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呼吸で深く上下する胸を確認して、少し迷った後、声をかけることにした。玄関のドアが開いたままで店主が居眠りをしていたのでは、防犯面から考えても良くないと思ったからだ。
「えっと、あの……。すいません!」
私がやや、大きな声を出すと眠っていた男性はビクッと身じろぎし、その拍子に顔にかぶせるようにしていた分厚い本が、バサリと大きな音を立てて床に落ちた。そして本が落ちたことで、あらわになった店主らしき男性を見て私は驚く。
てっきり老人だとばかり思っていったのに、まだ二十代と思われる男性だったからだ。昨晩は眠っていないのか目に下に濃いクマを作って、いかにも眠そうな顔である。
起こされた不機嫌さを隠そうともしないで、長く伸びた黒い前髪をかきあげた眼前の男性は、まゆをひそめながらアメジスト色の瞳で、私をにらみつけた。
「あ゛?」
「あ、お休みの所、すいません。……コルニクス魔道具店の店主さんですか?」
「ああ。店主のコルニクスだ。なんだ、客か?」
やっぱり、この若い男性が店主さんだったのか! という内心の驚きを隠して返事をする。
「いえ、私はお客さんではないんですけど……」
「チッ。違うのかよ」
魔道具店の店長コルニクスさんは舌打ちして、忌々しそうに顔をゆがめた。この世界で貴族令嬢として生まれた私は初対面の人から、面と向かって舌打ちされたことが無かったのもあって、黒髪の店主の態度に思わず固まる。しかし、最初が肝心だと気を取り直して全力で自分の顔に笑顔を貼り付ける。
「お休みの所、申し訳ありません。私は道をはさんだ、向かい側の空き店舗に入居予定のセリナと申します」
「ああ、あのクソジジイの店か」
「ク……。ラッセルさんがオーナーのお店に入居予定です。入居する前に店舗のリフォーム工事を行う関係で、コルニクスさんには騒音などのご迷惑があると思うんですが」
「チッ、いい迷惑だな」
再び、いかにも嫌そうな顔で舌打ちされ、軽く心が折れそうになる。しかし、出来ることなら友好的なご近所づきあいをしたい私は、笑顔を引きつらせながら精一杯、悪印象を残さないようにと気をつかい頭を下げた。
「本当にご迷惑をおかけして、すいません……。リフォーム業者の方には工期が短くてすむように頼んだ上で極力、騒音が出ないようにお願いしておきます」
「当然だな」
吐き捨てるように返答され、カケラも愛想が無い黒髪の店主に、私はストレスでビキビキと目元が引きつるのを感じながら何とか、かろうじて笑顔をたもつ。