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ダイニングルームでは、これまた以前と同様にお茶と共に試食のケーキを出された。こんがりとキツネ色に焼けた黄金色のケーキにはレーズンとクルミが入っているのが見て取れた。前に食べた試作品もかなり旨かったことを考えると、内心の期待が高まる。
意を決して一口食べれば、ハチミツによって生み出された、しっとりとしたケーキのまろやかな食感とクルミの芳ばしさ、酒につけ込まれたレーズンの風味が絶妙な味わいで噛むほどに旨さが口の中に広がった。内心、感動にひたっているとセリナ嬢は、やや不安げにこちらをのぞき込んでいる。
「これなら軽食としても、食べていただけると思うんですけど」
「そうだな……。確かにこれなら」
味は申し分ないし、はた目にはパンのように見えないこともない。これなら俺のような、いかつい男が食べていても、それほど違和感もないだろう。俺は店頭で販売していた新商品『クルミとレーズンのはちみつケーキ』をしっかり一本、購入した。
その後、また俺がセリナ嬢に声をかけられて店に入る姿を目撃されていたらしく、都合の良いことに冒険者やゴロツキの間で「黒熊ベルントとパティスリーの店長セリナは、かなり親しいようだ」「黒熊ベルントとパティスリー店長セリナは男女の仲らしい」という噂が勝手に広まっていった。
そんな訳で、俺はすっかり『パティスリー・セリナ』の常連となっていった。といっても、自分から進んで入店する勇気は、なかなか出せず、いつも店の周囲をウロウロしていると、最終的にセリナ嬢に見つかって声をかけられ店に入る。というのが、お約束のような流れになっていた。
ちなみに『パティスリー・セリナ』へなかなか入れず、俺が店の周囲を徘徊している姿も目撃されていたのだが「自分の女の店に、妙な男が近寄らないか見張っている」「ほかの男がセリナに言い寄ったら、殺すつもりなんだろう」と誤解された。
中には「本当の熊みたいに、自分の縄張りを守っているんじゃないか?」と推測する者までいた。スイーツ専門店に入るのが恥ずかしくて、周囲をウロウロしていると知られるよりは、そっちの方が遥かにマシなので噂に関して、あえて否定することはしなかった。
そしてセリナ嬢にうながされて、入店した俺は大好きなハチミツがたっぷり入った『クルミとレーズンのはちみつケーキ』を必ず買う。そして、彼女にすすめられれば新作のケーキなども言われるまま購入した。どれもメチャクチャ旨かった。
俺がすっかり常連になった頃、ケーキを買いに『パティスリー・セリナ』へ足を運ぶと、値札には値段の表記と共に、なぜか『クマさんも大好き! クルミとレーズンのはちみつケーキ』という一文がそえられていた。