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救済の神子はまだ知らない  作者: 染井吉野
神子候補編
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07.きっと家族の形はそれぞれ違うようです


 母の葬送の儀から二か月ほどが過ぎた頃。


 風公爵一家が、我が家を訪れた。


 玄関広間でひととおり挨拶を済ませると、父と風公爵夫妻は話があるらしく、応接室へ向かった。

 私はシルフィアと、その妹のミレイア様と一緒に、小客間で過ごすことになった。


「ルシア、ひさしぶり!」


 大人たちの姿が見えなくなるなり、シルフィアがぱっと明るい笑顔を見せた。


「ひさしぶり、シルフィア」


 その変わらない様子に、私も少しだけ頬が緩む。

 シルフィアの隣では、ミレイア様が姉の袖を握っていた。


「ミレイア様も、おひさしぶりです」


 声をかけると、ミレイア様は私を見上げ、それから小さく頭を下げた。


「ごめんね。まだまだ人見知りなの」


 シルフィアが困ったように笑う。

 ミレイア様と会うのは、母の葬儀も含めるとこれで三度目だった。

 初めて会った時もシルフィアのそばを離れず、お母様が話しかけると、小さな声で答えていたのを覚えている。


 小客間では初夏の陽射しが大きな窓から差し込み、白い窓布が風に揺れていた。庭園の水路から聞こえるせせらぎが、静かな部屋へ届いてくる。

 侍女が淹れてくれた温かいお茶からは、ほのかに花の香りが立ちのぼっていた。


 私は湯気を眺めながら、静かにカップへ口をつける。


「……ルシア、元気ない?」


 シルフィアは心配そうな目で私を見つめている。


「そう見える?」

「見える」


 即答だった。私は少しだけ苦笑する。

 自分では普段通りにしているつもりだった。


 シルフィアはしばらく私の顔を見ていたが、やがて窓の外へ目を向けた。


「ねえ、少しお庭に出ない?」


 窓の向こうには、若葉をつけた木々が、ゆったりと揺れている。


「今日は風も気持ちよさそうだし」

「……うん。そうしようか」


 小客間を出て、三人で庭園へ向かう。


 風に若葉が揺れ、庭園には季節の花々が色鮮やかに咲いていた。

 水路を流れる水が陽射しを受けてきらめき、小鳥のさえずりが静かな庭へ響いている。


 しばらく歩いていると、シルフィアが口を開いた。


「最近はどう?」

「どう、と言われても……」


 私は水路のそばに咲く青紫のアイリスへ目を向けた。母が好きだった花だ。

 母が亡くなった頃には、まだ花をつけていなかった。


 春が終わり、季節だけは何事もなかったように進んでいる。


「よく分からない」

「分からない?」


 シルフィアが首を傾げる。

 私はアイリスに視線を落としたまま、続けた。


「悲しい。でも、お姉様やお兄様ほど悲しくないのかもしれない」


 口にしてみると、胸の奥が少し痛んだ。


「お母様が亡くなったのに、私は泣けないから」


 母は大切だった。それは間違いない。

 けれど、姉や兄のように涙を流すこともできなかった。

 それが少し苦しかった。


 シルフィアは静かに聞いていた。


「変だと思う?」


 アイリスからシルフィアへ視線を戻す。

 こんなことを言ったら、薄情だと思われるだろうか。

 しかし、彼女は首を横に振った。


「変じゃないと思う」

「ほんと?」

「うん。私だったら泣いちゃうかもしれないけど……みんなが同じじゃなくてもいいと思う」


 シルフィアは足を止め、そっと私の手を握った。

 私と同じ小さい手。でも、とても温かかった。


「だって、ルシアは悲しいんでしょう?」

「……うん」

「だったら、泣けなくてもいいんじゃないかな」


 シルフィアは少し俯き、言葉を探すように黙った。


「だから、その……。ルシアもそのままでいいと思う」


 その言葉に、少しだけ胸が軽くなった気がした。

 握られた手の温かさが、今はとても嬉しかった。


「ありがとう、シルフィア」


 シルフィアはにこりと笑うと、私の手を離した。

 私たちはまた、庭園を歩き始める。


 そのまましばらく歩いていると、ミレイア様がシルフィアの袖をそっと引いた。


「お姉様」

「なあに?」


 シルフィアはとても優しそうな声で応える。


「お花、きれい」

「そうね」


 シルフィアは優しく微笑んだ。

 その様子を見ていると、なぜだか目が離せなかった。


「二人はとても仲が良いね」

「ええ」


 シルフィアは当然のように頷いた。それがなんだか素敵だと思った。

 するとミレイア様も小さく頷く。


「お姉様、すごいの」

「ミレイア」


 シルフィアが少し困った顔になる。


「お勉強できるし」

「やめなさい」

「魔法も上手だし」

「ミレイア」

「きれいだし」


 私は思わず笑ってしまった。シルフィアは困ったように片手を額へ当てる。

 ミレイア様の表情は真剣だった。


「お姉様、なんでもできるの」

「なんでもはできないわよ」

「できるもん」

「ミレイア」

「……私はできないのに」


 俯きながら、ぽつりと呟く。

 少しだけ寂しそうな声だった。


 シルフィアは立ち止まり、ミレイア様の前にしゃがみ込む。


「そんなことないわ」

「でも」

「あなたはあなたよ。私にならなくていいの」


 優しく頬を撫でると、ミレイア様はくすぐったそうに目を細めた。


「……でも、お姉様みたいになりたい」

「どうして?」


 ミレイア様は少し考えたあと、当たり前のことのように答えた。


「お姉様が好きだから」


 シルフィアが目を瞬いた。

 それから、困ったように笑う。

 けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。


 ミレイア様は自然にシルフィアの手を取った。

 シルフィアも、その手を握り返した。


 二人はそのまま、手を繋いで歩き始める。

 私はその姿をしばらく見つめていた。


 セシリアさんと手を繋いだ記憶はある。

 けれど、自分からその手を取ったことはあっただろうか。


 私はセシリアさんに、あんなふうに甘えただろうか。

 アストさんに懐いただろうか。


 お母様に、もっと甘えてもよかったのかもしれない。

 けれど、どう甘えればよかったのかも分からなかった。


 庭園の噴水から聞こえる水音が、静かに響いていた。

 やがて侍女が、帰る時間を知らせにやって来た。


「今日は来てくれてありがとう」

「こちらこそ」


 シルフィアが微笑む。


「また会いましょう」

「ええ」


 そう答えると、


「……また来ます」


 ミレイア様が小さな声で言った。


 私は目を見開く。


 彼女が自分から話しかけてくれたのだ。

 私は思わず頬が緩んだ。


「私も会いたいです」


 そう答えると、ミレイア様は少しだけ嬉しそうに笑った。


 初夏の風が庭を吹き抜けていく。

 水路のそばでは、青紫のアイリスが静かに揺れていた。



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