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「えっ、好きなのと言われても……」
色とりどりのケーキを前に迷っていると弟は箱の中にある、こんがり焼けたパイを指さす。
「そういえば、パイは両方ともアップルパイなんだ。スパイスが入った大人向けと、本来の味を生かしたノーマルなタイプなんだって」
「じやあ、アップルパイにしてみようかしら?」
表面が艶やかに輝く狐色のアップルパイを箱から取り出すと、断面から黄金色の果肉がぎっしり詰まっているのが見えた。
一口食べるとサクサクとしたパイの食感と、厚切りされたリンゴのジューシーな旨味が口の中いっぱいに広がる。さらに、ほどよく効いたスパイスの風味も絶妙なバランスで、私は感動すら覚えた。
「美味しい! これはスパイスが入ったアップルパイね……。リンゴとスパイスがこんなに合うなんて」
思えば学園時代。固い焼き菓子を食べながらセリナは、どことなく不満げな顔をしていることがあった。今思うと、自分で好きなようにお菓子を作りたいのに貴族令嬢という立場だと、自由にお菓子を作れなかったジレンマが彼女にあんな表情をさせていたのかも知れない。
その後、ケヴィンもアップルパイを美味しいと絶賛し、スパイス入りのパイも食べてみたいということで、お互い半分ほど食べた所で交換した。ノーマルなアップルパイも素材本来の味を生かした素晴らしい出来で、とても美味しかった。パイを食べながら談笑している内に、やがて日も落ちてきて風も冷たくなってきた。
「ケヴィン。そろそろ……」
「うん。帰るよ……。また必ず来るから」
「ええ、待ってるわ。叔母さんの言うことを聞いて、良い子でいるのよ?」
「心配しなくても大丈夫だよ」
王宮に住み込みで働いてる身では自由に外出できないのが辛いがその分、給金が良い訳だし二度と会えない訳では無い。月に一度はこうやって家族と会うことが許されている。
とはいえ別れの時間はやっぱり切ない。しかし、姉が寂し気な表情を見せれば、弟に余計な心配をかけるばかり。私はわざと明るい表情を浮かべた。
「ケーキ、一人だと食べきれないから。お世話になってる女官や同僚にも食べてもらうわね。セリナにもよろしく伝えて。……あ、いけない。忘れるところだった!」
「え?」
「私、セリナに手紙を書いてたのよ。渡して貰える?」
「分かった。ちゃんとセリナさんに渡すから安心して!」
こうして手紙を受け取った弟と次の再会を約束し、つないだ手を離すのを惜しみながらも別れた。私はケーキの入った箱を持ち、後ろ髪を引かれる思いで第一の庭を後にした。