第11話:月光に照る少女の夜話
「変化の魔法」
いつものように、少年の姿に変わる。姿は日変わりだったから、昼の少年のままであった。ただ、その表情あるいは雰囲気は家出する子どものそれであった。
裏路地を抜けて表通りに出た。初夏であるからか夜はまだ少々肌寒く、ひんやりとした風が住宅街に沿って吹いていた。
昼の活気は既になく、代わりに少女の瞳に映るのは家々に灯る暖かな灯り。美味しいご飯を食べて、お風呂に入って、もうすぐ寝るんだろうな、という当たり前の生活が窓の暖色具合から分かる。それを少女も感じたのだろうか、ネックレスを握りしめる手は一層強くなっていた。
月の光を集めよう。そうしたら、何かが変わるかもしれない…。
少女はぱっと空を見上げ、月を探した。
さて、少しだけ表通りを概観してみる。通りに沿って建てられた家々は5階建てになっている。道幅は市場のテントとの兼ね合いからそこまで広いわけではない。しかも、その道幅は表通りの端に行けば行くほど段々と狭くなっている。そういう、特徴的な通りであった。自然、少女の矮小な背丈では月は見えなかった。
もっと広い所に行かないといけない、そう思ったら、少女が向かう場所は1つだった。
パーグ街の特徴は、その中心にある時計台である。名前は、「パーグ大時計台」。700年前に完成したもので、全長は約90メートル、アンティーク調。夜になると色鮮やかにライトアップされ、サンスベリア王国の中で著名な観光地の1つになっていた。時計台の外壁には所々にヒビとそれを直した跡、内壁には時計台から一望したパーグ街の絵画(10年ごとに描かれ、今までに69回書かれている)が残されており、何百年もこの街の時を刻み続けてきた伝統をまざまざと感じさせられるものであった。
この時計台の面白い特徴として、その歴史の長さから文化財に指定されているのに、街の人々にとっては共生の方が意味合いとして強いところにある。内壁に自分と思い人の名前を書くと結ばれるという験担ぎがあり、この街に生まれたのであれば誰もが1度は経験する。文化財への扱いとはとても思えないが、たまに時計台をちらりと見遣る市民の目は畏敬の念よりもむしろ友人への優しい眼差しの方が近い。国は体裁としては落書きを禁止しているが、取り締まる様子はない。
そんなパーグ大時計台の周辺は環状交差点になっている。そこから5つの、比較的横幅が広い道が直線で、放射状に伸びている。その内の1つが少女が現在歩いている「表通り」である。
少女は時計台…ではなく、街の端にある小さな丘を目指して歩いていた。時計台とその周辺は夜の内は明るく、星は見えそうになかった。
反対に、街の端に行くほど、軒灯も人も少なくなる傾向があった。閑散というよりも過疎という言葉が似合う。そういう雰囲気であった。
より奥の、小さな丘の周辺まで行けば街灯がぽつぽつあるだけで、住宅自体が殆ど無かった。人も当然殆ど居ない。そのことを少女は知っていた。
丘の上は、天体観測にはうってつけだったのである。
街の端に向かって少女は歩いた。暗鬱な心情はそのままに、歩くたび街は段々と本来の夜の姿を見せていた。満天の星空は本来の明るさを取り戻していって、けれども聳える建物達がその一部を隠してしまっていたから、それが少々煩わしかった。
偶に大人とすれ違う。その度に耳をちょっと赤くして、少女は少しだけ駆け足になった。駆け足の時、ほんの少しの恐怖は抱いていたもののそれは反って少女自身の冒険心となり、現在の変化した姿と相まって1人の街の少年に成っていた。違うのは、ネックレスの有無である。
数人の大人達は少年の方をちらりと見た。が、無関係を装って、駆け足でその場から離れた。その思惑は、本人にしか知れない。しかしながら、1つ言えることがあるとすれば、夜の少女を引き止める者は終ぞ居なかったということである。
いよいよ月が見えた。
表通りがもうあと数百メートルで終わるという時に、白銀色のそれは建家を地平線にして顕現した。反照された光は他の星達とは色も輝きも違った。黒一色の夜の中で他と明確に異なる月は、孤独のように見えた。そして何より近かった。
日常、色んな光を目の当たりにする。皆、多種多様な光を好む。
少女にとってはそれが月光であった。それに、今気づいた。常日頃浴びる月の光が、ここまで優しいものだとは思わなかったのだ。太陽程照りついているわけではないけれども、街灯や屋内灯程近くもない。何より、孤独に輝く。それが他のどんな光よりもありがたかった。
少女が歩けば、月は自然と、上下左右にゆっくり動く。月の出は少女の思うがままであった。
「月がよく見えるのはどこかな~?」
片足飛びの要領で探す。その愛おしい遊びが少女の気を紛らわせた。
しばらくして、その遊びにも一つの区切りをつけた。
「もっとよく見えるのは、やっぱりあの丘だ!」
額の汗を右手で拭い、フーッと息を細く吐く。そうして一息ついて、少女は勇みよく走り出した。
丘に着いた。
ここに来るまで、少女にとっては一瞬であった。はぁはぁと上がった息も、気にはならなかった。膝に手を着いてはいたが、達成感のようなものを感じていた。
丘を見遣ると、その土肌はでこぼこしていて、木も草もなかった。形状は空から見れば円のようであり、つまりは、ありふれた丘であった。
そんな丘であるが、薄茶色の明るめの土で形成されていてそこまで高くはない。そのため、日中は子ども達の遊び場と化していた。街の少年少女がこの丘の頂上目がけて競争を行う。それが日常の風景。ただ、主人公の少女は1度も参加したことが無かった。変化の魔法を使っていたから馴染めなかったのである。
運動神経の良い子どもであれば少女の場所からでも丘を登れた。少女も運動神経は良い方ではあったから丘を登れるのだが、
「ゆったりと歩くのも良いね」
と呟いて、近くにある登り口を目指した。外灯が丘に沿って等間隔にあり、それを目印に歩いた。
耳をすませば虫の声が聴こえてきた。鼻から息を吸えば土の匂いがした。五感で自然を感じ取ろうとして、ときたま丘の土肌を撫でた。ごつごつとした感触。それに醒めて、丘から手を放す。手のひらをじっと見る。土が手に着いて汚れていると思って、パンパンと叩き落とした。これを何度か行った。
そういう意味のないことをしながら、少女はゆっくりと歩いていた。
そうやって少々浮かれていた時、ふと目の前に1人の大人の影が見えた。わざわざ街の外れの丘に居るのは怪しい。
すぐさま足を止めた。呼吸音を静める。震えを堪える。それは獲物を狙い済ませるかのようであった。しかし、心臓の音はバクバクと煩い。それを無理やり静かにさせるために、深呼吸。吸って吐くを3回繰り返した。
そうして身体を落ち着かせると、少女は人影に目を凝らし、猫のようにじっと対象を観察した。
人影はやや大きく、ガタイからして男のように思える。それが土肌に手の平をつけようとしていた。全体では外灯によるスポットライトが当たっているような様相であり、演劇の一幕のようであった。けれども、その表情は見えない。
少女の少年心が働いたのだろうか。額から頬を伝って首元に流れる汗、それを拭うことなく、ジリジリと近づいた。ゆっくり、ゆっくりと。
いざとなれば、魔法を使う予定であった。が、杞憂に終わった。
「あっ、レイン・ブラックローさん!」
その人影は、昼間のお巡りさんであった。少女は男の顔を見て、一目で気づいた様子であった。少女はほっと胸を撫でおろして、そこに駆けて行った。