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冷徹CEOは路地裏のΩに番の印を刻む〜効率主義のスパダリが小さな古書店と俺を溺愛して離しません〜  作者: 水凪しおん


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第10話「重なる呼吸と未来の設計」

 小鳥遊書房の奥にある小さな休憩室。

 古びたソファに並んで腰を下ろした九条と文の間に、静かで穏やかな時間が流れていた。

 営業を終えた店内の明かりは落とされ、外灯のオレンジ色の光だけが窓枠の影を床に長く伸ばしている。

 九条はジャケットを脱ぎ、少し着崩したシャツ姿で、手元にある一冊の古い詩集に目を落としていた。

 それは先ほど、文が「九条さんに読んでほしい」と手渡してくれたものだった。

 活版印刷のわずかな凹凸を指先でなぞりながら、九条はぽつりと口を開く。


「……不思議なものだ。今まで、これほどの文字の連なりを数秒でデータとして処理してきた。だが、こうして紙の上のインクを目で追うと、まったく違う重みを感じる」

「それは、その本が九条さんの手の中で、九条さんの時間を一緒に刻んでいるからです」


 文は隣に座り、膝の上で両手を組みながら柔らかく微笑んだ。

 二人の肩が触れ合うほどの距離。

 文のうなじからほのかに漂う甘い香りが、九条の肺を満たし、疲労を芯から溶かしていく。

 ヒートのときのような切迫した渇望はもうない。

 互いのフェロモンが静かに調和し、ただそこにいるだけで満たされるような安らぎが二人の間に満ちていた。

 九条はゆっくりと詩集を閉じ、ソファの肘掛けに置いた。

 そして、隣に座る文の肩をそっと抱き寄せ、自分の胸に引き寄せる。

 文は抵抗することなく、自然な仕草で九条の胸に頭を預けた。

 シャツ越しに伝わる九条の力強い心音と、規則正しい呼吸のリズム。

 それが文にとって、何よりも確かな安心の証だった。


「文さん。私はこれまで、人生というものを一つの巨大なシステムだと考えていた」


 九条の低い声が、静かな部屋に響く。

 文は顔を上げない。

 ただ九条の言葉にじっと耳を傾けた。


「効率よく設計し、エラーを排除し、最短距離で目的を達成する。それが正しい生き方だと信じて疑わなかった。だが、そのシステムには致命的な欠陥があったんだ」

「欠陥、ですか」

「ああ。どんなに緻密なコードを書いても、そこに『体温』という要素が組み込まれていなかった」


 九条は文の肩を抱く手に少しだけ力を込め、もう片方の手で文の髪を優しく撫でた。


「あなたと出会って、この場所に通うようになって、私は初めてそのことに気がついた。効率だけで組み上げられた世界は、やがて凍りつき、自分自身を壊してしまう。私が求めていたのは、計算された未来ではなく、こうして誰かの体温を感じながら過ごす、静かで温かな時間だったんだ」


 文はゆっくりと顔を上げ、九条の瞳を見つめた。

 薄暗い光のなかでも、その目からあふれる深い慈愛の光がはっきりとわかる。

 文は九条の胸元にそっと手を添え、その温もりを確かめるようになぞった。


「私も……九条さんに出会うまでは、この狭い世界だけで生きるのが正しいと思っていました。変わることを恐れて、外の世界を拒絶していた。でも、九条さんが教えてくれたんです。大切だからこそ、外と繋がる勇気を持たなければいけないって」

「私たちは、お互いの足りないものを補い合うために出会ったのかもしれないな」


 九条は静かに微笑み、文の頬に手を添えた。

 親指で優しく輪郭をなぞると、文の目が少しだけ潤む。

 二人の顔が近づき、呼吸が混ざり合う。

 静かな夜の空気のなかで、九条の唇が文のそれにそっと触れた。

 それは貪るようなキスではなく、互いの存在を深く確かめ合うような、優しく、そして丁寧な口づけだった。

 唇が離れると、文は恥ずかしそうに視線を下げ、九条のシャツの胸元をぎゅっと握りしめた。

 九条はその愛おしい仕草に目を細め、文の耳元で低く囁く。


「文さん。私の残りの人生というプログラムを、あなたと一緒に設計したい」


 それは、IT企業のトップとしての冷徹な宣言ではなく、一人の男としての、生涯をかけた誓いの言葉だった。

 文は顔を赤らめながらも、しっかりと九条の目を見つめ返し、はっきりと答えた。


「はい……。私でよければ、ずっと一緒にいさせてください」


 二人の心が、これ以上ないほど深く結びついた瞬間だった。

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