あおたろうどの
狐屋の若き主人狐屋青太郎と同店大番頭の雷蔵は抹香の匂いに包まれて粛々と読経の声を聞いていた。
紙問屋増山屋の主人が亡くなった。
ポクポクと鳴る木魚の音を頭から追い出して、雷蔵は眉間にシワを寄せて今後の方策を巡らせていた。
依頼は達成できなかった。つまり、増山屋が持っていた紙問屋の株の新しい保持者を選定する会議の根回しは出来なくなった。
せめて増山屋の主人がもう少しの間この世に留まっていてくれたなら次の機会にもあっただろうに、もうその暇もない。
金を撒くしかないか……。
雷蔵はキリキリと胃が絞られるような痛みを感じた。
株を獲るための手としては無策に近い下策だが、何もせずに手をこまねいているよりはいい。
いったいどれくらいの金子が必要になるのだろう?
頭の中で使う金子の量を軽く計算すると、狐屋が稼ぐ一歳の額を軽く上回った。
それで無事に株を手に入れられれば良いのだが、それだけの金を撒いた挙げ句に株を他の店に取られでもしたら泣くに泣けない。狐屋の屋台骨が大きく傾いてしまう。
雷蔵が集めた情報によると、材木問屋の『大場屋』と廻船問屋の『二岡屋』が増山屋の株の取得に動き出しているらしい。
どちらも太い商売をしていることで有名な大店で、特に二岡屋は役人連中の中へかなり深く入り込んでいるようだった。
危険すぎる賭けからは手を引くのも一つの方法か……。
ふぅ~……と、青い溜息を吐く雷蔵の横で、ここ数日ずっと猫を追い回して遊んでいただけの青太郎が情けない声を漏らした。
「おい雷蔵。私ぁ足がもうぴりぴりしてるんだけどさ……膝を崩しても良いかなぁ?」
もうこいつは狐屋にいなくていいんじゃないか? と九割ほど本気で思っていたら、二人の前で足を止めた人物がいた。
先ほどまで読経をしていた僧だった。
「狐屋さん。亡くなった増山屋さんからあなた宛の文を預かっているんですが、一寸奥の座敷にまでご足労願えますか?」
「ん、私宛かい? 雷蔵にではなく? 商売の事なら雷蔵に相談しておくれ、私にゃわかんないからさ」
「結果的には商売の話になると思いますが、話す相手は青太郎さんですよ。増山屋さんは青太郎さんを名指して文を残されましたから」
そう言って微笑する僧の糸のように細い目は実質的に狐屋を取り仕切っている雷蔵へではなく真っ直ぐ青太郎を見つめていた。
「へぇ? なんだろうね。あ、でも一応雷蔵も来ておくれ、難しい話になると私にゃわかんないから」
「承知しました」
増山屋の中にある座敷の一つに通された三人。
「――っ!? こ、こいつぁ……」
雷蔵は文箱の中から出て来た木札の表書きを見て魂消そうになった。
「雷蔵なんだい、それは?」
「株の証書でさぁ! 増山屋さんが持っていた紙問屋の株が! 株がっ!」
「紙問屋の株? あの爺さん私に紙屋をやれって言ってるのかい。面倒だねぇ」
「め、面倒!?」
この阿呆がっ!
そう叫び出したくなるのを雷蔵は必死になって耐えた。
「これの他に拙僧が増山屋さんから預かったのが青太郎さん宛てのこの手紙です。かの者が最期に書いた正真正銘の遺言状。心して読みなされ」
青太郎は受け取った手紙を無造作に開いて読み始めた。
「えーっと……達筆すぎて読めないよ。雷蔵、代わりに読んでおくれ」
雷蔵は青太郎の手からひったくるように増山屋の遺言状を取り上げて急いで目を通した。
遺言状は青太郎にも読めるよう全てを平仮名で書いた文字が柔らかく流れていた。
ただ、あまりに達筆なために青太郎にはそれが平仮名だということも分からなかったらしい。
【 あおたろうどの
もうそろそろあたしにおむかえがくるようだよ
あたしがへそまがりなせいか
こんなとしよりになっても
ともだちがおらぬ
まわりにいるのは
かねのもうじゃばかりじゃ
だからな
あたしがいなくなったますやまやを
あおたろうどのにあげるよ
あんたはべつにいらないといっていたけれど
あたしはへそまがりゆえ
ことわられたら
なおのことあんたにあげたくなった
このじじいのさいごのたのみじゃ
どうかきいてくだされ
あんたがこしらえてくれた
ゆきうさぎ
とてもきれいだったよ
ありがとうな
ますやまやかへい 】
「な、なんてこったい……」
増山屋は後継者を指名していた。青太郎を名指しで!
この書状と証書の木札があれば、増山屋が持っていた紙問屋の株は誰の横やりが入ろうとも狐屋が相続することができる。
「で? 狐屋さんは増山屋さんの遺言をどうなさいますか」
「しょうがないなぁ。あの爺さんの最期の頼みだからきいてあげるよ。面倒だけどねぇ」
欲しくもない玩具を懐にねじ込まれた子供のような迷惑顔で青太郎は承知した。
こ、この阿呆め! これがどれだけの価値がある物なのか、ちぃとも分かっていやがらねぇ!
「ほほほ、これは重畳。増山屋さんも喜んで成仏できるでしょうな」
「あぁ、あの爺さんは良い爺さんだったから天国生きは間違いないと思うよ。一足先に天国に行っている家族と今頃ぁ仲良くしてるだろうね。お坊さんはどう思う? ……うん。爺さんの死に顔、とても幸せそうだった」
「どんな身分の高い方でも、あんなに嬉しそうな死に顔はなかなかに出来ないものです」
「そうだね、あの爺さんはたいしたお人さ」
邪気の無い顔で笑う青太郎と、その青太郎をまぶしそうに眺めている僧。その二人の様子を雷蔵は唖然とした顔で見ていた。
「その増山屋さんに見込まれた青太郎さんもなかなかの『たいしたお人』ですな」
「そうかい? 私ぁ人に褒められるようなことなんて何も出来ないし、普段からあちこちで阿呆太郎だと言われてるんだけどねぇ?」
「大器晩成と申します、大きな器は完成するまで時間がかかるものですよ。今は評価が低くとも将来は違うかもしれません。このお江戸で長年商売をし続けていた増山屋さんは人を見る目が確かにおありだった。その増山さんが青太郎さんを認めたのです。末はきっと先代を凌ぐ大商人になることでしょう。自信を持って宜しいかと」
「そうかねぇ?」
「そうですとも」
糸のように細い目を山形の弧を描くように崩して微笑んだ僧は一瞬だけ雷蔵に目を向けた。
「長年一緒に居ながら、それも分からぬ者こそ阿呆というのです。これだけ無垢な主人に仕えておきながら血の臭いが途切れない生き方をしている者こそ……真実に阿呆なのです」
「――!?」
雷蔵はその一瞬だけが別人のように厳しい目になったのを見て肝が冷えた。
今の話はあっしに向けての説法だったのか!?
「ふうん。でもまぁ、私ぁただの阿呆でかまわないよ。私にゃ雷蔵がいるんだから、それで安心さ」
青太郎は二人の視線のやり取りに気付かず、株の証である木札を畳に立てて独楽のように回している。それを見て僧は益々顔を柔らかくした。
「そういう欲の無さが、青太郎さんをより大きくするでしょうな」
孫を愛でる爺のような慈愛の籠った目で青太郎を眺めている僧に向かって、雷蔵は叫びそうになった。
そうじゃない、奴は物の価値を分かっていないだけだ。株の価値も解さぬこの阿呆が将来大商人になるとでも?
無言で僧の話を聞いていた雷蔵はその言葉に反発せずにはいられなかった。青太郎を赤子の頃から見ている雷蔵だからこそ決して信じられない言葉だ。
しかし、だ。
僧侶の中には人の将来を見通す法力を持つ者もいるという。
まさか――? と、思う。
有り得ない! と、思う。
しかし事実として今、江戸に名だたる大商人がこぞって欲しがっていた増山屋の株が青太郎の手の中にちょこんと納まっている。
まさか……!?
雷蔵は雪の中に身体を突っ込んだようなうすら寒さを感じて背骨が震えた。
「そのうち段々と、増山屋さん以外の方も青太郎さんを認めるようになってくるでしょうな」
僧は雷蔵には一言も声を掛けずに始終にこやかに青太郎に接している。
「そしたら、私も遊び相手に困らなくなるかな?」
「ふむ……?」
僧侶は片目だけをすこし大きく開いて、苦笑いをしている青太郎の貌をじいぃと視た。
「数は多くありませんが、生涯を共に歩むに値する良き友が現れます。巡りの合う時期は……おや、もう出会っていると相に出ておりますね。心当たりはないですかな?」
「そういえば、こないだ私にお侍の友が出来たんだけどね、そいつもなかなかの奴だったぞ。あれはなんというか……面白い。先に友達になったのはそのお侍さんの家臣だけどさ」
「青太郎さんがそう言うのなら、その方もかなりの者でしょうな」
「そうかもしれないね。初めて会ったときは、なんだか気難しそうに見えて私とはあまり気が合いそうになさそうだったけれど、話すほどにするっと心の中に入り込んでくるんだよ。そしてね『あ、このお侍さんは良い人だな』って感じられたよ。ああいう人は良いね。とんとん出世していつかは将軍様になりそうな気がするよ」
「ほ……ほほっ! これはまた大きなお話で」
僧はさすがに一寸言葉を詰まらせ、小さく笑った。
「笑わないでおくれな。私ぁ本当にそんな気がするんだ」
青太郎はそう言いつつ中庭に目を向け、大きな蕾をいくつもつけている桜の枝を見つめながらもう一度同じ事を呟いた。
「私ぁ、そんな気がするんだ」
後に『東の大天秤』の異名をつけられることになる青太郎は、まだ自分の力がどれほどのものなのかを全く理解していなかった。
【おしまい】
最後までのお付き合いありがとうクマ~(^(工)^)
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