乳母子のお針子
婚約者の王太子エドワーズへの「恋」に落ちてしまうという幸運の持ち主メエーネのイザベル王女の不満は、なかなかエドワーズが会いに来てくれないとことだった。そこで、自分から、会いにいこうと護衛のアクセル少佐にどこでエドワーズに会えるか探らせるが、その結果を聞いたイザベルは、美しく装うために手助けをしてくれる侍女を探しに女官長のメレディス王女に会いにいくが、そこで紹介された侍女は、エドワーズの妹のセシーネ王女の乳母子だった。
同じカメルニア帝国の末裔であるアンドーラとメエーネは気候もよく似ていて、共に主産業は農業と牧畜業であった。一方で海洋国でもあるアンドーラの造船技術や航海術には定評があったが、メエーネにも誇れる技術があった。それは、時計の製造技術である。その精緻な工業品は、アンンドーラでも珍重され、先王ジュルジス二世はメエーネから時計職人を呼び寄せようとしたが、メエーネでは手厚い保護と引き換えに時計職人の海外流出を防いでいた。その他に画期的な発明品が、アンドーラへ持ち込まれていた。活字印刷技術である。その印刷機が、アンドーラに新たな産物を生み出そうとしていた。
論議好きの風潮のあるアンドーラの国民性に加え、兵役制度のおかげで識字率が高くなった国民たちに「紙」での弁論を掲載する書物が、すでに広まっていたが、ここに新たに「新聞」という読み物が発行されることになった。それは、噂好きな王都の人々の興味を引くに十分な内容になっていた。今回「アンドーラ通信」と名付けられた「新聞」が取り上げたのは、無論、「御前馬上試合」の結果とその優勝者の「誓願」の内容についてである。そのような訳で、ハンサエル伯爵家は格好の噂の的になっていた。「アンドーラ通信」にメエーネのイザベル王女の到着は、小さく扱われたに過ぎなかった。
当然、王家に対する興味というより、好奇心が国民にないということはなく、男たちが酒場での話題に王家を取り上げるのは日常茶飯事で、それは、自身の兵役の経験から王家の人々の品定めをすることもしばしばだった。特に国王の二人の弟王子がそれぞれ海軍と陸軍に所属し、軍服を着ているので、評判は高かった。王太子も兵役につける年頃になって、その所在を巡り、賭の対象にもなる熱の入れ方で、結局、兵役につかずその評価を下げたが、第二駐屯地での「演説」で人気を取り戻していた。一方、女たちは、各行事における王妃をはじめとする王子の妃や王女たちだけでなくそれに陪席をする貴族たちの婦人の衣装の評価に余念がなかった。それは、その衣装のまねをするというやり方で王家に対する賛意を表していた。特に「御前馬上試合」の時の第一王女の衣装は、注目の的だった。中には商魂たくましい商人が、王女と同じ服だといって売り出す始末だった。
そのような事情がある以上、王太子の結婚は、格好の話題になるはずだったが、相手のメエーネの王女という情報だけでは、なかなかその詳細が国民に伝わらない。そのような訳で、広く国民にイザベルの名が知れるのは、まだ、先のことになる。
メエーネの国王ロバーツ二世の姪で、アンドーラの王太子の許嫁であるイザベル王女は、近衛師団の制服と甲冑の改訂に際して、近衛師団長のサッカバン・バンデーグ准将の「意見を聞きたい」という言葉に自負心がくすぐられていた。メエーネにいた時は、そのような言い方で意見を求められたことはなかった。この近衛師団長の「大人」としての扱いにイザベルは大いに気分はよかった。近衛師団長は、新しく制定される制服と甲冑の見本を見せて「いかがですかな」とたずねた。赤を基調としたそれは、何だか派手なような気がした。しかし、ここは気を使うところである、あまり馬鹿げた言い方をすれば、子供っぽく思われる。
「どうして、赤なの。これでは、目立ちすぎるのではないかしら」とイザベルは説明を求め、意見も述べた。確かに「赤」は軍服には相応しくないような色である。しかし、サッカバン准将の答えは明快だった。
「近衛は戦闘よりも、王家の方々の身辺警護が重要な役目になっております。確かに現在の制服などの色使いは、戦闘の際に敵に悟られないように目立たないように配慮されておりますが、近衛の役目上、目立った方がむしろいいのです。遠目からでも近衛だとわかれば、陛下をはじめ王家の方々がそこにいることがわかりますから、敬礼も怠りなくできるというものです」
「そうね、そうかもしれないわね。でも、これはどなたの考えなのかしら」
「無論、陛下です。陛下が赤を基調にとご注文をなされました」とサッカバン准将は、このアンドーラでは、国王の意向がそのまま国政に反映され、それは、近衛師団の制服にまで意向が行き渡っているということを咬んで含めるようにメエーネの王女にいって聞かせた。しかし、メエーネでも同じような状況にいたイザベルは、誰に「おねだり」をすればいいのかわかっていた。
サッカバン准将は、近衛師団長という役目柄、王家の人々の気性はよく心得ていた。国王ジュルジス三世は、王家に生まれたものには、十二歳の「宣誓式」で、王家と国家に忠誠と奉仕を誓わせ、王家に嫁いで来るものにも、王家と国家に忠実であることを求めた。そのため、国王自身も勤勉さを尊ぶ傾向があった。
しかし、このメエーネのパルッツエ王家のイザベル王女は、アンドーラのチェンバース王家の「宣誓式」を執り行った王女たちが、それぞれ「女官長」と「王立施療院院長」という役職を担っているのとは、違う立場にいた。その辺の事情のためか、イザベル王女は、半年ほど年少のセシーネ王女よりも、幼く見えた。確かに責任感は人を大人へと成長させる。しかし、一見、無邪気に見えるイザベル王女が、チェンバース王家に騒動を引き起こす要因の種は、すでにもう撒かれていたのである。
アンドーラの外務卿ハッパード・サンバース子爵は、他の閣僚と同じように多忙を極めていた。つい最近メエーネから王太子の婚約者のイザベル王女がアンドーラへ到着し、その出迎えに港まで脚をはこんだが、イザベル王女のことは、すでに外交上の政策ではなく、歓迎式典などの式部省の管轄と移行していた。
王太子の結婚も重要だったが、それよりも、外務卿は、遠方の国タジールの駐在大使のバンデーグ・バンデーグ子爵の要請による食料援助の準備を手配するため東奔西走していた。その援助物資は、メエーネからの農作物を購入する手配をすでに外務卿は、済ませていた。問題は、その援助物資をどう運ぶかであったが、メエーネからは海路で王都チェンバーまで運び、タジールへの航海に耐えられる外洋用の船が必要であった。アンドーラの誇る海軍も輸送船までは所有していなかったので、外務卿は、民間の交易船を徴集することにした。無論、自由闊達な海の男たちを動かすには「金貨」が必要であった。その「金貨」を管理している大蔵省は、アンドーラ史上初めての海外への食料援助を渋々と認めるという有様だった。だが、このタジールとの外交的支援策に思いがけない結果が待ち受けていようとは外務卿も予想できなかった。
一方、隣国サエグリアの状況は、最悪の事態を迎えようとしていた。「御前馬上試合」に参列したサエグリアの騎士団長ステラエル公爵からの情報は、同じ閣僚の陸軍元帥ガナッシュ・ラシュール中将から耳打ちされていたが、さらに召還させたサエグリア駐在大使からは、顔をしかめたくなるような詳細な報告があった。サエグリアの福音教会の増長は、アンドーラのチェンバース王家にとって好ましいことではなかった。女王が始祖となっているチェンバース王家をメレディス女王の戴冠を認めないサエグリアの福音教会は、軍事力こそ行使しなかったが、メレディス女王を魔女と糾弾して来た。その子孫が、治める国である。サエグリアの福音教会にとっては、アンドーラは、魔女の子孫が治める許しがたい国であった。
幸いなことに、サエグリアの軍事面での最高責任者騎士団長のステラエル公爵は、騎士団をまとめる統率力だけでなく、政治的な判断力も持ち合わせていてアンドーラには友好的であった。それは、もちろんアンドーラの圧倒的な軍事力を考慮に入れてのことだが、ステラエル公爵が、《治療の技》を知った時にどのような判断をするかは、外務卿も陸軍元帥も予想がつかないことであった。そのような状況に加えて、次期サエグリア国王を巡っての政争も予断を許さない要素だった。そのような訳で、サエグリアの国境付近は、緊迫の気運が高まって来ていた。
アンンドーラの政治は、メレディス女王の戴冠以来、今までは内政に力をいれていたが、外交も目の離せない状況になって来た今日この頃である。
メエーネから、慣れぬ船旅をしてアンドーラへイザベル王女の護衛のために同行して来たアクセル少佐は、護衛対象のイザベル王女から、意外な命令と呼ぶべきかお願い事と受け取るべきか、本来の任務とはかけ離れた行動をするはめに陥っていた。それは、イザベル王女の婚約者エドワーズ王太子の日課を探るという武官には似つかわしくない任務であった。
イザベル王女のもう一つの不満が、肝心の婚約者のエドワーズとゆっくり話が出来ない、いや話どころか、港に出迎えて以来、顔を会わすことさえ皆無だった。イザベル王女の父親のランガルク公爵は、エドワーズは忙しいのだといっていたが、どこへ行けば婚約者に会えるのかわからないという状況は、イザベルを不安にもさせた。それは、恋する乙女としてイザベルは、エドワーズが自分を気に入っていないのではないかと思うと心は大いに揺れ動いたのである。
アクセル少佐が、この調査を始めてまず驚いたのは、アンドーラのチェンバース王家は、朝が早いということであった。秋も半ばを過ぎているというのにほぼ、日の出と同時に起き出しているということであった。それは、王宮で働く召使いたちなら、わかるが、国王ジュルジス三世もほぼ日の出と同時に起き出すという日課を過ごしていた。無論、一家の長がそれならば、当然他のものも朝寝坊は許されなかった。同じように見えてもやはり、ここは外国だとアクセル少佐は思った。だが、彼も武官とはいえ宮廷人である。どこをどう辿れば、王太子の行動を把握すればいいかはわかっていた。王太子の護衛の近衛兵に聞けばいいのである。そこで、国籍は違えども同じイザベル王女の警護という任務に就いているカークライト准尉に王太子の警護隊長の名前を聞き出した。
「どこへ行けば会えるかな。やはり、こっちでも非番の時はどうしているかな」とアクセル少佐は、同じ武官だが、自分の階級が上である以上少し強気に出て、しかも、これは自分たちの任務上必要な会見だと匂わせた。カークライト准尉は、あっさりと王太子付けの近衛隊長をアクセル少佐に引き合わせることを約束した。まあ、カークライト准尉はこの程度のことは別に軍事機密でもないだろうと判断したのである。
アクセル少佐が、王太子付けの近衛隊長も自分よりも階級が下だったので、イザベル王女の婚約者の王太子エドワーズのおおよその日課を聞き出すことは容易なことだった。そして、その日課の中で、まず、確実なのは早朝の射的場で会うのがいいのではないかと思った。王太子の日課の三分の一は各種の武術訓練に充てられていたが、剣を振り回している人間と会話をするのは、まあ、困難だからである。
「王女さまには早起きをしていただかねばなりませんよ。朝の7時までは、エドワーズ殿下は、射的場で弓術の稽古をなさっておいでです。その時にお目にかかるのが、よろしいかと」とアクセル少佐は、イサベル王女に勧めた。だが、イザベル王女の返答はアクセル少佐には予想外の言葉だった。
「ありがとう、アクセル少佐。よく調べてくれたわね。それでは、まず、侍女を探さなきゃ」
この王女の唐突な言葉は、アクセル少佐を面食らわせた。何故、イザベル王女は、侍女を必要としたか、それは、エドワーズに会うための身支度の手伝いを必要としていたのである。恋しい殿方に会うのに少しでも美しく見られるように身だしなみを整えるのは乙女として当然のなりゆきである。アクセル少佐は、優秀な武官ではあったが、女性の心理に精通している訳ではなかった。そして、この侍女探しが、アンドーラの第一王女のセシーネ王女との軋轢を生む一因ともなったのである。
アンドーラの国家行事を一手に司る式部卿ハルビッキ・サングエム子爵は、思いもかけない事態に困惑していた。国王ジュルジス三世が最も大事にしている行事、「国王謁見」に大問題が発生したのである。
それは、メエーネのイザベル王女が「国王謁見」に臨むにあたって、護衛兵をつけたいといって来たのである。それも甲冑で武装した護衛兵とメエーネのアンドーラ駐在大使のスラード伯爵は要求をして来た。
ジュルジス二世の時代は、武官は甲冑での謁見も許されたが、ジュルジス三世の治世になって、現在の「国王謁見」制度を制定してからは、武官も制服での「国王謁見」であった。しかし、それは、来年の正月元日の「国王謁見」から、武官も礼服を着用と改訂はされることになったが、甲冑での「国王謁見」は許されていない。謁見の間で甲冑の装着を許されているのは、警護の近衛兵だけである。例外は、将官に昇進する武官が臨む「任官式」の時だけである。
式部卿はメエーネ側の要求は、外交問題だと判断し、年長でもある外務卿にまず相談すべきだと考え、外務省に外務卿のハッパード・サンバース子爵を訪ねることにした。しかし、案内された外務卿の執務室には先客がいた。陸軍元帥のガナッシュ・ラシュール中将である。陸軍元帥は最近のサエグリアの状況を考慮し、外務卿と情報交換にやってきたのであるが、タジールへの食料援助に関してもいくつかの提案事項を携えて来ていた。
外務卿の執務室に入室した式部卿は、先客の陸軍元帥の姿にピンと来るものがあった。それは、サエグリアの状況である。王位継承で揺れているサエグリアは、女性の「魔法」を悪と決めつける福音教会の勢力が強い国である。一方、アンドーラでは、治療師を念頭においた王立施療院の設立の準備を進めている。院長に就任する第一王女には、《治療の技》という「魔法」ともいえる不思議な《力》が備わっている。そのことを聞きつけたサエグリアが「魔女狩り」をいい出せば、厄介なことになると管轄外の問題ではあったが、閣僚である以上その位の認識は式部卿にもあった。
「サエグリアの方はどうなっているのです」と勧められた椅子に腰掛けながら、式部卿はそれとなく探りをいれた。
「それに関して、ガナスがなかなかの妙案をひねり出してきた」と外務卿はにこやかだった。閣僚たちは互いを陸軍元帥をガナス、外務卿をハップ、式部卿をハルと呼び合っていた。
「妙案というのは」と外交問題も閣僚として耳に入れておかなければならない事項であると式部卿は心得ていた。
「ちょっと、タジールも絡んで来るんだ。ガナス、ハルに説明してやれよ」と外務卿は、年下の陸軍元帥に促した。
「いや、それは、ハップからして下さいよ」と提案者である陸軍元帥は、少しはにかんだ。
外務卿の説明によると、陸軍の各駐屯地には兵士たちに供給する食事と不慮の場合に備えて備蓄している食料がある。その食料は毎日の兵士たちの食事に消化されることで、古いものから新しいものへと循環されて行くがその備蓄食料を今回のタジールの食料援助に充てたらというのが陸軍元帥の提案であった。
「そうすれば、援助物資の購入代金を少し、抑えられる。それだけじゃないんだ、ガナスの提案は」と外務卿は続けた。それは、援助物資をタジールに運ぶために徴集する民間の交易船のことだった。タジールに向かった交易船は、船荷の援助物資をおろせば帰りは空船になる。そこで、タジールの交易品を購入し、それを売りさばいてはどうかという、才知にあふれた陸軍元帥らしい提案だった。その提案にいささかの意見と疑問を持った式部卿は「しかし,タジールの交易品というとどんなものがあるんですか」
「いろいろあるが、今回は、絹をかんがえている」と外務卿はいささか謎めいた表情を浮かべた。
「絹だって!そんな高価なものを買う資金をどうするんです。ダースは、国庫の鍵を開けたりしないと思いますよ」と式部卿は、いささか諸経費の歳出にうるさい大蔵卿のヘンダース・ラシュールのことを思った。
「それも、考えてある。ファンタールに相談するさ」と外務卿はしたり顔でいった。ここでいうファンタールとは軍学校つまり王立士官学校の第一期卒業生で首席をとったカルバス・ファンタール中将の実家であるファンタール子爵家のことではない。ファンタール子爵家が一族で貴族たちのための資金融資と資産蓄財のために設立したファンタール銀行のことである。
「国が銀行から、借りるなんて聞いたことがない」といささか、陸軍元帥の大胆な提案に驚いた式部卿は「確かに、空船するよりはいいが、積むのはもう少し安いものにしたらどうなのかな」と逆提案をしてみた。
「今回は絹にする必要もあるのさ。我が国もそうだが、サエグリアやメエーネはどこの絹を買うと思う。タジールだよ。タジールの絹を持ってサエグリアの貴族たちに売りつける。そうすれば、サエグリアの貴族たちの情報も手にはいる。金貨もな」とまじめな表情を浮かべた外務卿である。式部卿はそこまで考えている陸軍元帥の策略に感心したが、いくつかの疑問もあった。
「しかし、援助物資が、古い食料では、どうなんだろう、相手に失礼じゃないかな。確か。名目は贈り物なのだろう」と礼儀作法が管轄の式部卿。
「その食料を口にするのはお偉い方々じゃないさ。そうだ、ハル、タジール大使館にその贈り物を贈る時の礼儀作法とかを問い合わせてくれ。多分、贈呈式とかをした方がいいだろう。無論、私もタジールにいったほうがいいだろう」
外務卿の要請に式部卿は「承知した」とうなずいた。式部卿は、式部省もこれからは、国内ばかりではなく外国との交流も意識をしなければと思いを抱いたが、もう一つの疑問を陸軍元帥にぶつけた。
「しかし、ガナス、その高価な絹が海に沈んでしまうこともあるじゃないか」とタジールとの往復の航海は、危険な面があることを指摘した。
「交易船との契約で船が沈没したら、交易船の所有者に賠償させるという契約にすれば、大丈夫ですよ」と陸軍元帥はそのことも考慮済みだと落ち着き払っていた。
「なあ、ハル、これでダースの財布の紐も緩くなると思わないか」と外務卿は片目をつぶってみせた。式部卿は陸軍元帥の大胆さと水ももらさない計略につくづく感服した。
「ところで、ハル、話があるんだろう」と外務卿は式部卿に用件へと水を向けた。ここで式部卿は、本来の訪問の理由を思いし、顔をしかめた。
「じゃあ、私はこれで」と陸軍元帥は席を立とうとした。
「いや、この件はどのみち御前会議の必要になるだろうから、ガナスも聞いてくれ」と式部卿は難問を打ち明け始めた。その話に閣僚三人とも深刻な顔になった。
「護衛兵は制服でという風に交渉してみればどうかな」と武官である陸軍元帥は助言をした。
「メエーネの陸軍には制服がないそうだ」とすでにその提案を駐在大使のスラード伯爵にしてみた式部卿はお手上げだといった風に肩をすくめた。
「ハル、ここは、先例をあたるしかないだろう。亡くなったミンセイヤ王妃の時はどうだったのか、記録を調べてみたらどうだろう。無論、国母さまの事例も参考にしてみては」
「ハップ、その時と時代が違いますよ。陛下は謁見を大事にお考えですから。しかし、やはり、メエーネの王女ですからメエーネからの護衛をつけないという訳にいかないのでね、護衛をつけるのには異論がないのですが、甲冑を着込んだ兵士を謁見の間に入れるのはいかがと思いますよ」
「問題は人数だろうな」とため息がでるような気がした外務卿は、このメエーネとの微妙な駆け引きが必要となる外交交渉には自分も立ち会うと式部卿に約束した。
しかし、このアンドーラとメエーネ両国の面子をかけた外交問題は意外な人物によって決着がつくのである。
そして、タジールへの食料援助に関する陸軍元帥の策略といってもいいこの計画は、情報収集の重要性を認識させ、やがて陸海両軍と外務省に新たな役職を生み出すきっかけとなるのである。
メエーネのイザベル王女は、自分付の侍女をメエーネから連れて来なかったのは、王女付きの女官であるオリビア・ハーツイ伯爵夫人が夫や子供をおいてアンドーラへの同行を渋ったのとアンドーラの貴族から選んだ方がアンドーラの貴族たちに王太子妃として受け入れやすくなるのではないかと考えたからであるが、ここに来て、雑用はともかく、身の回りの世話をするべき侍女が火急に必要になって来た。それは、婚約者の王太子エドワーズに会うのには、正装とはいわないが、それなりの身支度をして会いたかったからである。そこで、イザベルは誰に「おねだり」をすればいいか検討がついていた。それは、女官長のメレディス王女だった。イザベルはこのエドワーズの叔母にあたる長身で美貌のメレディス王女が、少し苦手だと感じていた。メエーネでハーツイ伯爵夫人に感じていたものを感じていた。それは、有能な女性によく見かける自信たっぷりな物腰だった。イザベルは決して凡庸ではない頭脳を持ち合わせていたが、母のメリッサ・ランガルク公爵夫人は、女性の特に若い娘の魅力は「愛嬌」だと言い聞かせていた。知識をひけからすなどはもってのほかと教えられた。だから、イザベルの「無邪気さ」は天性のものではなく、教育で身に付けた表情だった。
しかし、イザベルは、エドワーズに会いたい一心で、電光石火の行動力を見せる。なんと「恋」とは、人を駆り立てる原動力であろうか。護衛の近衛隊長のカークライト准尉に「メレディス王女さまに会いたいの。どこへ行けば会えるかしら」と持ち前の無邪気な表情で小首をかしげた。
「今、どこにおられるかは、存じませんが、お部屋なら存じております」とカークライト准尉はなかなかの有能ぶりを発揮していた。それもそうであろう、近衛師団を束ねる師団長サッカバン・バンデーグ准将は、メエーネからの賓客たちの護衛の任務に就く部下には、十分な人選を重ねとこと細かい指示を出していたのである。ことの重要性を知ったカークライト准尉の直属の上官は予行練習をしたほどである。
「わかったわ。それでいいわ、お部屋に案内してちょうだい」とそこは王女らしくカークライト准尉に命じた。メエーネからの護衛であるアクセル少佐も当然同行する。彼は、このアンドーラの近衛兵がイザベル王女だけでなくその両親のランガルク公爵やメリッサ・ランガルク公爵夫人にも護衛としてついているのは、警護のためだけでなく慣れぬ宮殿の道案内に大いに役に立つと妙に感心していた。近衛師団長のサッカバン・バンデーグ准将がそれを聞けばにやりとほくそ笑んだであろう。
幸運なことに女官長のメレディス王女は、自分の居室にいた。それは、先導をしているカークライト准尉が部屋の前で待機している近衛重騎兵を見て「女官長は、部屋におられますよ」といった。
「どうして、確かめずにわかるの」とイザベルは不審に思ってたずねた。
「護衛の近衛兵が廊下に立っていますから」とカークライト准尉はこともなげに答えた。なるほど、そういう利点もあるのかとアクセル少佐は、再び感心した。
カークライト准尉が廊下に待機している重騎兵に「メエーネのイザベル王女さまです。女官長にご用があるそうです」と取次を頼んだ。重騎兵は一旦、部屋の中に入り、出て来ると「入って良し」とカークライト准尉に告げた。アクセル少佐はその言葉遣いにメエーネの王女に対する敬意がないと感じて多少不愉快になった。その不愉快さは、イザベルに先駆けて部屋に入ろうとしたアクセル少佐をその重騎兵が引き止めた時に最高潮となった。だが、ここでもカークライト准尉は気を利かせることとなる。
「こちらは、メエーネのアクセル少佐です。イザベル王女さまの護衛にあたられています」と取りなした。メレディス王女の護衛の重騎兵は、階級が自分よりも上であることに多少の気後れを感じて態度が多少改まった。
「まあ、いいでしょう」とアクセル少佐の入室の許可を出した。それでもこのイザベル王女の不意の訪問の件は上官に報告する必要があるとカークライト准尉よりも階級が上である重騎兵はそう思った。
アクセル少佐に続いて入室したイザベルは、ここは下手に出るべきだと判断して、メレディス王女に高位に対する「礼」、スカートを少し持ち上げ片足を引き膝を曲げる「礼」をした。これは、イザベルの得意な作戦であった。
「まあ、行儀がいいのね、イザベル」とエドワーズの叔母は、幾分冷ややかにいった。役目上、近衛師団長のサッカバン・バンデーグ准将と懇意にしているメレディスは、イザベルが、護衛の軽騎兵に不満で抗議のために師団長の執務室に押し掛けたことを聞いていた。
しかし、メレディスの冷たい態度にもめげずにイザベルは、微笑みながら「だって、結婚したら、あなたは叔母さまですもの」といった。
「でも、結婚したら、あなたは、王太子妃ですよ。そのことがわかっているのかしら」と女官長の口調にイザベルはメエーネに残ったオリビア・ハーツイ伯爵夫人を思い出した。こういう時は無駄口はやめて早めに用件を切り出すに限るとイザベルは心得ていた。
「実はお願いがあって、来ましたの。メエーネから、侍女を連れて来ていないことはご存知かしら」
「ええ、あなたのお母さまから伺っていますよ。そのことかしら」と女官長であるメレディスは、イザベルの母親のメリッサ・ランガルク公爵夫人からその侍女の人選の依頼をすでに受けていた。ランガルク公爵夫人の希望は結婚して育児の経験もある年長者で、家柄も王太子妃という身分に相応しい人物ということであった。
「ええ、そうなの。そのことで、ご相談があるの。やはり、身の回りの世話というか、あの、国王陛下に謁見をする時にはやはり正装というかそれなりに身支度をしなければならないでしょう。それに普段もどの程度の装いをしなければならないか、そういうおしゃれという訳ではないけど、やはり身分に相応しい服装や化粧や髪型をするべきだと思うの。そういうことに詳しいというか、手伝ってくれる人がいいなと思っているのだけど」とイザベルは、まさかエドワーズに気に入られるために身なりを整えるとは言えなかった。
ここで、メレディスの態度が豹変した。なんとにっこりとしたのである。この意外な変化にイザベルは内心驚いたが、ここは肝心なところだと思い自分もはにかむように微笑んだ。これは、イザベルの下手に出る作戦が成功した訳ではない。イザベルはチェンバース王家で一番相応しい女性に相談を持ちかけたのである。メレディスの持論は王家の人間は美しくなければならないという、いささか容姿に恵まれないものには、難しい考えを持っていた。当然、服装や化粧や髪型を整えるのにも十分労力を費やしていた。無論、その範疇は他の王家の女性たちも含まれていた。それには幼いエレーヌ王女も含まれていた。メレディスは当然、イザベルにも自覚を促すための指導を考えていたところだった。幸いにして、イザベルは同世代のセシーネ王女ほどではないが人並みの容姿と何よりも愛くるしい表情がイザベルを魅力的な少女に見せていた。
「イザベルも王家の女性はどうあるべきか、わかっているようね」と上機嫌になったメレディス。イザベルは同意するように微笑んだ。
「そうね、そういうことなら、いい子がいるわ。正式な侍女にはどうかと思うけど、化粧や髪結いが結構上手だし、アンドーラの王宮のしきたりにも詳しいし、何より、服選びには、いい趣味を持っているのよ」
「まあ、そうなの」とイザベルはメレディスの「いい子」という言葉にその侍女は年若いのだと推察した。
「ちょっと、サラボナを呼んで来てちょうだい」と女官長は部屋に控えていた侍女に命じた。その侍女が部屋を出て行くとメレディスは、イザベルに椅子に腰掛けるようにと勧めた。その言葉にしたがって長椅子に腰掛ける前に扉の前で所作無さげに立っているアクセル少佐に「アクセル少佐、ここは、もういいわ」と退室を促した。アクセル少佐は、和やかな雰囲気に変わったメレディス王女の居室に別段、イザベル王女に危険はないと判断したので、メエーネ式に敬礼をすると退室した。
アクセル少佐が、退室するのを見届けたメレディスは上機嫌のまま「サラボナはいい子なのだけど、ちょっとだけ問題があるのと」と秘密を打ち明けるような口調に変わった。イザベルはただ、おうむ返しのように「問題って」と聞き返した。
「エンバーの出身なのよ」
イザベルはそのことがどんな問題なのかは検討もつかなかった。
「知っているかしら、エンバーは亡くなった母の実家の領地なの。今は陛下がその領地のエンガム公爵という訳。それで、ちょっと、陛下はエンバーの出身者には甘くて、いろいろ大目に見ていることがあるの。つまりね、サラボナが来ればわかると思うけど、エンバーの出身者は、陛下を殿と呼ぶし、他の兄や弟やエドワーズのことは若だし、私は姫よ。つまり、チェンバース王家よりもエンガム公爵の方が大事って訳なの」
メレディスの説明に亡くなったエレーヌ王太后が、エンガム公爵家の出身であることをイザベルは思い出していた。この情報は、イザベルにとって貴重な情報であった。
情報収集なら,退室して廊下で待機することになったアクセル少佐も負けていなかった。役目上多少懇意になったカークライト准尉から、メエーネに持ち帰る情報を聞き出そうとしていた。
「君は、士官だから、士官学校の出だろう」と話しかけた。
カークライト准尉は、直立不動の姿勢のまま「いえ、自分は官吏試験上がりで、下士官で入隊しました」
規則では、こうして廊下で待機をする時の私語は禁止されているが、女官長付の重騎兵は、黙認することにした。
「官吏試験上がり?それはどういうことかな」とアンドーラの軍律にあまり詳しくはないアクセル少佐は、当然質問した。
「我が国では平民でも官吏試験を受けると官吏になれるのですが、その試験に受かると兵役の時、三ヶ月の新兵訓練の後、下士官の伍長の階級に昇進するのです。自分は軍学校は試験に受からなかったので、官吏試験を受けました」
「君は平民なのか」と今度は、別な情報収集に乗り出すアクセル少佐。
「いえ、貴族ですが、ただ、謁見をするほど爵位持ちに近くは、ありませんが」
しかし、期待していた軍学校つまり王立士官学校の情報は得られなかったが、別な情報を得たアクセル少佐であった。
一方、メレディスからの情報はエンバーの件だけでなかった。
「それにね」とメレディスは付け加えた。
「サラボナはセシーネの乳母の娘なの。つまりセシーネの乳母子というわけ。イザベル、これは、大事なことだからいうけど、メレディス女王以来、チェンバース王家では、王子や王女が生まれても乳母は置かない習慣があるの。妃が自分で授乳をするのが、しきたりよ。覚えておいて。医学的にもその方が、理にかなっているらしいわ」と独身の王女から、授乳の話がでるとは思わなかったが、しかし、とイザベルは思った、それなら、何故セシーネに乳母がいるのだろうか。
「まあ、セシーネの時は、産後の肥立ちが悪くてお乳がでなかったらしいわ」と少しメレディスの表情が曇った。アンドーラの王太子のエドワーズと第一王女のセシーネを生んだ前王妃ミンセイヤは病気で亡くなっていて、その後、国王ジュルジス三世は子爵家の出身のヘンリエッタと再婚していた。この複雑な家庭事情にイザベルは、どう対応していいのかわからなかった。しかし、幸いなことにメレディスは話題を変えた。
「従医長のベンダー博士には会ったかしら」
「ええ、チェンバーについた日に私の部屋に来たましたわ、担当の従医を連れて」とイザベルは答えた。その翌朝、その担当従医にイザベルは起こされたのだった。
「まあ、王家の人間の健康管理は従医たちの仕事だから、メエーネではどうだったの、毎朝、脈をとったりした?」
「いえ、陛下だけ」
「そう、まあ、慣れることね。後で、ユーリンにも会ってもらうわ」
ユーリンって誰だとイザベルが思った時、重騎兵がノックの後、入って来た。
「女官長、サラボナが来ておりますが」
「ああ、呼んだのよ。入ってもらって」とメレディスは慣れた様子で取次に対応した。メエーネではこういう時は小間使いの侍女が取次いでいた。
現われた少女は、礼法通りに部屋の扉をくぐると高位に対する「礼」をした。
「お呼びでしょうか、メリー姫」といった少女は、何だか異国風な容貌をしているようにイザベルには思えた。メリー姫と呼ばれたメレディスはふっと笑いながら、
「サラボナ、今回は、女官長としてあなたを呼んだのよ。その時は、女官長と呼びなさい」
「わかりました。でも、使いの方は、ただ、お呼びだということでしたので」とその少女は、驚いたことに口答えをした。イザベルはメレディスが怒るのではないかと思ったが
「そうね、そう言わなかったわ。今度から気をつけるわ」とあっさりと女官長は自分の落ち度を認めた。これにもイザベルは驚いた。
「紹介するわ、イザベル、この生意気な侍女は、サラボナというのよ」とメレディスは二人を引き合わせるため、礼儀通りに高位のイザベルにまず少女を紹介した。イザベルはいつもの無邪気な笑顔はやめて船上でのエドワーズのように曖昧な微笑みを浮かべた。メレディスの紹介は続いた。
「サラボナ、メエーネのイザベル王女よ。エドワーズと婚約する」といったメレディスの何気ない言葉にイザベルはちょっと引っかりを感じた。それは、メレディスがイザベルをエドワーズの婚約者と言わなかったことである。イザベルにとってエドワーズは伯父の国王ロバーツ二世も承認した婚約者である。この扱いが、イザベルにはいささか不満ではあったが、それを顔に出すような愚かなことはしなかった。
一方、サラボナは、礼儀正しく高位に対する「礼」をしながら、作法通り「イザベル王女さま」といった。その「礼」は部屋に入って来た時の挨拶の「礼」よりも深く膝を折ったように思えた。メエーネでの作法では深く膝を折った方が礼儀に適っていると見られていた。そのことに気をよくしながらもイザベルは、長椅子に腰をかけたまま「サラボナ」とこれも礼儀通りに答えた。いつもの無邪気な笑顔は封印したままだった。
「ご用はなんでしょう、女官長さま」とサラボナは今度は注意されたように「メリー姫」とは呼ばなかった。
「それなんだけど、ちょっと、事情を説明するわね、サラボナ。実はイザベルは、メエーネから侍女を連れて来なかったの」とメレディスの言葉にサラボナは口を挟んだ。これは、礼儀作法に反した行為だった。
「それは、どうしてです。船旅を嫌がってのことですか」
その質問は、メレディスは回答をイザベルに求めた。
「どうなの、イザベル、それが理由なの」
イザベルはその理由を説明するのにいつもの無邪気な笑顔の封印を解いた。メエーネの宮廷で魅力を振り舞いたその笑顔は、効果的だった。メレディス同様女性の容姿に審美眼を持っていたサラボナは、その笑顔を愛らしいなと感じた。
「いえ、そうじゃないの、まず、私付けの女官だったオリビア・ハーツイ伯爵夫人が、家庭の事情で同行できなくなったの。それで、王妃さまと母が、侍女はアンドーラ出身のご婦人を雇うようにいい出して、国王陛下もそれに同意なされて、それで連れて来なかったの。そのおかげで、船には荷物をたくさん積めたわ」とまた、無邪気な笑顔を浮かべた。パルッツエ王家の思惑については当然口をつぐんだ。
「そうなの、イザベル」とメレディスは、イザベルの軽口に声を出して笑った。ここでまたサラボナが口を挟んだ。
「つまり、メエーネの国王陛下がお決めになったことということで」
「ええ、そうなの」
「それじゃあ、逆らえませんね」
ここで、女官長が、サラボナの礼儀を無視した言動に気がついたように「サラボナ、お客様の前でぶしつけですよ」と注意をした。「お客様」という言葉にもイザベルは自分の身分が、アンドーラではまだ、お客様なのだと気づかせた。しかし、サラボナの態度は、メエーネでは考えられないことだった。
そして、さすがに口はつぐんだが、サラボナは目で「用件は何?」とメレディスにたずねていた。メレディスは軽い咳払いをすると「その辺の事情はわかったかしら」
「わかりました」とサラボナは今度はおとなしく答えたが、やはり、目がたずねていた。
「察しのいいあなただから、気がついていると思うけど、イザベル王女付の侍女になって欲しいの。いえ、女官長として命じます。サラボナ、イザベル王女付の侍女を拝命しなさい」とアンドーラの女官長は威厳のある口調でそうサラボナに命じた。その途端にサラボナは泣き出しそうな表情に変わった。
「それは、できません。メリー姫、私が今のお役を頂いた事情はおわかりでしょう」とサラボナは、なんと拒否をした。メエーネでは考えられないことだった。
「ええ、わかっているわ、サラボナ。でも、私はあなたが適任だと思うの」
「でも」と抵抗をするサラボナ。ここで、女官長は切り札を出した。
「ずっとその役を務めろとはいってないわ」と
「はい」と答えたサラボナは、まだ、納得していなかった。そこで、女官長は二枚目の切り札をちらかせた。
「サラボナ、イザベルは、あなたの手助けが必要なの。ねえ、イザベルは、ちょっと手をかければ見違えるようにきれいになると思わない」とメレディスの言葉にイザベルは、自分の希望をメレディスが十分理解していると思った。
「そうですね。お顔立ちは悪くないですし、何よりも笑顔がいいですね、愛くるしくて」とサラボナは、ずけずけと高位にあるものを目の前で論評をした。イザベルはその図々しさに多少、不愉快な感じを持ったが、ここはメエーネとは違うのだと言い聞かせて、不愉快な表情にならないように我慢した。
「サラボナもそう思った」とメレディスも同意した。それもそうであろう、この笑顔は、訓練のたまものであったから。そして、女官長は、二枚目の切り札を切った。その切り札は、サラボナに強力な効果があるはずだった。
「ともかく、イザベルは、礼装の時だけでなく、普段もおしゃれをしたいという訳なの。そのためには、サラボナ、あなたの助言と手助けが必要なの。ねえ、サラボナ、私は、あなたの服装に関する見る目は確かだと思っているのよ」
この女官長の切り札にサラボナの表情は、誇らしげに変わった。「本当ですか、メリー姫」
「ええ、だから、あなたを選んだのよ。引き受けてくれるわね」と女官長は、畳み掛けた。
「もちろんです、喜んでお引き受けします」とサラボナはイザベル王女付の侍女の役職を快諾した。ここはさすがに女官長の役目を担っているだけのことはある。侍女たちの弱点というべきか、特徴を把握していた。
こうして懸案のイザベル王女付の侍女が見つかったのであるが、この人事にはまだ、問題点があった。一つが、サラボナがイザベルの望み通りの能力を発揮してくれるかどうかである。もう一つが母のメリッサ・ランガルク公爵夫人の承諾なしに侍女を勝手に決めていいものかどうかだった。
イザベルは、お礼を丁寧にメレディスに述べると「ここで、失礼しますわ。女官長さま」といって長椅子から、立ち上がった。それに反応するようにメレディスも立ち上がった。
「イザベル、それでは、サラボナでいいのね」と女官長は確認をした。
「それは、しばらく務めていただかないとわかりませんわ、女官長さま」と本人の前でと思ったが、本人の目の前で、イザベルの容姿について論じたサラボナである、こっちだって遠慮はするものかとイザベルは思った。
「それもそうね、イザベル、とりあえず使ってみてちょうだい」とメレディスは同意をして、今度は「サラボナ、今から、イザベルに仕えなさい」
「かしこまりました、女官長さま」とサラボナは神妙に答えた。
こうしてイザベルはサラボナを引き連れて女官長の部屋を出た。廊下では、アクセル少佐とカークライト准尉が、待っていた。
「ご用はお済みですか、王女さま」と案の定、アクセル少佐は、たずねてきた。そこでイザベルは「ええ、済んだわ。そうだ、紹介しておくわ。こちらは、サラボナ、私の侍女を務めてもらうことになったの」
その言葉にアクセル少佐は、少し眉をよせたが、無言だった。
「サラボナ、こちらは、アクセル少佐。私の護衛よ」
「よろしくお願いします」とサラボナは挨拶をしたが、さっきの調子でこう続けた「しかし、すごいですね。佐官殿が護衛だなんて。アンドーラじゃ、殿だって尉官ですからね」
サラボナの軽口にイザベルは、少し不安を覚えた。王女である身分のこの自分に気軽に話しかけて来るサラボナに母のメリッサ・ランガルク公爵夫人がどう反応するかが、目に見えるようだった。しかし、イザベルは礼儀作法より能力を重視したかった。
「こっちは尉官よ、近衛のカークライト准尉」とアンドーラ側の護衛も紹介をした。
「よろしくお願いしますね」とサラボナはこちらにも愛想をふりまいた。しかし、カークライト准尉は無視をした。イザベルは、サラボナの軽口に気を悪くしたのだろうかと少し気になった。しかし、それはサラボナの責任である。イザベルは自分の関知することではないと思った。
「カークライト准尉、これから、部屋に戻るわ」
「かしこまりました」というとカークライト准尉はいつものように号令をかけると先導し始めた。このアンドーラ独特の近衛兵の動作などには、少し慣れたきた気がするイザベルであった。先導の近衛兵に続き、イザベルも後を歩き始めた。そして、驚いたことにサラボナはイザベルの横に並んで歩き始めたのである。メエーネの礼儀作法では、侍女は王女の後に下がって歩くことになっていた。アンドーラでは、作法が違うのであろうか。これは、後でメレディスに聞いてみるべきことだろうとイザベルは頭に叩き込んだ。そして、サラボナは、イザベルに話しかけて来た。これもメエーネと作法が違っていた。
「とりあえず、普段のお召し物を拝見したいです。王女さま、お話によるとお荷物を大目に運べたとか」
「そうね、当座のものと謁見に必要なものを持って来たの。他にも持って来る品を今取りに戻ってはずよ」とイザベルは礼儀にうるさかったオリビア・ハーツイ伯爵夫人が、この場にいたらと思うと何だか愉快になって来た。
「船旅はいかがでしたか。王女さま」
「そうね、私は、大丈夫だったけど、母は船酔いで大変だったわ」
「それは、お気の毒でしたね。私も船旅なんてとてもする気にはなれませんね」とサラボナは、おおいやだという風に身震いをした。しかし、サラボナは、その嫌な船旅をする決意をすることになろうとは、その時、人の将来を予期するものはアンドーラにはいなかった。
一方、イザベルはサラボナの気さくな態度にもう一つこの少女の利点に気がついた。それは、イザベルが欲しがっていた友人である。現在のメエーネのパルッツエ王家は子宝に恵まれていなかった。国王に王太子が一人と国王の弟王子であるランガルク公爵に王女が一人と心細い限りである。イザベルは年頃になって自分の身の回りにいる貴族の娘たちのように仲のいい友人が、欲しかった。しかし、イザベルの教育係であるオリビア・ハーツイ伯爵夫人は、それを許さなかった。それは、身分に相応しい相手がいないとオリビアはイザベルにいって聞かせた。ある意味でイザベルは孤独であった。両親も伯父夫妻も十分な愛情を降り注いでくれたが、イザベルは貴族の娘たちがよくやるようにヒソヒソと内緒話を打ち明けたあったり、クスクスと笑いあったりする仲良しが欲しかった。姉妹がいれば、そんなことも出来たろうが、それは無理な相談だった。そこで、イザベルはアンドーラのチェンバース王家のセシーネ王女にその期待を持っていたが、何が気に入らないのか、セシーネは一度顔を出しただけで、話もする暇もなくイザベルの前から立ち去った。今まで、人に軽く見られたことのないイザベルは、何だか、セシーネに馬鹿にされた気がした。無論、そうではなく、アンドーラの第一王女セシーネは「王立施療院」の設立準備と新たに判明した《治療の才》を見分ける方法で発見された子供たちをどうすればいいのかということで頭がいっぱいだっただけである。
「王女さまの今日のお召し物は、どうなさったのですか、ご自分でお選びになったのですか」
「いえ、夕べ、お母さまが、決めてあの部屋係というの、その人に火熨を頼んでくれていたの」
「ああ、部屋頭ですね。部屋頭はどなたです」
「ええと、クレシアとかいったわ」
「やっぱり、クレシアさんですか」と納得したようにサラボナはいうと、新たな情報をイザベルにもたらした。
「あのう、ご存知ですか、部屋頭は髪を結ったり、お化粧とかうまいのですよ。ほら、直づけの侍女は行事とかは陪席しますから、自分の身支度とかで忙しいから、部屋頭をはじめ部屋子の侍女たちがお手伝いするんです」
「あら、そうなの。それは、聞いてないわ」とサラボナの新たな情報にイザベルは少し腹立たしさを覚えた。女官長のメレディス王女が、部屋の係だとクレシアをイザベルに紹介した時に部屋の掃除と洗濯などの雑用をする侍女だといっただけだった。まったく、そのような重要な情報は、なかなかイザベルの耳に入って来ない。何だか、アンドーラ側の人たちに意地悪をされたように思えて来た。
「私も侍女なら、部屋頭を目指そうかと思ったんですが、よくわからないんですが、部屋頭は、結婚していないとだめだと聞いて、あきらめたんです。まあ、私みたいな身分のものと結婚してくれるような物好きはおりませんからね。それで、小さい時から、縫い物とか好きでしたから、お針子になろうと思って、メリー姫に相談したら、見習いですけど、そう言う仕事にありつけたんで。まだまだ、礼服は縫わせてもらいませんが、日常着なら、縫わせてもらえるようになりました。まだ、型取りといって布地を切るのは、まだやらせてもらってませんけど。あ、そうだ。これは申し上げた方がいいでしょうね。あのう、私は、父がエンバーの出身なんで、王家の方々をちょっと変わった呼び方をするんです。たとえば、陛下を殿とか」
ここで、イザベルはサラボナの言葉をさえぎった「そのことなら、もう知っているわ」
「ああ、そうでしたか。まあ、エンバー出身者でないものには、図々しいとかいわれますけど、殿は、国王陛下になるずっと前にエンガム公爵になられたんですよ。そこが、他の人たちにはわかってないんですから。そちらの陛下にはいくつかの称号とかあられるですか」
「ええと、たしか公爵位は、あった思うわ。父は王子だけど普段はランガルク公爵と呼ばれているし、私も伯爵の領地を頂いたわ」
「そうでしたか、やっぱりね」
「やっぱりって?」
「こちらでも、ヘンディ若もランス若もそれから、メリー姫も伯爵なんですよ。でも、領地はなくてお手当だそうです」
「よく、知っているわね」とイザベルはサラボナの情報量に驚いていた。
「まあ、私はこの王宮で生まれて育ったんですよ。それにシーネ姫とはあのう、乳姉妹なんです。一緒に育ったというか、お相手をさせられたというか、まあ、そんなことです。まあ、シーネ姫は変わり者ですからね」
「変わり者?」とここで、サラボナがシーネ姫というのは、セシーネ王女のことだろうとイザベルは見当がついた。
「そうですよ、普通、小さい時、人形遊びとかするでしょう。私は着せ替え遊びが大好きでした。大姫の所に、ああ、大姫というのは、亡くなられた王太后さまのことで、そのお部屋にメリー姫が使っていた着せ替え人形があったですが、すごかったですよ。お人形も本物の人間が小さくなったようで、まばたきもできるんです。私のは、母が作ってくれた布製の人形ですから。メリー姫の人形に触りたくって、うらやましくて、いろいろな服が揃っていて、靴もあるし、もちろん、首飾りとか、宝冠とかもあって、まあ、本物と違って宝石でなくてガラスですけどね。カツラまであるんです。いい子にしているとその人形で遊ばせてくれるんです。それだけじゃなく大姫にお願いするとその人形の新しい服をつくってくれるんです。まあ、その前に約束をさせられて、これが出来るようになったからとかで、たいていはお勉強で、九九がいえるようになったからとか、いろいろでした。でも、シーネ姫は全然興味を示さないんですよ。だから、あんな変な格好ばかりするんですよ」
「変な格好って」
「まあ、私なら着ない服ですね。あの、王女さまはお小さい時、やっぱり、着せ替え人形で遊んだりしなかったですか」
「まあ、あったけどあまり好きじゃなかったわ」
「へえ、どうしてです」
「まあ、そうね、オリビアが、ああ、オリビアというのは、私の扶育官で、つまり、私の教育係よ。彼女が、これで遊びましょうといって出してくれるのだけど、服を選んでも、それじゃだめですとかいって違う服にかえられちゃうの」
「なんでですか」
「たいていは行事の前の日にその行事で着る服を侍女が着せて、椅子に掛けさして、ほら、こんな風にお行儀よくしているのですよとかいわれるの」
「あの、侍女が着替えさすんですか」といくらかあきれたようにサラボナは聞いた。
「ええ、そうよ」
「それじゃ、面白くないじゃないですか。着せ替え人形の面白さは、服を着替えさす所じゃないですか。それに今日はどんなことして遊びましょうかと聞かないですか。何だか、そのオリビアっていう人、子供を育てたことがないんじゃないですか。何だか、固っくるしくて。今までこれは楽しい遊びだと思った遊びとかないんですか」
このサラボナの質問はイザベルの子供時代を振り返って自分は王女という身分に縛られていたと気がついた。だが、オリビア・ハーツイ伯爵夫人を非難するのは、イザベルには、少し不愉快だった。この侍女はなんと言う図々しさなのだろうと思った。だが、記憶では、あまり、遊んだという記憶がないのにも気がついた。
「そうね、あまり、遊んだりした覚えはないわ」
「そうなんですか。何だかお気の毒になっちゃいました。こちらでは、殿が子供は十分遊ばせろといって、いろいろやりましたよ。無論、若や姫も、王宮勤めの方々の子供たちも一緒になって遊びましたよ。ちょっと前なんですが、かくれんぼ大会の時にリンゲィ若が、大胆な作戦を立てて、5時まで隠れきったので、殿が大喜びで、よくやったと褒められてましたよ。あんまり、よく出来た作戦なので自分で考えたじゃないとかいわれたましたけど、バルカン爺さん、この人は園丁頭なんですけどね、バルカン爺さんに確かめたら、リンゲィ若が自分で考えた作戦だとはっきり証言してましたよ。その時に」といってから、サラボナは話がそれたことに気がついて
「すいません、話がそれちゃいましたね」
「あの、リンゲィ若って誰?」とイザベルはようやく口を挟めた。
「ああ、ヘンディ若の長男です。リンゲート王子です」
「ヘンディ若は、ヘンダース王子?」
「ええ、そうです。若はリンゲィ若を可愛がっていて、リンゲィ若も兄上とか呼んで慕っていますよ」
ここで、イザベルは「若」というのはエドワーズのことだろうと推測して、エドワーズの情報を胸にしまい込んだ。しかし、次の話は、イザベルを驚かせた。
「それから、実は私は、ちょっと複雑な立場なんですよ。母は、ミニー姫についてラダムスンから、アンドーラに来たんです。あの、ミニー姫というのは、若やシーネ姫を生んだ殿の最初の奥方で、母は、ミニー姫の乳母子なんです。まったく、母子で乳母子だなんて、よっぽど、縁があるというか、二重にお仕えしなければ,ならないです。よく、若はエンバーとラダムスンの血を引いているのは若とシーネ姫と三人だけだとかいいますけど、そんな生まれになったのだって私の責任じゃありませんからね」
「まあ、そうだったの」とイザベルは、少し、このサラボナに嫉妬の気持ちを抱かせた。サラボナは恋しいエドワーズと多分親しく口をきける立場にあるのだろうと少し心が騒いだ。そして、サラボナの話を聞いているうちにイザベルが、あてがわれている部屋の前の廊下に出た。イザベルの部屋の前には近衛騎兵が立っていた。それで、多分母が部屋にいるのだろうと推測できた。それはこれから、母のメリッサ・ランガルク公爵夫人に相談もせずにサラボナを自分付けの侍女として連れて来たことをどう説明しようかとイザベルは頭を働かせ始めた。
「サラボナ、あの近衛の軽騎兵が立って部屋が私の部屋よ」と指をさした。
「王女さまのお部屋はわかりました。私は、ちょっとお針子部屋に戻って、副女官長のミルブル夫人に事情を報告してきます。みんな、大騒ぎになるでしょうね。王女さまが到着してから、どんな王女さまなんだろうといってましたから。それにやりかけの仕事を置いてきてるので、そのことも誰かに後を頼まないといけないですから。それが終わったら、改めて王女さまのお部屋に伺います」というとちょこんとした感じの高位に対する「礼」をすると廊下を戻っていってしまった。それを見送っていると多分後ろで今までの会話を聞いていたであろうアクセル少佐が「まったく、無作法な侍女ですね。しかし、よろしいのですか、母君に黙って侍女なんか決めて」
「いいのよ、私はもう大人よ」と胸をはった。「それにここはメエーネではないのよ。それより、多分お母さまが私の部屋にいると思うから、カークライト准尉、取次をお願い」と何だか、自分の部屋に入るのに取次いでもらわなくならないなんてと思って、イザベルは少し不満だった。
アクセル少佐に続いて部屋に入ると案の定、母のメリッサ・ランガルク公爵夫人が、機嫌の悪い顔で待っていた。型通り挨拶をするとメリッサは「一体、どこへいっていたの、イザベル、心配しましたよ」
「ごめんなさい、お母さま。でも、この宮殿は安全よ」
「何ですって」とメリッサは少し、声が高くなった。
「アクセル少佐、イザベルはどこをうろついていたの」とメリッサは、内心、護衛についているアクセル少佐の責任も追及しようとしていた。
「女官長のメレディス王女の所です」とアクセル少佐は、報告をした。
「何ですって」と同じ言葉をメリッサはさっきよりも高い声でいった。しかし、険しい表情で、今度は声を低くして「わかりました。アクセル少佐、ちょっと、席を外してちょうだい」
「わかりました」といってメエーネ式の敬礼《右手の拳を胸に当てる》をすると部屋を出て行った。二人きりになると「イザベル、何しにメレディスのところへいったの」とたずねた。イザベルは悪びれずに「決まっているでしょう,侍女を紹介してもらうためよ」
「それなら、もう、私がメレディスにお願いしてありますよ」
「でも、まだ,見つかっていないのでしょう。メレディスはちょうどいい侍女をすぐ紹介してくれたわ」
「何ですって」と三度目の声は金切り声に近かった。その声を聞いても何故かしら、イザベルは落ち着いていられた。
「それより、お母さま、部屋係だって紹介された侍女がいるでしょう。彼女たちは部屋頭といって、身支度を整える時に着替えを手伝ってくれたり、髪を結ってくれたりしてくれるのですって」
「どうして、そんなことを知っているの」とメリッサは少し怪訝な顔になった。
「サラボナが教えてくれた。ああ、サラボナというのは、メレディス王女に紹介された侍女の名前だけど」
「そんな勝手なまねは許しませんよ」とメリッサは、険しい顔になった。
「あら、いいじゃない、いい子が見つかったと思っているわ。それに私はもう大人よ。自分の侍女ぐらい自分で決められるわ」
「何を言っているの。相談もなしに決めるなんて、そんなことはしてはいけません」
イザベルは辛抱強く母を説得し始めた「お母さま、相談しなさいというけど、いつまで、私の側にいられるの?結婚式がすめば、お母さまはメエーネに戻るのでしょう。これからは、自分でいろいろ決めなくてはならないのよ」と最後は母と別れてこのアンドーラで暮らすのだと思うと少し泣き出しそうになった。メリッサは不意にイザベルを抱き寄せた。
「私の甘えんぼちゃん、別れるのはまだ、先のことですよ」とメリッサも涙声になっていた。
「わかっているわ、お母さま」とイザベルもやはり涙があふれてきた。
しばらく、抱き合いながら涙を流すと、気持ちがお互いに落ち着いてきた。イザベルの身体を離すとメリッサは椅子に腰掛け「あなたも座りなさい」とイザベルを促した。イザベルも椅子に腰を下ろすとハンカチを取り出して涙を拭いた。メリッサもハンカチを出しやはり涙を拭きながら「どんな侍女なの」と聞いた。
「そうね、年は私ぐらい。ああ、サラボナは、セシーネの乳母子なの」
「乳母子?チェンバース王家は、乳母は置かないって聞いていますよ」
「それが、セシーネにはいたのよ。その辺の事情はよくわからないけど、確か、産後の肥立ちが悪くてとかいっていたわ。サラボナは、随分こちらの王宮の事情には詳しいの。そうだ。王宮で生まれて育ったといっていた。それに父親がエンバーの出身で、あの、エンバーというのは亡くなった王太后の実家のエンガム公爵家の領地なの。こちらの国王陛下は、国王になる前にエンガム公爵になっているんですって。それで、エンバーの出身の人は陛下を殿、エドワーズや他の王子たちは若、王女は姫と呼ぶらしいわ」
「まあ、そうなの」とメリッサは、一気に話し始めたイザベルに驚いていた。
「それで、サラボナもメレディス王女のことはメリー姫と呼んでいたわ。それにメレディスが、使ってみてだめなら」とここまでいってイザベルは小首をかしげた。
「多分、気に入らなければ、他の侍女を紹介してくれると思うわ」
「それでも、イザベル、そんな勝手なことをしては、困るわ。私はまだ、アンドーラにいるのですからね」とやはり賛成できないというような顔をしたメリッサ。ここで、イザベルは思いもかけない発言をして、メリッサを驚かせる。
「それなら、お母さまがメレディスに断ってきてよ」
「何ですって」とメリッサは、目をつり上げた。
「だって、そうでしょう。私の侍女なんだから、私が決めたっていいでしょう。もう、子供じゃないわ。それにここは、メエーネではないのよ。オリビアはここにいないのよ」というとイザベルもここは負けてはなるものかと唇をかんだ。
「あなたがそんなことをいうなんて」とメリッサは再び、涙を浮かべた。それを見てイザベルも心が痛んだ。だが、ここで折れる訳にはいかなかった。
しばらく、無言の時が続いた。メリッサは、口答えをしたことがない我が子の思いがけない変貌ぶりに動揺をしていたし、イザベルも、メエーネにいた時と違う自分の言動に驚いていた。これは、ある意味で、メリッサの子離れとイザベルの親離れの始まりに過ぎなかった。たった一人の王女を慈しんで育てる時間は終わったのである。
不意に扉をノックする音で、その静寂が、破られた。扉があき、アクセル少佐が、入ってきてメエーネ式の敬礼をした。
「サラボナが、来ておりますが、如何致しましょう」と武官らしく無表情で、アクセル少佐は、取次いだ。内心では、このような小間使いがやるようなことは、したくなかったが、メエーネから連れて来た部下の兵士たちは大使館で待機していた。
「アクセル少佐、サラボナを通してちょうだい」と無言のメリッサに代ってイザベルが、取次に答えた。
「わかりました」といって、アクセル少佐は、再びメエーネ式の敬礼をした。そして、扉の向こうへ消えると、代りにサラボナが、入ってきた。扉の前で高位に対する「礼」をする。
「イザベル王女さま」というとそのまま、扉の前で、立ち止まって、視線をイザベルから、メリッサへと移し、また、イザベルへと戻した。
「お母さま、紹介するわ。こちらが、サラボナよ」とイザベルは二人を引き合わせ始めた。
「サラボナ・何というの」とメリッサの口調は固かった。
「えっと、サラボナ・何というの」とイザベルはサラボナはたずねた。
「サラボナ・メングスです、王女さま」とサラボナは、さっきとは違うやや緊張が見て取れた。
「イザベル、家名も知らない娘を侍女にするつもりなの」とややあきれた風にメリッサはいいながら、遠慮のない視線をサラボナに向けていた。イザベルはしまったと思って顔が赤くなるのがわかった。
「それで」とメリッサは促した。
「サラボナ、こちらが、私のお母さまのランガルク公爵夫人よ」と多少、慌てながら紹介をした。サラボナは礼儀通りに高位に対する「礼」をして「ランガルク公爵夫人」といった。メリッサは軽く頷き「サラボナ・メングス」といった。これで、引き合わせは終わった。
「サラボナ、私の記憶ではメングスという家名は、アンドーラの貴族名鑑には、そんな名前はなかったと思いますけど」とメリッサは、なおも追求をした。
「あの、お答えしてもよろしいでしょうか、ランガルク公爵夫人」
「ええ、いいでしょう」
「メングスとは、大姫つまり亡くなられたエレーヌ王太后さまのお輿入れの時に、エンバーからお供をしてきた時から名乗り始めた家名なんです。元の家名は、父が亡くなったので私は聞いていません」
「じゃ、平民なの」
「いえ、多分、貴族だったと思いますが、よくは存じません。けれど、殿つまり、今の陛下が、国王の戴冠式をなさった時にエンバーからお供でついて来てそのまま王家に仕え、特にゲンガスル戦で、武功を挙げたものたちに爵位は頂きませんでしたけど、貴族として叙せられて紋章も許されました。メングスもその一つです」
「話になりませんね」とメリッサは、切って捨てるようにいった。
「でも、おかあさま、やはり、侍女がいないと不自由よ。サラボナは、正式な侍女が見つかるまで、務めてもらいましょう」とイザベルは、とりなした。
「それで、今まで何のお役を頂いていたの」とメリッサの追求は、まだ続いた。
「あの、今は、お針部屋でお針子をしております。その前は、第一王女さま付の侍女をしておりました」
「セシーネ王女の?」とメリッサの眉が上がった。
「はい、そうです」
「何で、それが、お針子になったの?何をしてお払い箱になったの?」
「いえ、自分から、やめました。私は、お針仕事が好きなんです。それで、お願いして、お針子に変えていただきました」とサラボナは幾ばくか粉飾した。事実はセシーネと口喧嘩から始まり、お互いの顔をヒッパ叩き合い、やがて取っ組み合いの喧嘩になり、騒ぎを聞きつけた近衛兵が止めに入ったのだった。そんな話をしたら、正しくお払い箱になるだろう。
メリッサ・ランガルク公爵夫人は、疑い深くサラボナを見つめたが「まあ、いいでしょう。うそをついてもすぐわかるんですからね」とようやく許可をだした。
ところが今度はイザベルが質問をしてきた。
「あの、サラボナ。本当にセシーネ付だったの」とイザベルの表情は、真剣だった。
「ええ、そうですけど」とサラボナは、幾分、身元調べにうんざりしてきた。
「それじゃ、セシーネの陪席も務めていたの」
「はい、春まではそうでした。お話をすればよかったですか。それよりも、私は、仕事にかかりたいのですが」といつもの調子でサラボナは、いってのけた。
「仕事って」とサラボナの無作法に驚きながら、メリッサは、この侍女はメエーネの侍女とは違うのだと思ったし、警戒心を募らせた。一方、やはり、サラボナの態度に少し気分を害してイザベルは、確かめたい質問があるのに思い「それじゃあ、馬上試合の時も?」とたずねた。
このメエーネの王女は、どんな答えを期待しているのであろうかとサラボナは、思った。
「ええ、そうでしたが、それが何か?あのう、そういったことは、何かお役目に差し障りがあるでしょうか。お話では、お召し物のことで、ご相談したいとのことでしたが、とりあえず、メエーネから、ご持参なさったあちらでは、なんと言うのですか、アンドーラでは日常着る服のことを常着と申しますが、普段のお召し物を拝見したいのですが」
ここで、メリッサが割り込んだ「ちょっと、待ってちょうだい。つまり、服装のことなの」
「ええ、お話では、身だしなみと申しますか、そういったものを整えるお世話をするようにと女官長からは、申しつかっております」とサラボナは、言葉遣いに気をつけながらも、メエーネの賓客の母娘にハキハキと答えた。ここで、イザベルは本来の目的を思い出した。
「そうね、服を見てもらいたかったの」
「それは、どうことなの、イザベル」とメリッサは、娘の真意がよくわからなかった。今までメエーネにいるときは、イザベルの教育係の扶育官のオリビア・ハーツイ伯爵夫人が、着る服は選んでいた。彼女は、礼法に通じていた。どんな時にどんな服装をすればいいかよく心得ていた。アンドーラへ到着してからは、メリッサが選んでいた。いったい、イザベルは何を考えているのかとメリッサは少し不安になった。ここへサラボナが割り込んだ。
「あの、よろしいでしょうか、アンドーラでは、常着の出し入れは部屋頭と部屋子がするんです。洗濯や火熨をかけたりなどのお手入れが、ありますから、お手入れがすんだものをしまうのは、部屋子ですから」
「そうなの」とイザベルは、メエーネにいた時は、服をどこにしまうのかさえ気にかけていなかったと思った。
「そうです、ですから、部屋頭のクレシアさんと部屋子を呼んだ方がいいと思います。よろしければ、呼びましょうか」とサラボナは、アンドーラのチェンバース王家のやり方に慣れていないイザベルとメリッサに対して臆することもなく、いつしか主導権を握り始めていた。
「では、呼んできてもらいます。ちょっと、失礼します」というと幾分おざなりの高位に対する「礼」をすると、振り返り、扉を開けると身を乗り出し、廊下に待機しているカークライト准尉に声をかけた。
「カークライト准尉、ちょっと、お願いがあるの」カークライト准尉が「なんですか」とたずねる声がした。
「悪いのだけれど、部下を何人かやって、イザベル王女さまの部屋頭のクレシアを探してきて。ご用があるといってお部屋に伺うようにといってちょうだい」とサラボナはカークライト准尉に指示を出した。まあ、手慣れたものである。つい半年ほど前までは、セシーネ王女の下でやっていた仕事だった。イザベルとメリッサは、ただ、内心おろおろしていた。やはり、勝手が違う王宮である。そこへ、アクセル少佐の声で「そんなことさせていいのか」と咎めているのが扉越しに聞こえた。とサラボナは「大丈夫ですよ。王宮は安全ですから、二三人いなくても、あなたの王女さまは安全ですよ。それより、王女さま自ら、探しに行けとおっしゃるのですか」
「いや、君が行けばいいのじゃないか」
「いえ、私には、仕事があります。それじゃ、カークライト准尉、お願いします」といい終わると身体を引っ込め、扉を閉めた。そして、また、イザベルとメリッサの方を向いた。
「まあ、本来は、着替えたりする以外は、近衛兵を二人ばかり部屋の中で待機させるものですが、まあ、それはあのアクセル少佐が、させなかったのでしょう」とサラボナは、肩をすくめた。そして、イザベルの服を批判的な目で見回し「メエーネでは、そのような服が流行っているのですか」とずけずけと聞いた。メリッサは、この図々しい侍女をどう扱っていいものやらと迷っていた。メエーネにはこのような侍女はいなかった。そして、イザベルは自分の服を批評するサラボナに言い訳がましく「これは、アンドーラの服をいくつか外務卿のサンバース子爵に頼んで持って来てもらって、それをメエーネのお針子がそれを見ながら、縫ったものなの。何かおかしい?」
「ああ、それでわかりましたよ。確か、外務卿には、お嬢様がいなかったから、まあ、多分その服は、外務省の役人が古着屋かなにかで買ったものだったのでしょう。殿方には流行りに鈍感な人もいますからね。外務卿もそういったことは、奥方さまに頼めば、よかったのに。あの奥方さまは、お年をお召しですけど、毎回、趣味のいい服をお召しでしたしね。しかし、失礼とは思いますけど、その服は昨年は、確かに王都の若い娘の間で大流行りでしたけど、そんなもの今は、王都では誰も着ませんね。どっかの田舎娘が着てる代物ですよ。みんなこんな風に仕立ててしまったのですか?他に常着はお持ちにならなかったのですか?」
その言葉にイザベルは赤面したが、メリッサは、不思議そうに「服に流行りなんてあるの?」
「ありますよ。王都の女性は、おしゃれですからね。まあ、それだけ豊かになったのだというお年寄りもいますけど、このような感じの服ばかりじゃあ、王宮の笑い者になってしまいますよ。他には、ないんですか?」と相変らず、ずけずけというサラボナだったが、メリッサは叱らなかった。そこは、女性である。今の流行りが、どんなものか知りたくなった。
「あの、メエーネで着ていたお気に入りは持って来たけど」とおずおずとイザベルはいった。
「母君さまがお召しになっているような感じですか?」とサラボナは今度は遠慮のない視線をメリッサにむけた。ランガルク公爵夫人の服は、少し、異国風だったが、品がいいとサラボナは思った。
「そうね、色は違うけど、だいたい形は同じかな」とイザベルはいってみた。サラボナは目を細めてイザベルをみた後、
「それはどこに仕舞ってあるのですか?」
「衣装箱の中だけど」
「それでは、クレシアさんが来るまで待ちましょう」とサラボナは腕を組んだ。
「あの、何故あなたがやらないの?」とイザベルはたずねた。
「そういうのは、部屋頭の仕事なんです。クレシアも多分他の衣装箱を開けるのを楽しみにしているでしょうから、私は手を出さない方がいいんです」
「クレシアは何故、この服が流行遅れと教えてくれなかったのかしら」
「それが、部屋頭なんです。部屋頭は、必ず主を褒めるんです。おきれいですねとか、よくお似合いですねとかいうものです。それが、役目ですから。つまり、主に自信をつけさせるんです。でも、その服は流行遅れだけどよくお似合いですよ。着こなしはお上手ですね」とほめた。
イザベルは、やはり思いきってメレディスに相談してよかったと改めて思った。こんな流行遅れの服でエドワーズの前にでたら、大恥をかくところだったと冷や汗がでた。
サラボナの話にいつしかメリッサも引き込まれていた。確かにここはメエーネとは違う国なのだと改めて思った。しかし、メエーネでは無作法ととられるような態度をとるこの少女の背景を知るのには、もう少し、時間が必要だった。