16話 一旦木綿
(味覚を感じなくなる事の何処に大きな問題が出るんだろ?)
イドキはキョトンとしていた。
そもそも何故、嫁が自分で作った料理を食べさせたがるのかすら解らないのである。
寧ろ味覚を感じなくなっているのなら、当時の味付けのイメージのまま感じられて良い事なのではないか。
「俺も出来る限り医者として手は打ったんだけどダメでなぁ」
そう言うとゲイルは片方の手で目を覆い、包帯の下から歪に動く表情筋を隠す。
その一方で小柄なイドキの視点からは、彼の逞しい拳がぐっと握られるのが見えた。
ゲイルが何かを伝えようとしているのは、話の流れから分かる。
そして、思ったことを悪戯に紡いだ事で何の意義があるのかと考えて、黙っていることにした。
「そしたらアイツ、嫁さんに『仕方ない、今回の料理は別に人に作らせて今度作ってよ。僕は何時でも待っているからさ』って言ったんだ。
……分かるかい?
料理に関してだけは真っすぐ芯を曲げない男が、はじめて決意を曲げたんだ。
嫁さんはソレ聞いてボロボロ泣き出して……見てられなくてなぁ」
——————やっぱ分からない。
イドキが第一に思った事はそれだった。
人らしい感情を育ててこなかった彼女は必要性でしか判断しない。
そして彼のあらましはここまでだろうから、もう素直に感想を言っても良いのだろう。
ただ目元に何か熱いものを感じて、処理の仕方が分からなくて、結局それを口には出せなかった。
確かに必要性でしか判断しないが、彼自身の気迫は十分肌に感じたのだ。
彼女自身理解出来ていないが共感していたのである。
一旦の静寂が木綿のように漂って纏わりつき、握られていた拳が解かれると同時、それが何もなかったかのように宙へ溶けた頃には、脱力した彼は手の平をパーにしてイドキへ向ける。
そこには、無理矢理取り繕ったような笑顔。
「って、訳で俺は、治せるって言われる薬の話を聞いてやって来たのだ。
うぇーい、ハイタッチ」
「う、うぇーい?えと、えと……」
ハイタッチと言いつつ、平手を置く場所は腰の当たりなミドルタッチ。そこがイドキにとって叩き易い場所であるのだから是非もなしであろう。
ところが免疫のない彼女にとって何をしていいか分からずオロオロと何とも知れない何かを待っているばかりで、だが、手首を文字通り都合よく『救いの手』が掴んでいた。
土を弄っている筈なのに、丁寧に整えた長い爪を持つ指はまるで白魚のように美しい。
何時の間にやらイドキの後ろに回り込んでいた、リリーナの手である。握ったイドキの手の平をゲイルのものに合わせる。
パンと軽い音がした。
「タッチの仕方はこうね。しっかしそんな事も知らないなんて、随分と箱入りなお嬢様なのねぇ」
「ん。まあ、ハコではあるな」
ゲイルはレガティオンを思い浮かべて言って、視線を当のイドキにやると、イドキはコクコクと、忙しそうに頷いた。
やりとりを見たリリーナはふぅんと鼻を鳴らす。
彼女はイドキの手をまた離して、ポケットに手を入れて、壁にもたれ掛かって、ゲイルに向き合う。
「ところで感動のハッピーエンドのトコロ悪いんだけどさ、結構ビターエンドだよ。そのラブコメは」
「ん、どういう事だ?」
「薬はね、今すぐは作れないんだ」
「……はぁ!?」
ゲイルの眼がギョロリと見開かれた。
しかしリリーナは怯まずに事情を告げる。似たような事が幾つもあったのだろう、その表情はあくまで事務的である。
「お求めの薬は、完成に時間が必要でね。時間が経てば経つほど魔力が上昇して効果が高まるってものさ。味覚を感じない病気の治療用だと、今から作って十年ってトコだね」
「なっ!?そんな薬だっていうのに、手持ちが少ないのかよ」
そういえば、少しの量だけは持っていると云う話をしたことを、イドキは思い出す。
リリーナもこの話題になるのが分かっていたのだろう、ポケットから小さな薬瓶を取り出した。コルクの蓋を嵌めた、陶器製の薬瓶だ。
形は目薬に酷似。
「ああ、そうさ。別に商売でやっている訳じゃないからね。
私がこんな人目つかない所で薬師やってるのも、別に富も名声も要らなくて、ただのんびり趣味の調剤に打ち込みたいだけさ。
今はたまたま、昔作った『コレ』だけある。
コレだけあれば、取り敢えず半日くらいは元通りだから、式そのものはなんとかなるんじゃないかな」
気怠そうに歩み寄ると、彼の手へ薬瓶を置いた。目は、笑っていない。
「まあ、材料は持ってきたし約束は守るよ。
十年は結局味覚が無いまんまだ。けど、良い夢見せてやんな」
突然突き付けられた事実にどうすれば良いのか。
ゲイルはリリーナと真面目に目を合わせ、それでも変わらぬ様子を見て、きっとこれ以上は単なる駄々なのだろうと悟る。だから、泣き寝入りという訳でもない。
強く目を瞑り、手首をこねて薬瓶を正式に受け取った。
「……そうか、ありがとよ」
そこへかかる声がひとつ。
今まで置物のようにしていた者の幼い声だ。
「ねえ、ちょっと良いかな」
「ん。なんだいイドっちゃん」
「多分、私ならどうにか出来るよ」
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