表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

イブの夜

賭けだった。


 はっきり言ってばかばかしいくらいの賭けだった。けれどその勝算とボクの自信とは全く関係なかった。覚えていて欲しかった、同じくらいに初めからやり直したかった。本当のボクを見て欲しかった、同じくらいに何としても隠し通したかった。どちらでも良かった、キミがボクの側に居てくれるなら。そう、ボクは・・・変わりたかったんだ。


誰でもない、キミの手で・・・


 


 出会いは新しい年を二時間後に控えた大晦日。大掃除に年越しそば、しめ縄を取り付けて新年の準備に追われる忙しいけれど楽しい日・・・と言うのはあくまで一般論。その頃のみね子はときたら灰色の受験生活真っ只中の中学三年生、例外の代表格だ。


 だから、いつもと同じ遅い時間まで塾の講釈を嫌と言うほど聞かされて、肩に食い込む正月三が日分の課題を背負ってとぼとぼと、この間もただ闇雲に歩いているだけではいけない。もうろうとする頭に一つでも多くの英単語を詰め込みながら、やっとたどり着いた愛しい布団、いやさ自宅の玄関に手を掛けた時だった。


 「ただい・・・」


 「お・・・おかえり」


 重い気持ちでやっとこさ開けた扉の向こうには、胸の前に手を組んではにかんだような上気した顔。かわいいな、と思ったのも最初だけ、だって、どうひっくり返してもそれは知らない顔だったのだから。


悲劇!高校受験無念のリタイア、美人中学生殺人事件。鍵を握るのは一冊の参考書・・・思わずよぎったのはスポーツ新聞か、火サスの題名か。でもどちらかと言うと強盗よりも人質向けの顔だろうな、などなど。あまりの出来事に混乱を極めた頭はとうとう路頭に迷い、肩に掛けていた鞄は落ちるわ、中身は盛大に散らかってくれるわで、おまけに今しかた苦労して詰め込んだばかりの英単語までもが飛んでいくのが見えた。


あ~あ、と呆れたように額に手を当ててひとしきり惨状に嘆いて、小指の動かし方も思い出せないみね子に代わって、かがんで参考書やらを拾い集めてくれている。前にもこんな事があったし、やっぱり鞄を新しくした方がいいだろうかと、せわしなく動き回る背中を見て思ったけど、そうじゃなくて!


「ありが・・・と」


それでも、はい、と手渡されて口をついた言葉はみね子の意に全く反していて、感謝の言葉を後悔するほどひねくれている訳じゃないけれど、家宅侵入疑惑という非常事態にそれは無いだろう。どうにも出足をくじかれているが、みね子は今度こそ意を決してすうっと、息を吸って口に出そうとしたその時。


「あら、おかえりなさい。帰ってきてるなら言ってくれなきゃ。騒がしいと思ったら」


「何してる、早く入りなさい。こんなところにいたら風邪を引くだろう」


またしても先を越されたのは、いつから居たのかヤツの肩越しに何食わぬ顔で呆れたようにみね子を見ていた両親、しかもさっさと奥へ行ってしまっては聞く事も出来やしない。その姿はあまりにも日常で、勉強のしすぎでおかしくなったみね子は得意の逃避で、彼らにはヤツが見えていないのかとも思ったけれど母は、にっこりと誰でもないヤツに微笑みかける。ヤツも答えるようににっこりと頷き、ますます訳のわからないみね子の法に向き直って、


「ボクたちも行こう。夕ご飯、君が帰ってくるのを待ってたんだよ」


と、みね子の手をぐいぐい引っ張って、向かうリビングに近付くにつれて何ともいい匂いが鼻腔をくすぐるものだから再び、調子が狂ってしまう。そこには先に来ていた両親がみね子を待っていて、結局はいい匂いと空腹に負けて。何の不自然もなく見ず知らずの彼女が団らんに混じっている事実に今度こそは物申そうと、みね子が部屋に引き上げようと、彼女がそれに当然のように付いてきたから勢いよく振り返って。


「あなた一体!誰なのよ」


思い切り眉をひそめて不審もあらわにじろりと睨みつけるみね子の目を、真っ直ぐに目を見開いて・・・と言うよりは声も出ないくらいに驚いた顔をするものだから、思わずぎくりと、何か拙いことでも言ってしまっただろうかと頭をめぐらせるも皆目見当も付かず、彼女の方はまるで壊れた人形のようにまばたき一つしないで固まっている、と思ったが。


すうっと目を細めて、口端を吊り上げて笑った顔はぞくりとするほどに美しくて。


「くす・・・今さら?」


「い、今さらでも何でも!何で他人んちの団らんに溶け込んでるのよ、何が目的なの?」


「大した目的じゃないよ、こうしてキミに会えた事だし」


「それなら・・・用が済んだのなら出て行って。わたし、見ず知らずの人間をすなおに受け入れるほど寛大じゃないの」


「見ず知らず、じゃなくて悠って呼んでくれると嬉しいかな。仮にもここではキミの友だちって事になってるんだから。それに・・・出て行くって訳にも行かないんだよね」


「どういう意味?」


「ん~・・・ちょっと言いにくいんだけど・・・かくまって!追われてるの」


「言いにくい割に口の軽い事。何、警察のお世話になってる~とかなら即刻つまみ出すわよ」


「そんなに悪い事はしないけど・・・両親とちょっとね」


何でまた、とみね子が続けようとした時だった。階下で玄関の呼び鈴が鳴る音がしたと思ったらびくっと、それに合わせて悠のからだが強ばったのがわかる。顔色が見る見る青くなってしいっと、口に人差し指を当てがって黙っているようにとジェスチャーしている。


みね子としてはこんな夜分の訪問者に少なからず興味があったし、話が良く聞えないので部屋を出ると。あ~!と声にならない叫びが聞える。気にせず廊下まで出ると何だかんだ言って悠も付いてきて櫛ダンゴよろしく階段の下を覗きこむ。


みね子の母の背中と上品な物腰が伝わってくるご夫人は良く見えない。が、こちらに気が付いたのかすっと顔を覗かせて、悠、と呼びかける。呼ばれた悠の方は見るからにどきりとして慌てて身を隠す。今度はみね子に向かって口をぱくぱくさせているから、驚かされたお返しとちょっぴり腹いせに蹴り飛ばしてやった。


「痛い!」


「悠!探したじゃない、こんな時間までよそ様のお宅に迷惑を掛けて・・・観念していらっしゃい」


見付かってしまっては仕方がない。罰の悪そうな顔を引っさげてしぶしぶ階段を折り始めたので、みね子も興味本位で付いていく。


はたして、他人んちの玄関で再会を果たした母子、母は悲しむように、子は怒ったようにそれぞれ押し黙るのは勝手だが、出来る事ならそういうことは自分の家でやってもらいたい。


「・・・ボクは一人でも残る」


理由を聞いてみたかったがそれ所ではない様子。先に口火を切った悠の、押し殺したような声は少し震えていかにも儚いが、悠母にはそれでも充分、効果てきめん。どきりとうつむいて、再び顔を上げたときには既に反撃体制。


「はいそうですかって、あなたを一人残して行く訳に行かないでしょう」


「一人でも大丈夫だって言ってるだろう、もう子どもじゃないんだ」


「そんな事言って、この間ママたちが一泊旅行に行ったときなんか見れたものじゃなかったじゃない」


「あれは・・・お姉さんがやったんだ、ボク一人なら何とか出来てた」


「それも一理あるかもしれないけど。けど駄目よ、心配だわ」


「とにかく、帰らないっていったら帰らない!ちゃんと当ても探した」


激しく嫌な予感!悠がこっちに顔を向ける前にさっと逸らす。逸らしついでに母と目が合って、母は悠に見つめられてぽっと頬を染めている・・・


「いいじゃない?だってこんなに可愛い子なんですもの。お父さんもそう思うでしょう」


「あ、あぁ・・・」


いつの間に!こっそりと顔を覗かせていた父に睨みを利かせるとさっと引っ込む。何という事だ?みね子が真面目に勉学に励んでいる時に既に、根回しが済んでいたということなのか。


孤立無援。およそ実用的ではないと思いながら覚えた四字熟語がこんな所で役に立つとは。みね子はくらりとめまいがして額に手を当てる。


「わがままでご免なさい、でもママわかって、思春期の子どもはナイーブなの」


「・・・全く、この子は」


ついさっき子どもじゃないと豪語していたくせに。


訳のわからない決め台詞だったがそれなりに効いたらしい。ママ大好き!と抱きついて頭を撫でられる姿を見ると、悠の事が可愛くて仕方がないのだろう、少し寂しそうな横顔が痛々しいが。


「あの」


いい加減にしてくれないだろうか。口には出さずともそういう事は伝わるもの、さっと体を離した悠の顔は照れたように赤く、悠母は少し残念そうに、ごめんなさいねと微笑んでくれる。かくして嵐は去っていった。


みね子はぐったりと、何をした訳でもないのに受刑者のような重い足取りを自室に向ける。当たり前のように付いて来る悠の、思わず頬が緩んでしまうような晴ればれとした笑顔も今ばかりは憎らしく、文句の一つでも言ってやろうと三度すっと息を吸い込んだのに。


「お世話になる前に一つだけ。ボク、こう見えても息子だから。勘違いしてたでしょう?」


「・・・なに言ってんの」


「あ!信じてないね?心外だな、本当の事なのに。だからね・・・こうしてキミに恋することも出来る・・・って、うわぁ!」


「ちょ・・・きゃあぁ!」


ずだだだっと痛そうな音がまるで他人事のように聞こえる。階段という足場はちょっとまずかっただろう、するりと伸ばされた悠の手はみね子の頬を滑り、びっくりしたみね子は慌てふためいた挙句階段を滑り、それを支えて受け止めようとした悠を巻き添えに。結局二人仲良くひっくり返って目を回す羽目になったのだ。加えてみね子には、今日一日分の尊い記憶、今の一瞬で綺麗さっぱり消えただろう事は疑う余地もない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ