第十一章 疑問と模索
明はネフィエを連れ、堂々と構えている玄関で足を止めた。周りは子連れ、単身、カップルと多彩な人間で溢れている。平日にもかかわらずこの人通りの多さに明は驚いた。
「ここはどこ?」
圧倒的存在感に、ネフィエは建物を見上げた。
「県立図書館。本を買うことはできないが、おそらく一番多くの本が集まるところだな。情報量としては他の場所とは段違いで多いと思う。ここで勝負をかけたいが……」
明は自動ドアをくぐり、中へと入った。ヒヤリとした風が頬を撫でた。汗の効果もあり、余計にそう感じる。後を追うネフィエも、その冷たさに「ひゃぁ」と声を発した。
「別世界に来たみたいね。快適だわ」
「大げさだな。てか、ネフィエにとっては全部が別世界だろう?」
笑みを浮かべる明。しかし、刹那その笑顔が失われた。ネフィエの背後にいる数多の人間の中に、見知った姿が確認できた。
「ラーニャ?」
明は下がっていた眉が一気に吊り上げた。しかし、瞬きを一回した直後に対象の姿は見えなくなった。
「く……」
明は行き交う人々の間を縫い、彼女の姿を探した。
「どうしたの?」
ネフィエが声をかけてきた。振り返ると心配そうに顔を覗かせている。
(ラーニャがいる? 気のせいか?)
険しい表情そのままに明はため息をついた。この事をネフィエに伝えるべきか脳内で自問自答を繰り返す。
(確証はない。彼女らしい姿を見ただけ……無用な心配をかけるのはよくないよな……)
明は「なんでもない」とだけネフィエに伝え、先導しはじめた。
(警戒は俺だけしておこう。今彼女には、元の世界に帰ることに専念させるんだ。相手も下手に手は出してこないはず……と信じたいけど)
険しい表情のまま、防犯用のゲートを通過する。
「ねぇ、明……明ったら!」
体を揺さぶられ、明はハッとなった。大量の本棚の前に立ち尽くしていたようだ。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だ。ちょっと考え事をね……」
「今日は考え事が多いわね」
そうツッコまれ、明は苦笑いを浮かべた。
「昔の人が書いた本を探しに行こう。多分それっぽいモノがいくつかあるはずだしさ……」
歴史書や、科学技術の本。その他学術に関する本は多数見受けられたが、やはり魔術などと言うファンタジー、オカルト系列の本は圧倒的に少なかった。それでも、一本屋に置かれている量とははるかに異なるほどの分量はある。
何冊かは日本語訳されたものもある。ただ、少し難しいものになると翻訳困難なためか、原文そのままのものがあった。当然解読など不可能。そこはネフィエの魔力的な反応を期待するしかなかった。
大量の文献を前に意気揚々と本にかじりつくネフィエ。そんな彼女を見守る明は警戒を強めた。周りにほとんど人はいない。ポツリポツリと見受けられる程度だ。
「どうよ?」
尋ねる明は彼女の反応を待った。本に穴が開くくらいに凝視を続けるネフィエからの反応は芳しくない。
「そうか」
落胆すると棚の陰から銀髪がチラリと窺えた。
「ここに居てくれ。ちょっとトイレに行ってくる」
「え? ええ……わかったわ」
ネフィエから離れる明は一直線にその場所へと向かった。そして、その角にいる銀髪の少女を確認し、声をかけた。
「ラーニャ、だっけか?」
ビクリと体を震え上がらせた少女はゆっくりと振り返らせる。そして、明の顔を見るなり目を丸くさせた。
「あ、あなたは!」
「静かにしろ」
声を上げようとするラーニャの口を、明は咄嗟に塞いだ。
「ここでは大声は厳禁だ!」
精一杯の小声で、鬼気迫る表情をつくる明。その気迫に、ラーニャは黙ってうなずいた。その反応にゆっくりと塞いだ手を離す。
「私のスニーキングに気づくなんて、なかなかやるわね」
身構えるラーニャに、明は呆れて見せた。
「それで隠れたつもりかよ。それより、またネフィエを狙いにきたのか?」
明の問いにラーニャは答えない。
「まぁ、答えないならそれでもいいけどな。どうせ、そういう魂胆なんだろう?」
腕を組む明。ジロリと相手を睨みつけた。
「この際はっきりしてやる。俺はネフィエをちゃんと送り届ける。お前らには渡さないからな」
ラーニャに詰め寄り明は彼女を見据える。意思表示をはっきりとさせた明に対し、ラーニャは何かを呟いた。
「どうしてあの子のことを庇うの? あなたには関係のないことじゃないの?」
吐露するラーニャ。しかし、明は表情一つ変えない。
「理解できないわ」
そう訴える彼女を確固たる決意を持って見つめる。
「無関係じゃないさ。それに、俺をエルネスタの人間と同じ理屈で考えないでくれ」
あからさまに不快と言いたげな態度をとる明。ラーニャは、首を振って意志を示した。ゆっくりと後退し、もう一度「どうして」と自問自答する。
「そもそもさ」
明は真剣な面持ちでラーニャに尋ねる。動揺を続ける彼女はその一言に警戒色を強めた。
「なんで魔族と戦ってんだ?」
明は文献を探すネフィエを見守る。どこから見ても普通の少女そのまま。邪悪でもなければ、害をなしているわけでもない。
「それは――」
ラーニャは言葉を詰まらせた。瞳を小刻みに動かし何かを模索している。
「それ、は……」
ラーニャは口を開けたまましばらく動かなくなった。発条の切れた人形のごとく動じない。
「それは?」
明が助け舟を出すように口にした。すると、ようやくラーニャは頭をやや動かした。
「あなたが知らなくてもいいことよ……。ぶ、部外者が知ってどうするのよ?」
先程の動揺とは打って変わり、ラーニャは強気に出てきた。しかし、強引に話を押し切ろうとしている節がある。捲し立てる彼女の口を再び塞ぐ。
「静かにしろ」
人差し指を口元に当てて子供を諭すようにシィッと声を発した。
(なぁんか、悪役になっている気分だな……)
嘆息する明。睨みつけるラーニャから手を離し頭を垂らした。
「とにかく、そんなことを知ってどうしろって言うの? あなたは無関係じゃないと言った。でも、私からして見ればただの部外者だわ。異世界のことに首を突っ込んで、英雄気取りかしら?」
ラーニャは「言いかえしてみなさいよ」と言わんばかりに勝ち誇った表情を見せる。対する明は、「そうだな」と切り出した。
「俺は確かに部外者だ。でも、無関係じゃない」
ラーニャから目を放し再び明はネフィエを見つめる。ただ見るだけじゃない。見守ると言った方がいいかもしれない。
「あいつとさっき会話したんだ」
「口があるんだから会話くらいするでしょう?」
隙も与えず反論するラーニャ。明は静かに首を振った。
「最後まで聞けって……。あいつ、人間と仲良くできたらって言ってた」
「え?」
ラーニャは絶句した。そして、我に返ったラーニャは鼻で笑った。
「冗談でしょう?」
「冗談じゃないさ。あいつは真剣だった。俺もそんなあいつの考えに賛同だ。そのためにはあいつは異世界に戻って意を発する必要があるだろう?」
ラーニャと向き合い明が告げる。
「だから、俺はお前らにネフィエを渡すわけにはいかない。あいつが無事にエルネスタに戻って行動するために……。だから、邪魔はしないでくれ」
そう言い放ち、明はネフィエのもとに向かおうとする。
「もし――」
そんな明をラーニャが引きとめた。明は振り返らず足だけを止める。
「あいつがそんなことをしなかったら?」
その問いに、明は振り返って笑顔を見せた。
「ネフィエはやるさ。俺は、あいつを信じているからな」
「あなた……」
「明だ」
ネフィエの元へ行く前に明は口にする。
「俺の名は木之柄明だ。お前らのボスに伝えとけ。ネフィエは俺が守る、ってな。お前にもわかるさ。ネフィエが――魔族は危険な存在じゃないってことをさ」
最後に、「妙なことはするなよ」と伝え、明はネフィエの元へと帰って行った。ややあってから振り返ると、そこにラーニャの姿はなかった。
□
「どうだった?」
明は、「ここでもダメだったか」と連れの少女の顔を伺う。ネフィエは思いつめた表情で、先程から声を発してはいなかった。
帰りの途中、文房具店で両手に乗るほどの大きさの消しゴムを購入した明は、空を仰いだ。西の地平線に足を突っ込み始めた太陽。それを背に、二人は住宅街を歩いていた。下校中の生徒がチラホラと見受けられ、明は顔を彼らから反らすように頭を動かした。
「今日は学校なかったんだよね?」
「え? あ、あぁ。まぁ、な」
「本当に?」
ネフィエの無垢な顔で見据えられ明は口ごもる。
「どうして?」
「そりゃぁ、なぁ」
「私のせいなの?」
そう言われ明は言葉を失った。そのまま口を閉ざし答えない。その内に、ネフィエの表情は曇っていった。
「ごめんなさい」
「謝るなよ」
そう言い、明はネフィエに駆け寄る。
「事の重大さにおいてはさ、ほら、ネフィエの方が大きいし。それに、俺は何もできないけど何かあった時に、さ。これは俺自身のためでもあるんだよ」
明の目に、深紅に色を変えた太陽が目に入った。眩しさに目を細め、ほほ笑みで誤魔化す。
「まぁ、その……本当に何もできないけどさ。だけど――」
申し訳なさそうに言い放ち、その後で語尾を強めた。取り出した消しゴムを仕舞い込み、鞄を背負う。
「知らんフリはできないからさ」
頬をかき明は目を泳がせた。そんな彼の手をネフィエが握る。ヒヤリとした感触が手に伝わる。その感触に明はピクリと体を硬直させた。
「ありがとう。ごめんね」
頬を朱に染め、ネフィエは体を震わせる。
「いいってことよ。それより、次のことも考えて行動しなきゃな。返って作戦を練ろう」
明はネフィエと手をつないだまま、帰路を進み始めた。
帰り際、昼間に寄った公園が見えた。完全に太陽は沈み、その明かりの代わりに、電灯が転倒し始める。一斉に灯るそれに、ネフィエはため息をもらした。
「つく瞬間を見るのは初めてか?」
二人は足を止め、公園内を窺った。さすがに、遊んでいた子供たちもそれを合図にボチボチと帰り始めている。その中には昼間にボールをとってあげた子供もいた。その公園に、一際強い光を放つ電灯があった。
ネフィエはそれに近付き、空を仰いだ。
「明るいわね。炎でもないのに……魔法みたい」
しばらく電灯を見つめるネフィエ。そんな彼女の側に立ち、明も一緒に見上げる。
「ここに来た時は、どうしようかと絶望したけど……。今は来てよかったって思えている」
「どうして?」
明が尋ねると、ネフィエは首を振った。
「わからないけど。もし無事に帰れたら自分の意志でまたここに来たいって思っている自分がいるの」
ネフィエの横顔は彼女にとって緊迫しているこの状況を忘れさせるような感じだった。普通の少女。どこにでもいる、同い年のクラスメイトにいてもおかしくはない感覚を明は味わう。
「無事に帰ったらさ。また来いよ」
そう言うと、彼女は嬉しそうな顔を向けてきた。
「本当?」
「あぁ。待ってるからさ」
「あ、ありがとう。明……」
満面の笑み。今までで一番の笑顔だ。
二人はしばらく電灯を見上げた。電灯を囲むガラスは年季を感じさせる。そこから発せられる光が淡い色合いをだし二人を包み込んだ。そんな輝きを静かに見つめ、今あるその時間を過ごした。




