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チョンカ達は街道を北へ向かい歩いていた。
先頭をシャルロットとラブ公、その後ろをダディと西京が歩き、チョンカは一人最後尾を歩いていた。
チョンカは想像を絶するサーカスの気持ち悪さに精神的ダメージを受け、それがまだ抜けずにいたのだ。シャルロットにも確認したのだが、失敗したが大体あれがサーカスであるとのことで、人生で初めて見たサーカスに対し狼狽していた。
チョンカは珍しく考え事をしながら歩いていた。
ダディはあの後、豪快に笑いながら失敗を恥じる様子もなく替えの全身タイツに着替えていた。
そう、漏らしていないのだ。
いや、少しは漏らしたかもしれないが完全には漏らしていない。
相変わらずモジモジし、尻をプリプリさせながら内股で目の前を歩いている。
あれだけの大惨事を経てもまだ漏らさずにいるのだ。
なみなみと注がれ表面張力でなんとか零れずにいるコップの水を、零さずに持ち上げることは難しい。
確かに一滴二滴程は零れたかもしれないが、目の前の男はそれをやってのけているのだ。立っているだけでやっとであろう。それが歩くどころか火の輪まで潜ってみせたのだ。
もうこれはどんなことがあっても漏らさないのではないかとすら思えてくる。
チョンカは頭を横に大きく振った。
今考えていたことを振り払ったのだ。
その行為を成す為にどの様な矜持があるのかは分からないが、少しだけ、ほんの少しだけだが「すごいな」と思ってしまったのだ。
しかしやっていることは他人の理解を得られない、ただの変態行為だ。
しばらくは様子を見よう。
それが、チョンカが思考の果てに辿り着いた答えだった。
西京にも何か考えがあるのかもしれない。これ以上は考えるのをやめ、いつも通りの自分に戻ろう。そう思わなければチョンカの方が精神的に参ってしまいそうであった。
モジモジしているのはもういっそ見ないようにするべきだろう。
チョンカは今度こそ思考を切り替えることにした。
股間と尻に爆弾を抱えているかもしれない。しかしその爆弾は爆発などしないのだ。それならばまだ我慢が出来るはずだ。
「ンダディ君、先程の火の輪くぐりは見事だったよ。子供達にわざわざ見せてくれてすまなかったね。この代金は今夜、酒で支払わせていただこう」
「ガーーーーーーーーーハッハッハ!! それは最高の報酬じゃ!! まぁあの程度、お安い御用だな!! なぁに、あれを飯の種にしておったのじゃ、朝飯前じゃ!! とーーーっととと……」
西京とダディは相変わらずちょっと踏み込んだ大人の社交を続けていた。よほど互いに通じるものを見たのだろう。ランプのとき以上のものがあった。
「それでね、そのときチョンカちゃんったらねー──」
「あはは、まぁ、チョンカったら! あ、チョンカ」
二人はどうやら自分の話題で盛り上がっていたようだ。
いつもなら馬鹿にされているのかとちょっと怒ってしまうところであったが、今は少しだけ安心する。
「ねぇ、チョンカ、ダディさんなんだけど」
「う、うん、何?」
「変態ね。とんでもない変態だわ。だけど……」
「うん?」
「だけどきっと、怒るチョンカに認めて欲しくてお仕事でやってるサーカスの曲芸を披露してくれたのかもしれないわね……そ、そう考えると、まぁ、根はいい人なのかもしれないわよ?」
シャルロットはずっと気にしていた。
いつもは騒がしいチョンカが静かになってしまっていたのだ。
「僕、鞭で叩くとき、ダディさんの気迫に驚いちゃったんだぁ! 真剣な目つきでちょっとかっこいいって思ったよ!」
「騎士君、かっこよくはないでしょ……」
ダディは考古学を捨てずっとサーカスで食べてきたのだ。それが例えお遊びの披露であっても真剣な目つきになるのは当然であったのだ。
「うん、うちも実はちょっと見直したんじゃよね……まぁ爆発さえせんかったらもうええかなーって。シャルの言いよるみたいに悪い人じゃなさそうやし」
「そうね。だからと言って近づこうとは思わないけど」
「そうじゃね!」
「ぷっ」
「あはははははは!!」
子供達の笑い声が雲ひとつない旅の青空に響き渡った。
しばらく歩いていると西側に見えていた木々が途切れ再び海が見えてきた。
ただし、近づけば分かるのだが、陸との境界は浜辺ではなく切り立った崖のようになっていて海面は遥か下にある。このあたりの地域はワカメシティに比べ海抜高度が高くなっていた。
「この先に大きな入り江があるわよ」
気分一転、歌を歌いながらラブ公と共に先頭を歩くチョンカはシャルロットの声に立ち止まり振り返った。
「いりえ?」
「チョンカちゃん、西京の授業にあったじゃない! 忘れちゃったの?」
「ふむ。入り江とは海が陸地に切れ込みを入れたように挟まれている地形のことだよ。まぁ言葉では想像しにくいからね。実際に見てみれば分かるとは思うが……ただこの先にあるものを入り江と呼んでいいものかは保留したいところだね」
「そうね……ああいう地形はなんというのかしら。ほら、見えるでしょう? あそこの地面に線が一本横に入っているように見えるでしょ? 本当に、どうやってできあがったのか不思議な地形よね」
チョンカは言われるまで気付かなかったが、シャルロットが指差す進路方向に大地に走った一本の線が見えた。どこまで続いているのかと線を追いかけて東の方を見るが途切れることなく東の森へ侵入している。
更に一本線の先、進路方向である北には村も見えた。
一本線を堺に海岸は西に向かって大きくカーブしており、この海が湾であることが分かる。(チョンカには分かっていないが)
「海峡と言うのも違うね。かと言って川でもないし」
「ガーーーーハッハッハ!! おーーーっとととと……我々の間では昔『大地の裂け目』と呼んでおったな! 丁度今から行く遺跡はかなり地下に潜るでな!! その大地の裂け目の海の底に位置するはずだな!!」
「え? え?」
大量の情報が一気に流れてきてチョンカは質問できないほどに混乱していた。
ラブ公も入り江は分かっているものの、同じく頭上にクエスチョンマークが点灯していた。
「まぁ見てみれば分かるさ。先を急ごうか」
「そうね、どうせ歩いていればすぐに見えてくるはずだもの」
こうして話が理解できないチョンカとラブ公を置いて大地の裂け目を目指し再び歩き出したのであった。
「ぶ……ぶちすごいんじゃけど……な、なんなんこれっっ!!」
チョンカは興奮していた。
初めて海を見たときも興奮していたが興奮の質が違う。
風に煽られながら、隣にいるラブ公は震えていた。
「チョチョチョチョンカちゃん!! た、高い!! そ、それに風が! 僕怖いよ」
「ガーーーーーハッハッハ!! 初めてなら仕方がないな!!」
線に見えていた大地の裂け目を目指し歩いてきたのだが、近づきその姿を正確に把握できるにつれ、チョンカとラブ公の顔から表情がなくなっていた。
大地の裂け目の名前の通り、まるで陸地が何かで切り裂かれたように切り立った地形が向かい合っている。
切り裂かれた崖、100mはあろうかと思われるその下には海水が侵入していた。
対岸には村があるのが見えるが、向こうの陸地までが遠く見えた。かすんで見えるほどではないのだが、少なくともチョンカとラブ公にはそう感じられた。
実際には4,500mほどの距離があった。
「に、西京! これ入り江なの!? 教えてもらったのと全然違う!!」
「ん? ハエかな? 今耳障りな音が聞こえたね」
「あたしの家のそばではちゃんと入り江になっているのよ。あたしの家はこの崖を辿ってずっと東の方の村だもの」
「おおお!! シャルロット嬢! それはなんとも奇遇だな!! ワシの友もおそらくは同じ村であろう!! ワシの最終目的地はどうやらシャルロット嬢の村のようだ!! ブルっととと」
「そ、そうなの……はは、嬉しくない偶然ね……」
「ね、ねぇ……」
チョンカは街道の先、崖にかけられたつり橋を見ていた。
「こ、この橋を渡って向こう岸に行く……んじゃよね?」
チョンカの眼前には向こう岸まで続くつり橋が風に煽られ少し揺れて架かっていた。とてつもなく長いそのつり橋は横幅もとても広く、街道と同じ幅が設けてあった。
「ガーーーーーハッハッハ!! チョンカ嬢!! 怖がらんでも大丈夫じゃ! この橋はワシの若いときから架かっておる。なんでも古代の絶対に切れん縄を使ってエスパーが作ったそうじゃ!! 少しは揺れるが安心せい! ブルル」
「むっ!! う、うち別に怖がっとらんもん!! こ、こんな橋くらいへっちゃらぽんじゃもんっ!!」
「ぼ! ぼぼぼ僕は怖いよぉっ!! ま、まさかこの橋渡るの? テ、テレポーテーション使うんだよね? ね? ね?」
子供達が一斉に西京を見た。シャルロットも当然のようにテレポーテーションを使うつもりでいたのだ。
「いや、折角ここまで歩いてきたのだから歩いて渡ろうと思っていたのだが?」
「え! マ、マスター!? ほ、本気で!?」
「そ、そんなぁ……」
ラブ公は握っていた竹馬を落としその場にへたり込んでしまった。
「ガーーーーーーーーーハッハッハッハ!! それほど距離もない! 大丈夫じゃ!! ブルルルル!!」
チョンカはワクワクしていた。もちろん怖い。しかしワクワクする気持ちが完全に勝っていたのだ。ラブ公には悪いが渡ってみたいと思っていた。
「ラブ公、大丈夫じゃって! サイコキネシスも使えるし、それにもしなんかあったらその時にテレポートしたらええじゃろ?」
「ぜ、絶対? チョンカちゃん、絶対!? 僕竹馬なんてこんな橋で乗れないよ!? 僕のすぐ後ろから付いてきてくれる?」
この強風に合わせ向こう岸までも遠い。チョンカの肩に掴まり続けるのは無理である。
「もちろんええよ! ラブ公はうちが守ってあげるけぇ心配せんでも大丈夫じゃよ」
「チョ、チョンカ……」
シャルロットに声をかけられ、シャルロットの方を見たチョンカはぎょっとした。
「え……シャル? 何赤くなっとん??」
シャルロットはダディと同様、モジモジしながら顔を赤くしていた。
「……えっと……その……」
「……はよしてきぃや。爆発する前に……」
「ちがっ!! ち、違うわよ!! バカぁ!! て……手を……繋いでほしい……の」
ほっこり。
チョンカは顔がにんまりしてしまう。
シャルロットは可愛いなと思っているのだ。
「ば、馬鹿にしないで! あた、あたしも怖くなんかないけど……その……そう、この橋を歩いて渡るのは初めてなのよ! 安全に越したことはないわ!! わ、分かった!?」
「分かっとるってぇ~シャルぅ」
「あーーーーー!! 分かってないわね!? チョンカ!!」
怯えるラブ公をよそに、乙女たちはつり橋の前でキャイキャイと騒ぎ始めた。
「さて、では行こうか」
「ガーーーーハッハ!! 懐かしいぃのう! また渡れるとは思わんか……ととと、危ないわい!」
「ぼ、僕が先に行く!! 僕のことみんなで見てて!! ……はぁはぁはぁ……はぁ~……やだなぁ……僕最近よく落ちるんだよねぇ……」
「大丈夫じゃって! ラブ公!! こんなに広い橋じゃもん、落ちんって!」
「…………………………………………」
西京の表情に影が指していることに、その場の誰もが気付かなかった。
短期間に九回も足を滑らせ穴に落ちることの異常性にも、誰もが気付いていなかったのであった。