく突然消え去ったという──
「──あ! シャ……ル?」
チョンカはずっと三角座りのままでシャルロットの帰りを待っていた。
手ぶらで俯きながら帰ってきたシャルロットの表情がこわばっている。もう一度慰めてもらおうとシャルロットに甘える気満々だったチョンカもその表情を見てすぐに何かがあったことを察し言葉を失ってしまった。
「……チョンカ……」
「ど、どしたんシャル……」
シャルロットはチョンカに声をかけられてもまるで反応せずにチョンカの前を通り過ぎてしまった。意識を失ったまま歩いているようであった。
「は? え? シャル? え? え? ちょ、ちょっと!?」
ラブ公と喧嘩をして落ち込んでいるなど、目の前のシャルロットの異常さに比べれば些細なことである。
チョンカはまるで抵抗しないシャルロットを抱きかかえ、急いで西京の元へテレポートしたのであった。