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第四章「記憶の紬」14

 待ち合わせの時間よりも十分ほど早く、クレハは喫茶店に到着した。店内に入ると落ち着きのある空間がお出迎えした。チョコレート色の柱と床にアイボリー調の白壁と、ところどころに置かれた観葉植物がアンティークな空間を醸し出す。


 平日の昼間ということもあって客入りは少なかった。ウェイターの女性にあとから二人来ることを伝えて窓辺の席に座る。


 先に何かお飲みになりますかと、聞かれたが断った。ウェイターは静かに席を離れ、カウンターへ戻っていった。


 クレハは窓から空を見上げた。今日の空はどんよりとしている。シェルターより上の空の青は雲隠れ。不意にクレハは高等学院で受けた自然科学の講義を思い出した。


 現在の砂漠には二種類ある。一つは気候的砂漠。大陸の最奥部には、海で出来た雨雲が到達することがほぼないため空気や土壌が乾燥して砂漠となる。


 もう一つが殺人光線的砂漠。雨雲は到達できるが、土壌を作る植物が育たない場合だ。植物は枯れ、それを分解する微生物すら生きられない。表面にあるのは降水による湿潤と太陽光による乾燥を繰り返されたことで、跡形なく細分化された生き物たちの死骸。だけど、その下には湿った土があり、さらにその下にある水脈はまだ生きているという。その水脈をうまく取り込みつつ、シェルター内で循環させられているから、都市は水が不足することがない。


 やっぱりすごい技術だなと、クレハは空に横たわるフレームを見て思った。あのフレーム一本一本に人口雨を降らせるための機構が備わっているのだから。そのおかげで人にとっても植物にとっても最適な気候を再現出来ている。


 カランコロンとドアベルが鳴った。


 クレハは店の入り口の方を見やる。男性と女性の二人。二人とも、軍服を着ている。


 男性の方は、背格好が人にしてはやけに武骨なようにみえた。その体格からすぐにレフォルヒュ―マンなのだとわかった。


「今日は曇ってて肌寒いわね」


「いつもが暑すぎんだよ。寒いと言っても気温二〇度くらいはあるだろ」


「それより、皆にはなんて言って出てきたの?」


「ちょっくら散歩いってくるって」


「それならいいか。間違ってもうまい物食べに行くとか言わないでよ。妬み嫉みの応酬を受けるのは、あなたなんだからね」


「へいへい。わかっておりますよ」


 クレハは、二人の姿を見ていて不思議に思った。レフォルヒュ―マンと人間という間柄なのに訳隔たりのない会話。今まで、クレハが抱いていたレフォルヒューマンとインスペクタ―という間柄のイメージが崩れ去った。


 ——本当にただの夫婦なんだ。


 ウェイターの女性が二人に近づいてくる。「待ち合わせですか?」と訊かれ女性の方が「そうです」と堪える。


 不意に女性がこちらを向いて目が合った。


 クレハは席を立ちあがり、お辞儀をする。


 二人は戸惑ったように顔を見合わせた。頭を下げられるのが居たたまれないと感じたのか女性の方がすたすたとクレハに近づいてくる。


「あなたが、クレハ・アストリーね。私はレイサ・バークス。今日はよろしくね」


 レイサが手を差し出した。クレハは、顔をあげる。


「よろしくお願いします」とレイサと握手を交わした。


 ついで、クレハは、相方のレフォルヒューマンを見る。


 全体的に短髪で横髪をスポーティに刈り上げた男。肌が日に焼けた褐色で、男らしくもやんちゃな感じを見せる男は、どこか納得したような面持ちでクレハを見つめる。


「アストリーってあんたのことだったんだな」


 ライアンの言葉でクレハの頭に疑問が浮かぶ。自分はこの人とどこで会ったのだろう。


「どこかで、お会いしましたか?」


「ついこの間。ほら、ヴォイドシティで会ったじゃないか」


 クレハは、記憶を辿ってみる。確かに助けに来てくれたレフォルヒューマンと、声とか口調とか同じな気がしてきた。


「えっ。あなただったんですか?」


「そうだよ。オレは、ライア・ンバークス。よろしくな」


「よろしくお願いします。あの……、あの時は、ありがとうございました」


「良いって。気にするな」


 ライアンは屈託なく笑った。


 レイサはクレハと向かい合うように座り、ライアンはレイサの隣に座った。


 席に着くと早速、ホログラフィーを使ってメニューを立体表示させる。


「早く何か注文しようぜ。腹が減ってんだ」


 ライアンは、魚介の入ったオイルパスタと合成牛肉の煮込み。レイサは、喫茶店らしく、サンドイッチ。クレハは、ガレットを選ぶ。飲み物は、ライアンがコーヒー。女性二人はアイスティーを注文した。


 注文してから五分としないうちに料理とドリンクは、マネキンみたいな形をした配膳ロボットによって運ばれてくる。ちょっとした雑談を交えつつ、各々が料理を楽しんだ。


 料理を食べ終えて、飲み物のおかわりを注文した所で、今日の本題が始まった。


「それで、いま、レオンはどんな状態なんだ」


 ライアンの問いにクレハは答える。


「下半身が駄目になってしまって、回復の見込みはありません。肺も熱を吸い込みすぎたせいで、だいぶ弱ってしまったみたいです」


「まともに動けないって感じだな」


 神妙な面持ちでうつむくライアン。


「ねえ。一つ質問なんだけど、あなたは彼がコールドスリープを継続したまま死を待つのと、記憶を失くしてしまってでもレフォルヒューマンになってしまうの、どっちが嫌なの?」


 レイサの質問にクレハは、しばし沈黙した。


 どちらが嫌なのか。クレハは、そんなふうに考えたことがなかった。どちらがレオンにとって良い結果になるのか、それだけしか考えてなかったのだ。


「どうして、どっちが嫌か考える必要があるんですか」


「だって、この選択をした責任をあなたは一生背負っていくのよ。どっちが絶えられないのか考えるのは、普通だと思うのだけど?」


「私は、レオンにとって最善な選択をしたいんです。私のことなんてどうでも良い」


 ここで、ライアンが口を挟む。


「残念だけどな嬢ちゃん。オレはもう、三年はレフォルヒュ―マンやっているけど、いまだにどっちが良かったかなんて、はっきり言えない。生きている分、レフォルヒューマンになった方がよかったのかもしれないが、どちらにせよって感じだな。機械に生かされることは、生易しい物ではない。それにレフォルヒューマンになれば、君がどんなふうにレオンと接しようと、周りからは兵器として見られる。君にとってはかけがえのない大切な人でも他の人にとってはただの物なんだ。それがオレたちの宿命だ。オレたちは兵器として生き、兵器として死ぬ運命にある」


「私はそんなことを訊きたかったんじゃないです」


 クレハは、自分の声が感傷的に高ぶるのを感じながらも、自制が出来なかった。


「あなたには、生きててよかったと思える瞬間というのが、一度もなかったんですか?」


 ライアンは答える素振りを見せない。クレハはレイサの方を見て続ける。


「ありましたよね。機械化してでも生きさせてよかったって思える瞬間が。たとえ目の前にいるのが、記憶を失くしてしまった機械人間でも、それは大切に思ってきた人のはずです。あのとき、この選択をとって良かったって思う瞬間は全くなかったのですか?」


 その問いに、レイサは眉根をゆがめた。まるで苦痛を堪えるかのように。でも彼女は答えない。本当は答えてあげたいのに我慢しなくてはならない苦悩の顔。


 それを見てクレハは、レイサもタイラスと同じ立場なのだと理解した。結局はこの人も答えを教えてくれないんだ。


 見かねたのかライアンが口を開いた。


「嬢ちゃん。その質問は、嬢ちゃんの言い分の的を得ていないよ」


「どういうことなんですか?」


「レイサが良かったって思う瞬間を聞いて何になる? それはレイサが抱いた感想であって、相棒のレフォルヒューマンが抱いた感情ではない。もう少し付け足すと、オレは生かされてよかったと思ったことは一度もない。だって、しょうがないだろ。記憶がないんだ。オレにとっては機械化した後から、あんたらでいう人生が始まったようなもんなんだ。その短い人生のほとんどを戦場で生きてんだよ。毎日痛いのを我慢してよ。どう考えても良かったなんて思えねえだろ」


「ライアン」


 レイサがライアンの方を見て首を横に振った。


 クレハは、訳が分からなくなっていた。二人は、レフォルヒューマンとインスペクターいう歪な関係でありながら結婚までした。愛がそうさせたはずなのに、二人は結ばれた瞬間も、良かったと思わなかったのだろうか。


「じゃあ、なんで二人は結婚されたんですか?」


「それは単純にオレから惚れた。ただそれだけのことだ」


 続けて口を開こうとするライアンの肩にレイサが手を置いた。ライアンは開きかけた口をおとなしく閉じる。


「ねえ、クレハ。あなたは、背中を押してほしいのよね。いま、あなたが置かれている状況がものすごく苦しくて辛いから。わかる。私もそうだったから。でもね、いくら助けを求めても、誰も助けてくれはしないの。だって、誰も何が正解なのかわからないんだもの。だから、あなたが後悔しない方を選択しなさい。レオンの苦しむ姿を見たくないんだったら、もう彼の命を諦めてもいいし、どんな形であれ生き残って欲しいと思うのであれば、彼をレフォルヒューマンにすることを希望すればいいと思う。大丈夫。あなたの選択に間違いはないわ。だって間違っているのは、この不条理な世界なのだから」


 この世界が嫌い。自分がそう思っていることに初めて気が付いた。大切な人を不条理に奪っていくこの世界は、あのとき、戦場で何もできなかった自分以上に嫌いだ。


 手が震えた。目に涙がにじんだ。何もかも壊れてしまえばいい。全てがどうでもいいと思った。なのに、捨てられない思いがまだ残っている。


「あなたの本心を私たちに教えてみて」


 クレハは、震える声で言った。


「私、絶対レオンを死なせたくないです。私は……。私は……。レオンがもう一度……、笑っている姿を見たいです……」


 クレハは、恥ずかしさのあまり、顔を挙げられなかった。それでもレイサは微笑んでくれていたんだと思う。


「もう無理しなくて大丈夫よ。生きてさえいれば、いつかきっと彼も笑ってくれる日が来るから」


 レイサが手をかさねる。その手の温もりに、またクレハの目から涙がこぼれた。

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