第1話 目覚めたら、幽霊に抱きしめられました
「ふぁ……寒すぎだよ。お布団、蹴飛ばしちゃったかなぁ」
あくび交じりに愚痴をこぼして、重いまぶたを開けてみれば、枕も布団もなく、わたしは冷えきった石の台座の上で眠っていた。
「おはようございます……って、あれ? 誰もいないの?」
かじかんだ手で体を起こして見回しても、白い小部屋にあるのは、中央に置かれた台座と、その上にいるわたしだけ。
「はて、わたしは誰で、ここはどこだったっけ?」
ふぁ……わかんにゃい。
自分の名前も、ここがどこかも思い出せないけれど、きっと寝ぼけているだけ……ということにして、まずは冷たくて硬い台座から降りようと縁へ脚を下ろした。
ところが、脚をぴんと伸ばしてもつま先は床に届かず、ふくらはぎがぷるぷる震えるだけだった。
「あ、足がつりそう……」
仕方ないから、いち、にの、えいっで台座の上から飛び降りる。
「冷たっ!」
足の裏を刺す冷たさに慌ててぴょんぴょん跳ね、台座へ戻ろうと手を伸ばした。
台座の縁にはどうにか指が引っかかったけど、体を持ち上げる力はなく、わたしは万歳の格好でぶら下がってしまった。
ふぁぁ!?
ちょ、ちょっと、誰か助けてえぇ!?
「ヨ、ヨルカ様!?」
背後から悲鳴じみた声が聞こえたけど、振り返れるわけもなく、宙ぶらりんの足をばたつかせていると、両脇を抱えられ、ひょいっと床へ下ろされた。
振り返ると、髪を編み上げ、侍女らしい服を着た女の人が、信じられないものを見るようにわたしを見つめていた。
「ああ、ヨルカ様……本当に、本当にお目覚めになったのですね。もう二度とお声を聞くことはできないと、覚悟しておりましたのに」
言い終えるなり、彼女はわたしを強く抱きしめた。
く、くるひぃ。
待って。ヨルカ様っていうのが、わたしの名前で、あなたは誰?
聞きたいことはたくさんあるはずなのに、ほっぺたを包む柔らかさが幸せすぎて、頭の中から疑問が次々と消えていく。
なに、このふよふよした幸せ。はふぅ……。
まあいいか。わたしはヨルカ。もう、それでいいじゃない。
このまま二度寝してしまおうと彼女の胸へ深く顔を埋めたところで、ようやく妙なことに気づいた。
抱きしめる力はしっかり感じるのに、その体には少しも温もりがない。
そんなこと、ある?
恐る恐る目を開けると、わたしを抱きしめている彼女の体は、薄暗い部屋の向こうが透けて見えるほど半透明だった。
もしかして、この人、ゆ、幽霊だったのっ!?
慌てて離れようとしたものの、彼女はわたしを逃がすまいとするように、ますます強く抱き寄せてくる。
ぎゅむ。
「あっ、わたくしったら! 申し訳ございません、ヨルカ様。驚かせてしまいましたね」
ぷはっ!
ようやく腕の力がゆるみ、胸に埋もれたまま、どうにか顔を上げることができた。
幽霊だからか、彼女の体にはほとんど重みがないのに、胸の存在感だけは圧倒的で、わたしのほっぺたはまだふよふよと挟まれていた。
ふぅ……。
「お加減はいかがですか? ヨルカ様はずいぶん長いあいだ、それこそ何百年もお眠りになっていたのですから」
「……何百年も?」
抱擁の余韻で呆けた頭では、その言葉の意味までうまく理解できなかった。
「そうですわ! まずは皆様のもとへ参りましょう。ヨルカ様、失礼いたします」
「わ、わわっ!」
返事をする間もなく抱き上げられ、落とされまいと彼女の肩へしがみつく。
「ガルドルフ様! ヨルカ様が、ヨルカ様がお目覚めになりましたっ!」
彼女に抱かれたまま暗い通路を抜けると、ふいに視界が開けた。
うわぁ……広い!
大広間の正面には玉座らしい大きな椅子が据えられ、その左右には白銀の鎧をまとった騎士たちが整然と控えていた。
なんだ、ちゃんと人がいるじゃない。
けれど、騎士たちが一斉にこちらを向いた瞬間、そこで妙なことに気づいた。
だってこの騎士たち、全員、顔が髑髏なんですけど!?
「ひゃっ……!?」
両手で口を塞ぎ、喉まで出かかった悲鳴を押し戻す。ここで大声を上げるのは、絶対にまずい気がした。
「どうした、エリナ殿。ずいぶん騒がしいではないか。いったい何があったのだ」
「ガルドルフ様。ヨルカ様がお目覚めになったのです!」
「なんとっ! ヨルカ様がっ!?」
床を揺らすような足音とともに、鎧をガシャンガシャンと鳴らしながら、大きな何かが近づいてくる。
無理無理無理、怖すぎるんですけど!
エリナの肩口へ顔を埋め、何も見なかったことにしようとぷるぷる震えていると、彼女に背中をとんとんと叩かれた。
顔を上げろということらしい。
上げたくない。絶対に上げたくない。それでも促されるまま恐る恐る顔を上げると、すぐ目の前で、ガルドルフの髑髏がこちらを覗き込んでいた。
ぽっかり空いた眼窩と、ばっちり目が合う。
「ぴゃああああっ!?」
今度こそ悲鳴を我慢できず、エリナの体へぎゅうっとしがみついた。
「ガルドルフ様! そのように顔を近づけたら、ヨルカ様が驚いてしまうではありませんか!」
「そうであった! すまんすまん! 吾輩が骸骨であることを、つい忘れておったわ! がっはっはっはっ!」
骸骨であることって、忘れられるものなの!?
エリナは笑い続けるガルドルフからわたしを守るように抱え直すと、広間の奥にある玉座へそっと座らせた。
抱き上げられたときはあれほど驚いたのに、彼女の腕が離れた途端、急に心細くなった。
ああ、エリナぁ……せめて手だけでも繋いでいてぇ。
そんな願いもむなしく、彼女はにこりと微笑み、ガルドルフの隣へ静かに下がった。
玉座はわたしには大きすぎて、座ったというより、広い座面の真ん中へちょこんと置かれた格好になっていた。
「本当に……夢ではないのですね」
「ヨルカ様、長き眠りからのお目覚め、誠にめでたく存じますぞ! 吾輩もエリナ殿も、ここに控える皆も、この日をずっと待ちわびておりました!」
エリナとガルドルフがうやうやしく膝をついて頭を下げると、広間の骸骨騎士たちも二人にならい、鎧を鳴らしながら次々と跪いていった。
静まり返った広間にカタカタと骨の触れ合う音だけが響く。
やがて骸骨騎士たちは一斉に顔を上げ、窪んだ眼窩を玉座のわたしへ向けた。
気絶しそうなくらい怖いんですけど!
いっそのこと、このまま白目をむいて倒れてしまったほうが、よっぽど気が楽かもしれない。
わ、わたし、どうすればいいの……こんなとき、いったい何を言えばいいのよ!?




