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一晩、小屋で過ごし日の出と共に目を覚まして外に出れば、昨日は暗くて気付かなかったが小屋の想像以上のボロさに唖然とする。
崩れかけた日干しレンガの小屋は風化が激しく、補修したであろう泥壁も状態が悪いのが一目瞭然だ。そして死角になっていた小屋の周囲にはガレキが山と積まれている。
「昔、発掘調査に使われていたと言っていたが……。なるほどな」
若干、呆れながら小屋を後にして町の露店で朝食を買った後、今日は観光客が行くルートを歩いてみるかと王墓があるという谷へ向かおうとする。早朝にもかかわらず、すでに観光客らしき者の姿がチラホラ見えた。そして、観光客たちに声をかける現地の者に見覚えのある少年がいる。
「お、兄さん!」
「おまえか……」
昨日、この町に到着した時、真っ先に声をかけてきたガイドの少年だった。
「今日こそ、王墓の観光に行くんだろう? 安くしとくぜ!?」
「まぁ、良いだろう……。雇ってやる」
「やった! まかせとけよ! 僕の名前はレトだよ。兄ちゃんの名前は?」
「俺の名前はヴォルフだ」
「そっか! よろしくな!」
ガイドの仕事にありつけた少年は、自信満々の笑顔を見せた。
墓守の町から曲がりくねった急な階段を通って谷底に降りると、そこには圧倒的な高さの岩壁とそれに見合う二体の巨大な石像が鎮座していた。長年の砂漠の砂塵に晒されているため状態はあまり良くないが、見る物を圧倒させるには十分な存在感だ。
「こいつは、この『ネクロポリス』の守り神だよ」
「ネクロポリス……」
「ここは古代王の墓が複数あるのが有名だけど、実は貴族の墓も何百とあるんだ」
「だから、死者の都『ネクロポリス』か……」
二体の石像の横を通過して内部に入れば、これまた巨大な石柱が数え切れないほど並んでいる。そして、よく見れば柱には古代の文字が刻まれている。
「すごいだろ? この大列柱の間には百本以上の大石柱が建てられてるんだぜ」
「確かに壮観だな」
広い石柱の間を通り抜けると、目当てである王墓の外観が現れた。正面の入り口には四体の巨像が並んでいる。どうやら岩壁を削って作られた岩窟神殿のようだ。
「このデカい像が、この王墓に『葬られていた』王様や女王様の生前の姿らしいよ」
「『葬られていた』……。過去形なんだな」
「だって、肝心の遺体は墓泥棒に盗まれて、とっくの昔に無くなってるんだ」
「古代の王族が身につけていた宝飾品や副葬品を盗むのなら分かるが、遺体まで丸ごと盗まれたのか……」
「王の遺体って、カラッカラに乾燥させた上に香油がたっぷり塗り込まれて、布でグルグルに巻かれてるから良い燃料になったんだってさ」
「燃料……」
「あとミイラってさ、保存のために大量のスパイスも使われたらしいから、案外、良いニオイもしたんじゃないかな?」
「昨日、スパイスの効いた羊肉を食った俺に対する、当てつけのような材料だな……」
栄華を誇り、壮麗な財宝と共に葬られた古代の王も知識の無い者にとっては、その骸が燃料として扱われてしまうのかと思うと、筆舌つくしがたい物がある。
そうこうしている内に砂岩で出来た王墓の最深部までたどり着く。室内の中心部には石棺が置かれ、壁一面に古代の壁画と象形文字が描かれていた。
「ここが王の間だよ」
「この石棺の中に王の遺体があったのか」
「そう言われてるよ。黄金の棺が入ってたらしい」
「黄金の……」
「まぁ、墓泥棒が盗掘して、今は影も形も無いけどね」
少年が肩をすくめる。その後ろの壁に、びっしりと描かれた壁画は異形の怪物や、豪奢な装飾品を身にまとった古代の王族であろう人物、月と太陽、船、そして顔だけが獣や鳥の者に人々がかしずく姿が描かれている。
「この壁画は?」
「ああ、冥府の神と太陽の神だよ」
「神話の壁画か」
「うん。どの王墓の壁画にも最奥の間には、冥府の神と太陽神が描かれてる。王が死んでも再び、復活するのを願って描かれたんだろうって言われてるよ」
「なるほど……」
どれだけ、権力を手にした王でも死は平等にやってくる。特定の神を信仰することによって、死という概念から逃れることが出来ると考え、復活や転生するという発想に至るのだ。
古今東西、どの宗教でも形は違うとはいえ、似たような神話や逸話がある。この壁画も、その類いなのだろう。死しても信仰心さえあれば復活できるという宗教。王が死後の復活を望んでいたのならば生前の王はさぞ、司祭への寄進を惜しまなかったに違いない。
この王墓に描かれた冥府の神にまつわる、再生と復活を表現したらしい壁画が、王や周囲の者が『死からの復活』を強く願ったという証だろう。
「でもさ、古代神話の神様が生き返る時でも『身体』が無いと復活できないらしいんだよね」
「そうなのか?」
「うん。良い神様が、悪い神様に身体をバラバラにされて殺されるって神話があるんだけどさ」
「物騒な神話だな……」
「まぁね。でも身体をバラバラにされた良い神様の妹が、身体を全部集めたおかげで良い神様が生き返るって神話なんだけどね」
「つまり神話のように、死んでも身体という器さえあれば再び復活できると考えて、遺体をカラカラに乾燥させて香油を塗り込めて布で厳重に巻いて保管していたという訳か」
「うん。そうらしいよ。まぁ、それが原因で燃料にされて復活するための遺体が燃やされるとは、古代の人も思わなかっただろうね」
「全くだな……」
その後、他の王墓も見て回ったが、規模が違うとは言え、どれも似たような物だった。少年は他の王墓も案内すると意気込んでいるが、そもそも観光が目的というわけでは無いので、ひとまず谷から上がり墓守の町へと戻ることにした。