第3話 いざ、領地へ
魔法人形は一日限り。だから、ハイドン侯爵領に滞在するのは一泊二日だけの予定だ。そのため、二人分の荷物を鞄一つにまとめることができた。
「フィーネ。手紙、またきてたわよ」
出発前にポストを確認したユーリアが、見慣れた白い封筒を持って帰ってきた。分かりきっているから、送り主を確認する必要はない。
「……いつものところに置いておいて」
「本当にいいの? かなり溜まってるわよ」
「うん。今さら、どんな返事したらいいか分からないし」
「せめて中身だけでも見てあげればいいのに」
文句を言いながらも、ユーリアがこれ以上言ってくることはない。彼女は寝室にある缶の中に手紙を置きにいった。
(……ごめんなさい、ブルクハルトさん)
心の中で謝っておく。そんなことに意味はないと分かっているけれど。
ユーリアが用意してくれたサンドウィッチを食べ、鞄を持って店の外へ出る。予定時刻ぴったりに、二頭立ての馬車に乗ってハインツが現れた。
ハイドン侯爵家の家紋が刻まれた馬車に乗り込む。ハインツは不機嫌そうに黙り込んでいるが、コミュニケーションを放棄するわけにはいかない。
「あっ、あのっ」
「……なんだ?」
「娘さんのことを……もっと、聞かせてもらえないでしょうか。覚えていることを全て」
緊張しながらも言葉を紡ぐ。隣に座るユーリアが、よくできました、とこっそりフィーネの背中を撫でた。
「魔法に必要なことなんだな?」
「はい。魔法人形の精度を高めるために情報が必要なんです」
「……分かった」
深い溜息を吐いてから、ハインツは娘のことを語り始めた。喋り方、よくやる仕草、好きな食べ物に嫌いな食べ物、使用人への態度、好きだった玩具やぬいぐるみ。
途切れることなく、ハインツはひたすら娘のことを話し続ける。
一つ一つ丁寧にメモしながら、頭の中でクリスタという少女のイメージを固めていく。
領地に到着する頃には、だいぶイメージが掴めた。
「綺麗なお屋敷、ですね……」
ハイドン侯爵家の屋敷の入り口には背の高いアーチ状の門が設置されていた。庭には色とりどりの花が咲いており、庭の中央には立派な噴水もある。
玄関までの道のりは大理石で舗装されており、フィーネ達の姿を映すほど完璧に磨かれていた。
「歴史と伝統ある家だからな。君のような庶民には珍しいんだろう」
「ちょっと……っ!」
文句を言いかけたユーリアを慌てて止める。確かに失礼な発言ではあったが、貴族相手ならよくあることだ。それに、今のハインツに他人を気遣う余裕がないのは明らかである。
「奥様は今日もお部屋にいらっしゃるのですか?」
「……ああ。風呂と厠の時以外、部屋から出てこない」
「できれば奥様にもお話をうかがいたいのですが、可能でしょうか?」
ハインツから聞いた話だけでも魔法人形を作れないことはないが、情報の精度はそのまま魔法人形の精度に直結する。
(それに、今回の依頼では主に奥様が人形と喋りたいみたいだし)
だとすれば、ハイドン侯爵夫人から見て完璧な魔法人形を作らねばならない。そのためにも、彼女の話を聞くことは必要だ。
「……分かった」
馬車を下り、ハインツの案内に従って進む。夫人の部屋は二階の奥にあった。
コンコン、とノックをしても返事はない。それもいつものことらしく、ハインツが声をかけて部屋の扉を開く。
その瞬間、うっ……とフィーネは思わず鼻を塞いでしまった。
(臭い……っ‼)
なんとか口に出さずに済んだが、一歩後ろへ下がってしまう。代わりにユーリアが部屋の中へ入った。
「相当、散らかってるわね」
彼女の後ろから部屋の中を覗き込む。部屋中に散らばっているのは玩具や衣服で、どれも子供用の物だった。テーブルの上には、同じく子供用の食器が並んでいる。
そして部屋の最も奥。子供用のベッドの上に蹲り、布団を頭からかぶっている女性がいた。
悪臭の原因は、おそらく彼女自身だろう。
(てっきり私、夫人は自分の部屋に引きこもっているんだと思ってたけど、たぶん違う。ここ、子供部屋だ)
夫人はゆっくりとこちらへ視線を向けてきたが、眼差しが虚ろで目が合わない。わずかに見える髪はぼさぼさで、薄っすらと明かりに照らされた顔はずいぶんと肌が荒れている。
馬車で聞いた話によると三〇歳とのことだが、一〇歳は老けて見えた。
「クラウディア。フィーネ・フェルナーさんがきてくれたぞ。クリスタに会わせてくれる人だ」
先程までとは別人かと思うほどハインツの声は優しい。彼は夫人に歩み寄ると、目線を合わせながら彼女がかぶっていた布団をはぎ取った。
(……もしかして、この人……)
目を逸らしたくなるほど痩せ細った華奢な身体とは不釣り合いなくらい、腹が大きく膨らんでいる。
おそらく彼女は今、子供を身籠っているのだろう。
「頼む。どうにかしてくれ」
泣きそうな声でハインツが言った。このままの状態では、腹の中の子供にも悪影響があるに違いない。事態は、フィーネが思っているよりも急を要するものだったらしい。
覚悟を決め、大きく息を吸い込む。悪臭に耐えながら、フィーネは夫人の傍へ寄った。
「初めまして。フィーネ・フェルナー、魔法人形屋『ルクス』のオーナーです」
「……本当に、クリスタに会えるの?」
がしっ、と彼女はいきなりフィーネの両肩を掴んだ。精一杯力を込めているつもりなのだろうが、全く痛くない。
「はい。お任せください」
フィーネが頷いた瞬間、夫人の瞳から涙が溢れた。
「ですから、ハイドン侯爵夫人——いえ、クラウディア様。どうか、クリスタ様のことを教えていただけないでしょうか」
「あの子は……あの子は、本当に優しい子だったの」
泣きながらクラウディアが喋り始める。その様子を見て、ハインツがハンカチで目元を抑えた。もしかしたら、こんな風にクラウディアが喋るのも久しぶりなのかもしれない。
「……きっとクリスタ様も、クラウディア様に会えるのを楽しみにしていますよ」
言いながら、彼女の折れそうな背中をさする。ありがとうございます、と何度も繰り返す彼女からそっと目を逸らした。




