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冷徹CEOは路地裏のΩに番の印を刻む〜効率主義のスパダリが小さな古書店と俺を溺愛して離しません〜  作者: 水凪しおん


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第8話「反撃のアルゴリズム」

 翌朝、九条の執務室のドアが勢いよく開かれた。

 出社してきた千石が、驚きのあまり目を見開いて立ち尽くす。

 広いデスクの上には空のコーヒーカップがいくつも転がり、モニターには無数のウィンドウが開かれたままになっていた。

 九条はシャツの袖をまくり上げている。

 ネクタイを緩めた姿でキーボードを叩き続けている。


「社長……まさか、徹夜ですか。昨日は急にいなくなったかと思えば……」

「千石か。ちょうどいいところに来た」


 九条は画面から目を離さず、手元の資料を千石のほうへ滑らせた。

 千石は書類を手に取り、その内容に目を落とす。


「これは……億田の会社に関する裏帳簿のデータ? なぜこんなものを」

「昨晩、少しばかり深掘りをした。奴らが進めている再開発計画の裏で、複数の違法な地上げ工作や、資金の不正操作が行われている証拠だ」


 九条の指先がキーボードの上を滑り、最後のコードを入力する。

 モニターに表示されていた複雑なデータが整理され、一つの明確な相関図として画面に浮かび上がった。

 千石は息を呑んだ。

 これは単なる違法行為の告発ではない。

 億田の会社を根本から社会的に抹殺するための、緻密に計算されたアルゴリズムだった。


「これだけの証拠があれば、再開発計画は完全に白紙に戻ります。億田は警察の介入を逃れられないでしょう。しかし社長、ここまで徹底的にやる理由は……」

「私の大切な場所に、土足で踏み込んだ代償だ」


 九条の声は静かだったが、そこには冷たく燃えるような怒りが込められていた。

 千石は九条の顔を見つめ、小さく笑いをこぼした。


「なるほど。以前のあなたなら、相手の弱みを握っても、自社の利益に繋がる交渉材料として温存したでしょうに。ずいぶんと人間らしくなりましたね」

「利益などどうでもいい。私が守りたいのは、あの場所の余白と、そこに流れる時間だ」


 九条は立ち上がり、窓の外を見下ろした。

 雨は上がり、雲の隙間から薄い光が街を照らし始めている。


「千石、このデータを関係各所へ送る手配を。それから、法務部を動かして億田への法的措置を直ちに進めろ。息の根を止めるまで手を緩めるな」

「承知しました。迅速に処理します」


 千石が部屋を出ていくと、九条は大きく背伸びをして固まった筋肉をほぐした。

 徹夜の疲労はあるが、不思議と頭は冴え渡っている。

 文の香りがまだ肌に残っているような気がして、九条は自分の手のひらをじっと見つめた。

 ただ相手を力でねじ伏せるだけでは、文の望む世界は守れない。

 デジタルでアナログを支配するのではなく、融合させる道を探らなければならない。

 九条は再びデスクに向かい、新しい計画の構築に取り掛かった。


◆ ◆ ◆


 その数日後、小鳥遊書房の周辺から億田の息のかかった男たちの姿がすっかり消え去った。

 ニュースでは、億田の会社が不正な土地取引の疑いで捜査を受けていることが大きく報じられていた。

 文はカウンターの奥で小さなラジオから流れるそのニュースを聞きながら、ほうっとため息をついた。

 九条が裏でどれほど手を尽くしたのか、詳しいことはわからない。

 しかし、彼が約束通り、この場所を守ってくれたことだけは確かだった。

 店内の空気は以前の静けさを取り戻し、古い紙の匂いが心地よく漂っている。

 しかし、客足が戻るわけではない。

 再開発騒動の噂が広まったせいか、路地裏を歩く人の数は以前よりも減ってしまっていた。


『これでよかったのかな……』


 文がぽつりと考え込んでいたとき、店の扉が開き、見慣れない青年が入ってきた。

 九条の会社の若手社員、兆野広だった。

 兆野は首から下げたカメラをいじりながら、きょろきょろと店内を見回している。


「うわあ、すごい。本当に時間が止まってるみたいだ」


 兆野は本棚に並ぶ古い装丁や、日焼けした背表紙に目を輝かせた。


「いらっしゃいませ。あの、何かお探しですか」

「あ、すみません! 僕、兆野といいます。九条社長から、ここの魅力をデータ化……じゃなくて、記録してこいって言われて」


 文は目を丸くした。


「九条さんから?」

「はい。社長、最近なんだか雰囲気が変わって。こういう古いものの良さを、もっと多くの人に知ってもらう方法を考えろって言うんです」


 兆野は文の許可を得て、店内の風景を次々とカメラに収めていった。

 木漏れ日が差し込む窓辺、カウンターに置かれた古いタイプライター、そして文が本を並べる静かな横顔。

 兆野は撮影した写真をすぐさまスマートフォンに取り込み、SNSの画面を操作し始めた。


「これ、ネットに上げるんですか? あの、あまり人が増えすぎても……」

「大丈夫です。社長から厳命されてますから。バズらせるのが目的じゃなくて、この静けさを求めている人にだけ届くように、アルゴリズムを調整して発信するんです。情報を押し付けるんじゃなくて、必要な人が見つけてくれるように」


 兆野の言葉に、文は少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じた。

 九条はただ店を放置するのではなく、彼なりの方法で、この空間の価値を世界と繋ごうとしてくれている。

 デジタルとアナログの融合。

 それは、文が恐れていたような暴力的な変化ではなく、ひどく優しく、静かな歩み寄りだった。

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