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微かな光を求めて  作者: stage
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第6話:熟議の寓話

 少女が現在滞在している国、サンスベリア王国は、治安の良さは大陸随一と言っても過言ではなかった。殺人や強盗といった事件は、2億人程の人口の割には大分少ない。窃盗はまずまずであるが、その理由の大半は貧困であった。


 なぜそのような治安を維持できているのか、というのは分析的な見方であり、それは誤った情報を流布するかもしれないから詳しくは止めておこう。ただ、少なくとも、王国の高名な学者は次のように述べている。

「この道徳心が広く行き渡っている状況は、決して国王が強権的な振る舞いをして民を圧しているわけではないから、諸外国のそれとは明らかに異なる。王国の風土が穏やかであるということと戦争経験が殆どないこと、そもそも国が豊かであること、この3点については影響しているに違いないと考えるのが自然であろう。」





 その国民性に関連して、この王国には次のような話がある。およそ900年前の話である。

 当時、民衆は暴力のような血生臭いことよりも、活発な議論を好んだ。場所は一部の飲食店、あるいは食堂で、イギリスのコーヒーハウスのような存在であった。そこでは飲み食いをしながら、併設された小さな議場で自由に、市民が熟議することができた。その名は「熱意の食堂(ジール・ダイニング)」。

 そこでは様々な議題が並ぶ。生活の困りごとから国家一般の課題まで本当に様々であった。そしていつからか、ディベートのように2つに分かれて論争を行い、その勝敗を予想するという文化ができた。そこには当然賭博を行うこともあり、次第に常態化した。賭博でのいざこざを収めるため、元締めは店が行うようになった。


 金が絡むということは、その勝ち負けは正論以上に重要になる。そのために、弁が立つ著名な「論客」が現れた。この論客はあくまで市民であるということは変わらない。しかしながらその一部は高度な論術を持つに至り、多くの市民を言葉で酔わせ、大金を稼ぐにまで至った。


 ある時、1人の若い女が居た。姓はシャーロット、名は知れず。彼女は政治的議論を行うような性分ではなかったが、正義感は人一倍にあった。ある時、友人に連れられて初めて熱意の食堂(ジール・ダイニング)に行くことになる。シャーロットは初めてのことに殊更不安を覚える身であり、

「それって、本当に面白いの?」

と友人に何度も聞いた。

「大丈夫。演劇よりも面白いって感じるかもしれないよ~」

と冗談交じりに答えた。

 演劇を幼少期から嗜み現在も趣味で活動しているシャーロットは、「そんな馬鹿げたことはない。」ときっぱり言った。そして当日、不安な面持ちで熱意の食堂(ジール・ダイニング)に向かった。


 そこに入ると、世界は一変した。それは、演じるだけでは得られない現実の激烈な闘争が、あるいは人の打ち負かしたいという性が、若しくは自身の思想の優位を保ちたいという期待と啓蒙したい欲求が、湧き上がっていた。それは人の内なる野望が、あるいは暴力性が剥き出しになり、「熟議」という正当な葉っぱに隠されているようであった。論者は汗水たらし、観客たちは拳を突き上げる。熟議の世界を初めて見る者からすれば、どのように見えたのだろうか。

 その熱気に、シャーロットは圧倒された。目を見開き、終始口元をにやけさせた。その高揚は、初めて演劇を見た以来である。彼女の中で何かが変貌した。

 1つの議題が一旦終了する。次の議題は家庭内の不和に関するもの。その議題の、金を賭け始めるフェーズに変わる。

「これなら、私も……」

 自然と身体は動いていた。誰でも参加できるということが、彼女を駆り立てた。

 議場の、観客が良く見える位置に立ち、目を閉じた。演劇の演説のシーンを必死に頭に浮かべる。当然、緊張を顔には出さないように、自身の心音をコントロールする。

 なんだなんだ、新入りか?

と、ざわざわとし始める。初心の論客が出てくることはなれっこであったが、このような事態は初めてで困惑していた。


 シャーロットがかっと目を開き、観客をじいっと満遍なく睨みつける。それは、今からお前ら観客を射殺してやろうかと言わんばかりの鋭さである。その凄みに、議場はシーンと静けた。それが、数十秒。彼女を止める者はいない。静かなる議場の焦燥が今にも割れそうなところで、彼女は「大声の魔法(マウト・マジェスティ)」を使用した。

「私は…………!!」

 演劇は、人を揺れ動かす力を秘めている。彼女のスピーチは、初めてで拙さが目立ったものの、終わった瞬間には拍手喝采、ディベートの相手も呆然として手を叩いた。論客、演説王シャーロットの始まりである。


 少し長々と話したが、ここからが本番である。

 凄腕の論客になると、大金が手に入る。彼女も同様であった。そこまではよかった。だが、初心忘れるべからずというべきか、大金を手にすることを目的にしてしまった。彼女にとってはそれがいけなかった。

「もっと、もっと……!」

 彼女は自身の演技の才能を、演説と相手を打ち負かすことだけに専念した。それは鬼の如く強かった。熟議に集中するため、仕事も演劇も辞めた。それらが邪魔だと感じ始めたのだ。熱意の食堂(ジール・ダイニング)に通いはじめて2年後のことであった。


 そんなある日、強力な論客が現れた。みすぼらしい恰好をした、仮面の男性である。名は、スアロー。その男は、相手を捲し立てるのではなく正しい知識に基づいて論理的に、明快に、そして時には相手に譲歩し、結論をともに作っていこうという気概であった。その丁寧な議論は、相手の言葉尻を論うような態度を窘めさせるに至った。

 彼女、シャーロットも闘うことになった。観客を味方に付ければよいと思っていた彼女は演説を行う。が、しかし、相手が悪かった。

「そうか」

と静かに彼は答える。彼女は「してやったり」と片頬を上げた。


 しかし次の瞬間、彼の方がおもむろに演説を始めた。それは、身振り手振りを踏まえながら、共感するところを挙げ、強調するべきところを強調する。その具合は、敏腕政治家が行うそれと遜色なく達者であった。議場は次第に、彼の演説に飲まれていく。

「と、このように、演説で別の結論を信じさせることもできる」

と彼が言うと、心酔していた観客たちが現実へと戻され、はっとした表情になった。

「議題の内容、本質を考え続け、熟議を重ねていくことこそが重要だ。」

と、それだけ言うと議場から立ち去ってしまった。

 演説を議論の手段の主としたシャーロットの完敗であった。


 その後、シャーロットは演説を行う議論を展開することを憚られた。あの一撃が大きすぎた。

 金は段々減り、しかし豪華な生活は止められず、納税がままならなくなり。そして、裏の金に手を染めるようになった。

 当然、国にばれた。

 逮捕され、刑に服した。悪い噂に人間はよく飛びつく。この事実は瞬く間に広がった。

 釈放の後、熱意の食堂に再び出向いた。それは、一種の依存でもあった。彼女は人生を逆転させるために大金を得るという願望を捨てきれず、成功体験に酔い、戻るしかなかったのだ。

 熱意の食堂には、長い間訪れていなかったからか、彼女が初めて来たときに感じた新鮮な熱気があるように思えた。議場に渦巻く熱意は、その大きさだけがまだ変わっていなかった。同時に、他者から罪人への侮蔑の目も向けられていたのを感じた。

 彼女はそこで立ち止まる。

 初心と、過去の行いと、今の思いを身体に浸透させる。すると、頭の中で懐かしさと後悔の渦がぐるぐると回り続け、その思考の末、もう二度とあの時と同じ心持ちでは議場に立てないのだと確信した。

 その時、すっと一筋の涙が頬を伝った。それを拭うことはせず、彼女はそそくさと立ち去った。

 その後は慎ましく暮らし、シャーロット家は今も続いている。





 この話は、サンスベリア王国の国民性をよく表している。それは、シャーロットのような罪を犯す人間が沢山いるということではない。内なる所では熱意に満ち溢れているが、同時に、自身が人間としての野生的な社会性を含んでいることを自覚できず、その上、芯は揺らぎやすい所である。ここでの野生とは、個人や組織の優劣・順位に関する感覚で、どの動物にとっても生存の上では重要になるものである。この王国の、あるいはこの世界の社会は、度の過ぎた「野生」を含めて形成されていたのである。

 もし、シャーロットが再び議論の場に立つのなら、過去の罪を掘り返し、敵対的言動を取るだろう。もし国王がシャーロットを許すように言ったのなら、国民はこの指とまれを合言葉に許すだろう。そういう、もはやどうしようもない性分である。

 その「熱意」も徐々に薄れ、熱意の食堂は今では随分と少なくなっている。





 さて、少女の様子を見てみよう。

 少女(少年のフリをしているが)はどんよりとしていた。原因は少女の性格と目の前の老人にある。


 少女は飽き性であった。子どもという点を除いても、何かを継続的・計画的やるのは苦手であった。早起きした方が行動範囲も広がるというのにそれは三日坊主に終わり、今日の起床が遅かったことからも分かる。

 また、この老男も話が長く、簡潔ではなかった。この王国の歴史やら地理やら国王やら、その話は冗長であった。今の議場の話もそうである。男は、ある意味では年齢相応の発露で、国民を憂いているという立場で話していた。ただ、愛国心は人一倍にあるそうで、この国の話に関しては、シャーロットの演説の如く熱意に溢れ、雄弁であった。


 そんな折、鐘の音がカランコロンと時計台から響き渡った。

「そ、それでは、僕は用事がありますので……」

 あと小一時間くらいは話が続きそうだったので、逃げるように少女は立ち去った。男も満足げな顔で別れを告げ、手を振った。時計台の針は、正午を指していた。


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