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思い切り右手をブンブンと振ってみても、銅製ボウルが手の平から離れる気配はみじんもない。
「セリナ。まさか、さっきハリエッタ姫に?」
「はい。握手を求められたとき、手に粘着質な物を付けられたとは思っていたんですけど……。こんなことになるなんて……」
「ちょっと、はがせるか試してみてもいいか?」
「ええ」
「痛かったら言ってくれ。すぐ止める」
そう告げてヴォルフさんは銅製ボウルに手をかけてはがそうとした。しかしボウルごと手平の皮を無理にひっぱられる痛みを感じるばかりで、やはり銅製ボウルは一向に私の手から離れない。
「いっ、いたたたた!」
「すまない!」
「だ、大丈夫です……」
私が声を上げると同時に手を離して申し訳なさそうな表情を浮かべるヴォルフさんに、顔を引きつらせながら何とか笑顔を浮かべてみたが正直なところ、もう二度と力技にたよるのはゴメンだと思った。そんな私の胸中を察したのか、ベルントさんは自身の腕を組んで嘆息した。
「力づくで無理矢理はがすのは、あきらめた方がよさそうだな……」
「くっ! すぐにハリエッタ姫を追って、はがし方を聞き出して来る!」
「いえ、待って下さい」
「セリナ?」
姫君を追いかけようとしたヴォルフさんの服をつかんで引き止めた私に、銀狼獣人は当惑しているがハリエッタ姫は馬車でここまで来たはずだから、ヴォルフさんが自分の脚で追いかけるのは厳しいだろう。
それに先日、第二の庭で黒髪の女官長ミランダさんから、ハリエッタ姫がしばらく王宮に滞在することを聞いている。急いで追いかけなくても姫君の居場所は把握済みだ。
「ハリエッタ姫は私がこうなると分かった上で、さっさと引き上げたんだと思いますし……。先ほどの様子だと、私が困っていると言ったところで取り合ってはくれないでしょう」
「しかし……」
苦虫を噛みつぶしたかのような顔をしているヴォルフさんは、自分のせいで私がこんなことになってしまったために一刻も早く、何とかしないといけないと焦っているのだろう。
実際、ハリエッタ姫が思いを寄せているヴォルフェール様。もといヴォルフさんが私と知り合いだったことや、私がカモ肉をもらっていたことが姫君のカンにさわったらしいので、一番てっとり早い解決方法はヴォルフさんがハリエッタ姫と正式に婚約して国に帰ることだろう。
蒼狼王国に帰って二人が結婚でもすれば、万事まるく収まる気がしないでもないのだけど「私の右手を元に戻すためにハリエッタ姫と国に帰ってください」とはさすがに言えない。特にハリエッタ姫の性格や気性を知ってしまった今なら、なおさらだ。
「この粘着液にはハリエッタ姫も直接、手で触れていました。だったら、少なくとも命に関わるものではないはずです……。とりあえず、情報を整理しましょう。私もヴォルフさんに聞きたいことがあります」




