8話 「ユニーク・コカトリス」
首都オーディア――歓楽街ガロン北部、貧民街。
貧民街。その名の通り、貧しい人々が暮らす街である。
歓楽街ガロンでは他の区域から発生する収入源によって、貧民街に掛かる税金は全て免除されており、ある程度の衣食住ならば、先住民の殆どが生活に困る事は無い。
だからと言って、貧民街の治安はそれ程良好という状態ではなかった。
他の区域と比べて収入が乏しく、日夜住民による窃盗や密売などが盛んに行われており、興味本位で貧民街に訪れる者は誰も居ない。
冒険者が貧民街の自警団として派遣される事はあったが、住民との汚職が発覚して以来――、第一冒険者組合ラドムは、貧民街の依頼を全て拒否する様になった。
唯一残された第二冒険者組合クレムも、貧民街の依頼は全て拒否していた。
――だがクレムのギルドマスターは止むを得ず、歓楽街ガロンを拠点に活動する全てのギルドに依頼を投げたそうだ。
その結果。本来関わりを持たないギルドが、貧民街の厄介事に首を突っ込む形となり、彼等でさえも非常に頭を悩ませる事態へと大きく発展していった。
それは闇に近付き過ぎた者は消され、現場には痕跡すらも残らないという風の噂だった。
――だが、あくまでも唯の噂だ。
実際。噂に耳を傾けない者達は、数十名も居たからだ。
しかし彼等は一夜にして全員が行方不明者となり、昨日まで存在していた筈のギルドでさえも消滅していたりと、各冒険者組合でも数多くの問題が報告された。
その後。ギルドでは説明出来ない様な不可解な状況が続く中、問題の貧民街は、着々と元の治安悪化の状態へと戻ったようだ。
テクトはユーゴと共に、そんな危ない雰囲気が漂う貧民街に訪れていた。
周囲を見渡せば、コンクリートで造られた建物の殆どは倒壊されており、唯一残された小さなログハウスのみが密集している。
――だが空き巣があるのか、硝子の窓には、木材の板で全て塞がれていた。
「テクト。その魔法の本凄いよな。さっき貧民街のガキが窃盗したって言うのに……」
「ははは……、そうですね」
ユーゴがそう関心していると、テクトは苦笑した。
テクトが貧民街に来てからというもの、この珍しそうな紅色の本レガリアは何度も盗まれている。
――だがこの紅色の本レガリアの、九つの条件の一つ。『この本は破壊や消滅及び奪取されず、原作者の許可無しに所持及び閲覧できない』が発動しており、誰かに本を盗まれても、虚空から再びテクトの手に戻って来ていた。
(まぁ流石に、他の荷物は置いて来たけど……)
貧民街へ行く前に、テクトはモルタから紅色の本レガリア以外は全て没収されていた。
ユーゴに関しては窃盗に手慣れているのか、自身の所持品を守りつつ相手の所持品を逆に奪っており、素人のテクトには到底不可能な技術だった。
「テクト。もう少し歩けば到着するが、少し休むか?」
「いえ――大丈夫です。歩くのは好きなので……。それに、ここがここまで物騒だとは思いませんでしたよ」
「まあな。初めは仕方ない。僕だって最初、学生時代にここへ訪れた時、武器や財布が盗まれてな……。近くの露天で高額売買されたから、その時は諦めるしか無かったんだ。だけど天霧教官が助けてくれてな。それ以来、僕はあの人を追う様になっちまった……」
(ユーゴさんに、そんな過去が……)
「創立者って凄いよな。僕にはそれが――」
「ユーゴさんも凄いと思いますよ。だって今日、自分を案内してるでしょ。普通だったら、案内役なんてしませんよね?」
テクトは決して、ユーゴの肩を持ってる訳ではない。
本来ギルドは護衛依頼以外で案内役になる者は誰もおらず、テクトの場合でも、基本は収集した情報のみを報告する立場である。
それはギルド〈アノニミティ〉にとっても、変わらない。
「ああ――そうだよ。普通はやらないな。何でやったんだろうな。案内しても、報酬なんて無いのに……」
〈審判科〉の創立者――雨霧礼二は、弱者を放っては置けない。
確かに真面目過ぎる性格ではあるが、〈審判科〉を創立する前は自警団を名乗って活動していた。
ユーゴはそんな雨霧礼二を追って行く内に成長し、現在のギルド〈アノニミティ〉を生み出しているならば、ユーゴ自身が雨霧礼二の意思を受け継いでいても、何もおかしくはなかった。
「着いたぞ」
ユーゴがそう言うと、テクトもその場に立ち止まった。
そこは高さ三メートル程の石壁に囲まれた、貧民街ではとても珍しい大きな屋敷が見えた。
――だが現在テクト達がいる場所は、その屋敷の正門ではなく、裏口であった。
裏口の中央には、南京錠が掛けられた鉄格子の門扉があり、周りに生い茂る雑木林や植物のつるによって、長年に亘って除草作業が行われていない事が分かる。
「ユーゴさん。こんな所、どうやって通りますか?」
「ああ――あそこを見てみろ。昨日の内に、邪魔な石壁は既に壊してある」
ユーゴが指差す方向には、ぽっかりと空いた小さな穴が見えた。
人間一人がギリギリ入る事が出来るその小さな穴を見れば、外からは誰にも見えない様に、雑草で覆い隠す工夫が施されていた。
そして小さな穴の付近には、黒い煤の様な物が微かに付着しており、茂みの中には石壁の中に存在したであろう金物を固定する為の部品が散らばっていた。
これは決して自然に出来たものではない。
屋敷へ侵入する為に、誰かが石壁に対して爆発物を使用し、無理矢理にでも抉じ開けた穴である。
「バレなかったんですか……?」
「全く……。昨日は屋敷の外周には、誰も居なかったようだ。ザックも、ここの治安の悪さを充分に理解しているだろうし、部下からの報告では、今日の朝も、ここには誰も訪れていないらしい」
(普通警戒くらいはすると思うけど……。待てよ。もしかして貧民街だったからか……? それにしても、頭が悪い様な……)
ギルドは複数の拠点を構えていても、何も問題にはならない。
確かに貧民街は危険な場所ではあるが、住居の家賃は比較的に安く借りられ、人々の善悪に関係無く、家や土地すらも購入する事が出来る。
だから悪人は常にプラス思考で拠点を複数に分散させ、偽物の拠点を多めに配置する。
目当ての拠点を特定する為には、頼れる専門家に依頼する以外に方法はなく、またクリスが言うには貧民街だと泥沼と化すという情報もある。
そして外壁の破壊行為だと、本来ならば警戒体制となってもおかしくはない状況だが、そこは運営者次第。
テクトはこの屋敷の主――ザックの本拠点は、別の場所にあるのだろうと思い、深く考えるのはやめた。
「さあ、行くぞ」
「はい」
テクト達は石壁の小さな穴を通り抜け、屋敷の庭へと侵入した。
屋敷から見て裏側なのか、庭の周りには草原がなく、人が歩いても問題が無い程の土の地面が広がった。
その庭の付近に、鶏小屋が見えた。
――だがテクトは自身の直感を信じて、そのまま屋敷の方へと向かった。
するとユーゴもその鶏小屋に気付き、テクトに話し掛けた。
「一度、向こうを探して見ないか?」
「たぶんですけど、あそこは違うかと思います。なんとなくですが……」
「……分かった。どの道、誰かに気付かれたら終わりだからな」
ふとテクトはユーゴに対して、ある疑問に気付く。
「ユーゴさんって、レギノアは持っていますか?」
テクトのその発言に、ユーゴは驚きを隠せずに目を見開いた。
「ああ――悪い。意外な質問が来たからな……。まぁ……、持ってはいるよ。ただ余り使わないだけさ」
テクトは神眼を使用し、ユーゴの真偽を確かめた。
〝《【現在1】現在も〈ユーゴ〉はレギノアを所持しており、その事実を〈テクト〉に明かした》〟
(レギノアを所持しているなら、尚更さっきの発言……。まだ自分の事を信じ切れてないのか……?)
レギノアとは二種類の能力があり、一般的には真偽を見破る能力を持つ魔法の片眼鏡を扱う事が出来る。
所有者は王都フェルガント出身の魔法学院〈審判科〉の生徒のみであり、卒業後もレギノアを返却する義務はない。
但し罪人だと、話は別だ。
「〝レギノア〟〝モードチェンジ:モノクル〟」
ユーゴは魔法の片眼鏡――レギノアを召喚し、それを右目に装着する。
そして右目を鶏小屋に向け、ユーゴは魔力を使用してレギノアを発動させた。
「〝ジャッジ――!!〟」
ユーゴの視界には青白い景色が広がり、対象物を指し示す赤い光を探し始めた。
――だがその鶏小屋に、赤い光は全く見当たらなかった。
「確かに、鶏は居ない様だな……」
「だったら、さっきの話、分かってて話したんですか?」
「いや――悪い。少しテクトを試したくてさ……。気にするな。普通だったら、周りから攻めるだろうと思っていただけだ」
「まあ自分は気にしてないので、別に良いですけどね……。早く行きましょ」
「ああ――そうだな」
(もしモルタがこの場に居たら、今頃ユーゴさんは、質問攻めに遭っていただろうな……)
その後。テクト達は不用心に開けてあった木製の扉を抜け、そのまま音を立てずに、屋敷の中へと侵入した。
するとユーゴが先行して隠れられそうな部屋を探し、テクトをその場所へと誘導させた。
そこは周囲に複数の木箱が積まれた倉庫の様な場所であり、光源は中央に吊るされた橙色の照明のみ。
木箱が照明よりも遠くに配置されているお陰で、テクト達は気配さえ殺せば、誰かに発見される心配は無さそうだ。
すると一瞬――。奥の部屋から、微かな物音が聞こえた様な気がした。
テクト達は急いで木箱の奥へと隠れ、物陰に身を潜める。
それから数秒も経たない内に部屋の扉が開き、奥の部屋から身長差がある二人組の男性が姿を現した。
低身長の彼は、身長百六十センチ程の痩せ細った身体に、髪型は茶色のベリーショートの七三分けであり、柿渋色の様な灰がかった黄赤色の目が特徴的で、歯並びが悪い男性。
服装は花柄模様の半袖アロハシャツに、茶色のショートパンツ。橙色の派手なサンダルを履いている。
そして高身長の彼は、身長百八一センチ程と高く、美を象徴するかの様な鍛え抜かれた筋肉質の細い身体に、髪型は金色の長髪であり、黄金色の様な黄金のつり目が特徴の男性だ。
服装は黒い着物に、茶色の馬乗り袴。足には薄い底と金具付きのかかとが特徴の黒色の雪駄を履いており、黄金龍の模様が刻まれた神秘的な黒色の羽衣を纏っていた。
するとテクトの隣に居たユーゴが高身長の男性を見ると、驚愕しながら小声で呟いた。
「何でアイツが、こんな所に……!!」
「アイツって?」
「低身長の男は、テクトが探していたザック本人で間違いない。アイツっていうのは、高身長の男の方だ……」
高身長の男性の外見を見れば、ザックと比べるまでも無い程の貧富の格差が激しく、テクトも内心では大富豪の唯の客人だと思っていた。
するとユーゴは小声のまま、そっとテクトに話し始めた。
「アイツの名は、金海金治。王都フェルガントの金海神社で金を横領した罪が科せられ、現在は指名手配犯だ。――だがアイツの信者が多過ぎて、僕では手に負えない相手なんだ……」
ユーゴの話によると、金海神社の神主――金海金蔵は、金海家に代々伝わる人々に対して巨富を築くと云われる黄金の目を持っており、王都フェルガントでは『金眼の相承者』として有名な人物だという。
金蔵の息子である金治とその妹は父親に横領が発覚し、兄妹共に国外追放されたようだ。
――だが金治達は『金眼の相承者』の後継者だという事実を隠し、現在は占い師として『黄金神眼継承者』を名乗り、詐欺紛いな悪事を日々繰り返しているという。
彼等は金銭を要求する、唯の詐欺師ではない。
神の代行者として人々の前に君臨し、言葉巧みな話術によって、周囲の人々の金銭感覚を狂わせ、最高神の代行者である他の占い師を紹介して、人々に大金を消費させる。
云わば、計画的な占い詐欺である。
ギルド〈アノニミティ〉内にも、金海金治を神の代行者だと崇拝する信者が居るらしく、ユーゴも迂闊に行動が出来ないようだ。
日本でも動画投稿サイトには、生成AIを利用した架空の人物が神様の知り合いだと名乗り、毎日の様に動画を投稿している、悍ましい光景が存在する。
彼等の場合は、動画内で胡散臭い設定の人物が合成音声を用いて人々に語りかけ、嘘の情報をあたかも真実かの様に熱弁し、外部への誘導策として無料占い診断に行い、『無料』という言葉に弱い顧客を誘い込み、次の診断料で金銭を騙し取る。
もし占いが外れても上手く誤魔化せば、情弱な顧客に嘘が発覚する事はなく、また外部なのだから、動画投稿サイト自体には通報される心配もない、新手の詐欺師の手法だ。
(黄金神眼継承者って、〝《神眼の継承者》〟のパクリじゃねぇか……)
「ザック。飯行かね? 俺、腹が減ってよ……」
「何度言えば分かる? 今日は行かねーよ!! 重要な案件が午後に控えてる」
「別に午後なら大丈夫だろ? 腹が減っては戦は出来ぬって良く言うだろ?」
「…………」
金治はザックを言葉巧みに誘導するが、ザックは沈黙を貫いた。
あとひと押しなのだろうと考えた金治は、ザックにある提案を思い付いた。
「予祝がてら、この俺が奢ってやるから行こうぜ。な?」
「――チッ……。分かったよ。行けば良いんだろ」
金治の提案に痺れを切らしたザックは、舌打ちしながら諦めた。
ザックの財布には現在、一銭も残っていない。
今回の案件さえ終われば、ザックは鱈腹食えるだろうし、我慢なら貧民街で慣れていた。
すると金治は両手を合わして、立った状態で瞼を閉じる。
その行動に気付いたザックが、金治に向かって怒声を浴びせた。
「何やってんだ!! お前――!!」
「悪い――成功祈願してたんだよ」
金治は瞼を開くと、ザックに謝罪しながら、大人しく説明し出した。
「成功祈願だぁ? 馬鹿な事してないで、さっさと行くぞ!!」
「はぁ……。そんなに急がなくても良いだろ」
金治が溜め息を吐いてる間に、ザックは先に部屋を出て行った。
すると金治は軽くあくびをしながらも、ザックの後を追って行く。
そして屋敷の玄関の扉が開いてから数分後――、鍵を掛ける音が静かに聞こえ、ザック達はこの屋敷を後にした。
「もう行ったみたいだな……」
「そうですね……」
テクト達は物陰から姿を現すと、一度、二人は一息吐いた。
そしてユーゴは屋敷に対してレギノアを使用し、監視カメラが無いのか、索敵し始める。
――だが何も見当たらなかったようだ。
「ザックが商人なら、監視カメラが有ってもおかしくない話なんだがな……。まぁ……、この屋敷内に設置して無くて、助かったな……」
「ザックって、本当に商人なんですかね?」
「テクト。あれでもザックは、生粋の商人だ。ギルド〈セントラル協会〉の幹部の第九席で、僕も何度か面識がある」
(本当に商人なら、実際にここを視れば、少しは分かるか……)
テクトはこの屋敷に対して、神眼を使用した。
〝《【現在1】この屋敷の所有者は既に他界しており、現在この場所は廃墟と化している》〟
〝《【現在2】この屋敷内には、ギルド〈セントラル協会〉幹部第九席の〈ザック〉が仕入れた盗難品を、常に管理している》〟
〝《【過去1】この屋敷の所有者は他殺であり、現在も屋根裏部屋には、彼の遺体袋が存在する》〟
(遺体が屋根裏部屋にあるのか……。あまり行きたくは無いな……)
テクトは戦争が無い国――日本で生まれた。
日本では人の遺体を見る機会が殆ど無ければ、殺人鬼の様に実際に慣れるまで教育される訳でもない。
――だが人間は何かを発見したならば、安易にそれを想像出来る単純な生き物だ。
テクトもその一人であり、神眼――プロビデンスの眼を通して、脳内では放置され、腐敗が進行した遺体袋を想像してしまい、テクトの顔色は次第に悪くなっていく。
(吐き気が無いだけ、まだマシか……。ユーゴさんが隣に居て、助かったな……)
「…………」
「どうした、テクト? 顔色が悪いぞ」
「ユーゴさん、大丈夫です。手分けして、鶏を探しましょう」
「テクト――悪いが、鶏が居る様な場所を特定出来そうにない……」
(確かにこの状況下だと、レギノアは使えないか……)
さっき使用したテクトの神眼には、あともう一つの未来が視えていた。
それは――
〝《【未来1】〈テクト〉達は、二階の書斎部屋に存在する隠し扉を発見する》〟
(書斎部屋。以前の家主は、相当な本好きだったのかな……?)
「じゃあ、ユーゴさん。この屋敷に、本が有りそうな場所ってありますか?」
「本? ああ――良いぞ」
ユーゴは魔力を使用して、右目に装着した魔法の片眼鏡――レギノアを発動させた。
「〝ジャッジ――!!〟」
ユーゴの視界に青白い景色が広がり、対象物を指し示す赤い光を探し始めた。
そして目的の書斎部屋が赤く点灯し、ユーゴの視界には書斎部屋への行き先が表示された。
「あったぞ!! こっちだ――!!」
ユーゴは先行し、二階に続く階段へ向かい、書斎部屋へと案内する。
テクトはユーゴの背後を追い掛け、息を切らしながらも書斎部屋へと到着した。
書斎部屋。
壁びっしりに本が敷き詰められた本棚があり、中央に設置された長机にも重ねらた本が山積みになっている。
但し掃除が行き届いてないのか、どの本にも微かに埃が被っていた。
「テクト? 本ばかりで、特に何も無いぞ。僕は他の場所を見て来る」
「――ちょっとだけ待ってて下さい!!」
「分かったよ……」
(今ユーゴさんが屋根裏部屋にでも行かれたら、困るのは自分だからな……)
屋根裏部屋に遺体袋がある時点で、事件性どころか、第一発見者として、一時的に拘束されるのが目に見えてた。
テクトは面倒事に関しては、極力回避したかった。
ユーゴが素直に待機してくれたので、テクトは安堵した。
神眼ではこの場所に隠し扉が存在するらしいが、家主で無い限り、素人にはそれらを解決する方法は至難の業だ。
ここが書斎部屋なのだから、隠し装置は本だろうとテクトは考え、本棚の本を見渡した。
するとテクトの神真眼による直感が反応を示し、左奥の本棚の上段にあったボロボロの本を見つける。
本というよりか、表紙が紛失してるのか全く存在せず、黒い紐で本の原形を留めていた。
テクトは一度隣の本で軽く隙間を作り、そのボロボロの本を手に取った。
そしてテクトはボロボロの本のページを開くと、そこには直筆の文脈が書かれていた。
(これって、亡くなった家主が書いた小説なんじゃ……)
すると突然――右奥の壁面側の本棚がガゴンッと動き出し、テクト達はその奥にあった黒色の隠し扉を発見した。
「こんな所に、隠し扉があったのか……」
ユーゴが先に黒色の隠し扉に近付くと、思わず苦笑した。
――これは完敗だわ。テクトに感謝しないと……。
「テクト。これ見ろよ!! って、おい……?」
ユーゴはテクトの方へ振り向くと、ボロボロの本を読むテクトが見えた。
ユーゴの視線に気付いたテクトは、ボロボロの本を閉じて長机に置くと、黒色の隠し扉に近付いた。
「すみません。ユーゴさん……」
「別に構わないさ」
「それで、これは何ですか?」
「この隠し扉は、設置型翠玉魔技だ。余り知れ渡っていないが、扉を作成するだけでも、億は下らない額になるだろうな……。正直言って、僕が欲しいぐらいだ」
「じゃあ盗めば良いじゃないですか……」
(盗めないけど……)
翠玉魔技とは、収納用魔道具――ファンタジー世界特有の要素を含めるならば、所謂『アイテムボックス』という名称の方が馴染み深いだろう。
用途に関して簡単に説明すると、これは魔法の力で、武器や道具を出し入れする事が出来る道具である。
設置型翠玉魔技の場合は、所有者が持つ管理者権限によって利用方法は多岐に渡り、設置を解除する為には〈魔法科〉や〈魔術科〉、それに〈技術科〉に依頼しなければならない。
「おお!! その手があったな!!」
(え? おいおい、マジかよ。それでも〈審判科〉の卒業生か……!? まぁ……悪党の根城から盗むんだし、家主も殺されて所有者情報は消えてるだろうし、……良いのか??)
「――だけど、今は保留だな……。外すにしても、友人に折り入って頼まないと……」
「じゃあ一旦入りましょう。ここが一番怪しそうですし……」
「それもそうだな」
テクトは隠し扉を開いて、空間の中を覗いた。
扉の向こう側の空間は余り広く設計されておらず、その代わりに鶏達の鳴き声が煩過ぎるくらい聞こえ始めた。
見渡す限り、約二十羽の鶏や沢山のひよこ達が自由に動き回っている。
そのお陰で藁で敷き詰められた場所や産み落とされた卵、餌場には糞などが、空間内でぐちゃぐちゃに散乱していた。
「ユーゴさん。ここから探すんですか?」
「仕方ない。手分けして探すぞ」
ユーゴが先に空間内へと入り、一羽ずつ鶏を追い掛けては捕まえて、依頼の鶏を確認していく。
テクトも空間内に入るが、嫌われているのか、両翼を羽ばたかせて威嚇する鶏も居れば、馬鹿正直に遊び相手になるひよこ集団や、すばしっこくて逃げる鶏達が多過ぎて、捕える前にテクトの体力が尽きていく。
(なんでやねん……)
テクトがふとユーゴを見れば、最初こそは順調に進行していたが、現在は厄介な鶏達相手を追い掛けていた。
テクトは動き回って、少し気付いた事がある。
それは――、空間内の端に睡眠中でもない、ピクリとも動かない横たわった一羽の白い鶏が居た事だ。
ユーゴ曰く、あの鶏は病気持ちか死骸かも知れないらしく、触らない方が良いだろうという判断だった。
(まぁどうせなら、確認して見るか……)
恐る恐るテクトは、その横たわる赤い鶏冠の白い鶏へと近付いた。
鶏にしてはコンドルの様な丸い嘴に、それ以外は特に外見は変わらないが、他の鶏と比べて背丈四十センチ未満の小さい鶏に見える。
腐敗臭はしないので生きてはいるだろうけど、テクトが直前まで近付いても、鶏は全く微動だにしない。
テクトはその辺に有った木の棒で、その鶏の頭をツンツンと何度か突いた。
するとその鶏が半目を開けて、面倒臭そうな眼差しでテクトを見つめる。
そして鶏は右翼を動かし、テクトに風切羽を向けて、謎の仕草を始めた。
まるで物乞いの様なその仕草に、テクトが鶏相手に何か反応出来る訳もなく、その鶏もピタリと右翼を地面に置くと、丸い嘴を開いた。
『オイ人間。何ヲシテオル? 早ク我ニ、何カ飯ヲクレ』
(――!?)
「喋った……!?」
『何ダ、人間? 我ガ人語ヲ話シテモ、何モ問題ハ無カロウ?』
鶏は不思議そうに首を傾げた。
テクトは鶏の反応に追い付けていなかった。
そもそもの話。この【紅き】の世界において、鶏は魔物である。
但し人語を理解する事は出来るが、自分から話す事は到底出来ない。
テクトは一度深く溜め息を吐いて、少し冷静さを取り戻す。
そしてテクトは鶏にジト目を向けて、最初の話をまず論破した。
「じゃあ、餌場に行けば良いだろ」
『ハァ!? アンナ下等生物ガ食ウモノ等、我ガ食エルカ――!!』
「お前、鶏だろ」
『…………』
鶏はテクトの一言で、急に無言になる。
するとマジで空腹なのか、ぐうぅ……と鶏の腹が鳴り出した。
『久シ振リニ話シタカラ、モウ駄目ダ。オイ、人間。後ハ任セタ……』
テクトは溜め息を吐いてから、力尽いた鶏を身体ごと持ち上げた。
その後。テクトはユーゴの方へ振り向くと、ユーゴは座った状態で少し休憩を挟んでいた。
周りの鶏はというと、現在も元気そうに自由に駆け回っていた。
テクトは鶏を持った状態で歩き始める。
そしてテクトは休憩中のユーゴに話し掛けた。
「ユーゴさん。この鶏、変なんです……」
「何だ。その冷めたチキンは?」
「『あ』」
その鶏に気付いたユーゴ、ユーゴに気付いた鶏。
思い出したかの様に、一人と一匹は互いに発声する。
そして鶏は、身体から汗という水分を流し始めた。
「汚っ!!」
テクトはダラダラと汗を流す鶏に反応する。
持った状態だと水分で鶏の身体が滑るので、テクトは身体を掴んだままの状態で、鶏を地面に下した。
するとユーゴは鶏を見て安堵し、ズボンの腰に取り付けたキーホルダーの様な翠玉魔技を起動させ、異空間から鉄製の黒い鳥かごを取り出して、入り口を開ける。
「テクト。一度この中に入れろ!!」
「ああ――はい!!」
テクトが鶏を黒い鳥かごに入れようとする。
――だが鶏は瞬時にそれを察知し、両翼を動かしながら暴れまくり、頑なに黒い鳥かごに入る事を拒み続けた。
『嫌ダ!! ヤメロ!! 悪魔!!』
するとユーゴはその鶏の頭に向けてゴツンッと右拳で殴り、鶏を気絶させ、その勢いで黒い鳥かごに押し込める事に成功する。
そしてユーゴは入り口を閉めて、ダイヤル式の南京錠で黒い鳥かごを施錠した。
「誰が悪魔だって……?? このチキン野郎が……」
ユーゴは鬼の形相で、その鶏に視線を向ける。
それを目撃した他の鶏達がユーゴから離れ、全速力で遠くへと去っていった。
「ユーゴさん??」
「ああ――すまない。コイツだよ。テクトが探していた鶏――ユニーク・コカトリスの……、確か名前はコケコケだったか??」
ユーゴは取り乱した後に平常心を取り戻し、テクトにその鶏――コケコケを紹介した。
最もそのコケコケは黒い鳥かごの中で、嘴から泡を吹き出しながら、白目向いた状態で気絶している。
ユーゴが話すには、ユニーク・コカトリスとは魔力によって、自分自身の姿を変幻自在に変える特殊個体であり、本来飼育する為には魔法封じの首輪をつける事が一般的らしい。
――だが飼い主であるギルドマスターがその首輪を拒否し、コケコケは自由に自分自身の姿を変える事が出来る。
なのでユーゴは予め、この鉄製の黒い鳥かごを準備していた。
これには魔術によって魔法封じの効果が付与されており、本来の使い道は魔力を使用する魔物を閉じ込める為の代物。
――但しおかしな点も、中には存在する。
コケコケはギルドマスターとの親密度に関しては絶大の好感値を誇り、コケコケが自ら逃走を図るなんて事は、まず有り得ないようだ。
(じゃあ――この鶏に、神眼を使えば何か分かるかも……)
テクトはそう感じて、コケコケに対して神眼を使用した。
〝《【現在1】〈コケコケ〉は『ユニーク・コカトリス』という特殊個体であり、飼い主は〈ジュリアナ・ガロン〉である》〟
〝《【過去1】現在から半年前。〈ジュリアナ・ガロン〉が無限高校へ訪れた際、〈コケコケ〉は本校舎にて迷子となる》〟
〝《【過去2】一週間前。白い鶏に変化していた〈コケコケ〉は力尽き、セントラル協会幹部〈ザック〉によって捕獲され、この飼育小屋にて他の鶏達と混ぜて飼育された》〟
(無限高校の本校舎なら、迷子も有り得るか……。何ならその飼い主も、分からず仕舞いだったんだろうな……)
「どうした、テクト?」
「何でも無いです。やっと鶏を手に入れた事ですし、早くここから出ましょう」
「それもそうだな」
テクトがそう話すと、ユーゴも納得した。
テクトは鉄製の黒い鳥かごを持ち上げた後、ユーゴと共にこの空間から立ち去った。
そして書斎部屋へ戻り、テクトが壁掛け時計を見れば、もう少しで時刻は午後の一時になろうとしていた。
テクトがそっと隠し扉を閉じると、ユーゴは書斎部屋から漂う何かの異臭に気付いた。
「何だ? この匂い……??」
さっきまで、この部屋で感じる事は無かった異臭に、ユーゴは眉間にしわを寄せる。
この異臭の出処は、この書斎部屋からでは無い。
動き出した本棚と、あの隠し扉の間の天井からだ。
――この上は確か、屋根裏だった筈……。
ユーゴには屋根裏に空間が有ったかどうかなんて、見当もつかない。
――だがこの異臭に、何処か事件性を感じて、ユーゴの中の〈審判科〉の本能が呼び覚まされる。
ユーゴが動き出そうとした次の瞬間――、何故かテクトがユーゴの身体を制止させた。
「あの……、ユーゴさん」
「何だ――テクト? 今話し掛けてる余裕は――」
「後でユーゴさん経由で、クラン〈ブレイドコレクター〉に依頼を出しても良いですか?」
「それは、この異臭に関係のある依頼か……?」
「はい」
するとユーゴは溜め息を吐いた。
「――そうか。だけど……、僕の呼び掛けに、クラン〈ブレイドコレクター〉が動くとは限らないぞ」
――テクト。君は何を考えている。僕にはそれが分からない。
「それならクラン〈ブレイドコレクター〉には、ギルド〈セントラル協会〉に関する物的証拠が手に入るチャンスがあると、伝えて下さい」
「僕からは責任が取れないが、それでも構わないか?」
「はい。別に自分は構いません」
(少し時期を早めても、何も問題は無い筈……)
そしてユーゴは、また深く溜め息を吐いた。
「分かった。但し、依頼料はどうする?」
「それは……」
ふとユーゴはテクトが長机に置いた、あのボロボロの本が目に入る。
「やっぱり依頼料は良いか……。僕が払っておくよ」
「それだとユーゴさんに、借りが出来ますよね……」
「後で借りは返すだろうから、テクトが気にする心配は無い」
「でも……!!」
ユーゴは長机にあったボロボロの本を手に取り、所定の位置の本棚へと戻した。
すると右奥の壁面側の本棚が動き出し、バタンッと閉まり、その奥にあった黒色の隠し扉が、本棚の中へと隠れた。
「テクト。早くここから去ろう。ザック達が帰って来られると、不味いのは僕達だ」
「はい。分かりました。あの……、ありがとうございます」
「…………。まだ全てが終わった訳じゃない。ほら――さっさと行くぞ」
テクト達は最初に来た道を辿り、裏庭から出て、ザックの屋敷を後にした。
そしてテクトは鉄製の黒い鳥かごを持ちながら、護衛するユーゴと一緒に貧民街を抜け出して、そのままの状態で第二冒険者組合クレムへと足を運んだ。




