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「……事実ではない」
「そうなのか!?」
狼獣人が碧眼を輝かせたと同時にダイニングルームの扉が開き、透明な液体が入ったガラスのビンを持ったセリナ嬢がやって来た。
「生理食塩水が用意出来ました! まず、ヴォルフさんの傷を洗い流しますね」
「ああ」
セリナ嬢は用意した生理食塩水という液体を布に染みこませて、銀狼の頬にこびりついた血などをぬぐっていった。
「それで、ヴォルフさんは蜂蜜ケーキが目当てじゃなかったんですか? どうしてベルントさんとケンカに?」
「ああ、その件は……。どうやら誤解があったようだ」
「誤解って?」
「いや、俺の勘違いだったらしい……。もう誤解は解けた」
「そうなんですか? 良かった。ベルントさんって、ちょっと怖そうに見えるから。見た目で誤解されたのかしら?」
「まぁ、そんな所だ……」
何やら歯切れが悪いが、銀狼ヴォルフは俺を誤解していたので戦いを挑んだのだという。俺は昔から、いかつい見た目のせいか粗暴なゴロツキどもにケンカを売られることが度々あった。
上位冒険者として名前が知られるようになってからは、俺を倒して名を上げたいと目論むような連中もいる。人づてに話しを聞く中で、何らかの誤解が生じたのだろうかと考えながら首をひねっているとセリナ嬢は銀狼ヴォルフの頬を治療しながら微笑んだ。
「ベルントさんって一見、怖そうに見えるけど……。実は親切ですごく優しい人なんですよ? 初めて会った時も、私がゴロツキに言いがかりをつけられて困っている所を助けて下さったんです」
「そうなのか?」
「ええ、そうですよね。ベルントさん?」
「ああ」
俺がセリナ嬢を助けたという話は初耳だったようで、銀狼ヴォルフは目を見開いてこちらを凝視している。
「それじゃあ……。パティスリー・セリナが休みなのに、ベルントとセリナが店に入ったっていうのは?」
「休みの日にベルントさんが店に? ああ、きっと私が、初めてベルントさんと会った日のことですね……。ゴロツキから助けて頂いたお礼に、ウチでケーキの試作品を食べてもらったんですよ」
「試作品?」
「ええ、ちょうどあの日、試作品のパウンドケーキを作り過ぎてたんです。それにベルントさんが市場で私を助けて下さった時。ベルントさんが折角、買ったリンゴを駄目にしちゃったのが申し訳なくて……。せめてものお礼にウチで試作品のケーキを食べてもらったんです」
「そうだったのか……」
説明を聞いた銀狼はようやく肩の力を抜いた。




