酒保城攻戦
演習を終えてから、僕はそれなりに充実した生活を送っていた。相変わらずの不味いパンに、リナルーサさんの怪しい視線、ワダツミさんの無茶ぶりなどはあったが、それに負けないくらいいいこともあった。そう、連隊の一般兵士との訓練だ。
王国の軍事的な編成は、共和国とはだいぶ違う。共和国では、国全体で兵士をかき集めて、それを師団から小隊にまで分割し、元帥やら大佐やら少尉やらが指揮する。対して王国は、王国各地の領地を治めている貴族が、私兵で構成した連隊を以て、各自で戦う。つまり、「連隊」が、軍での一番大きな単位なのだ。
最前線の兵士たるシノザキ連隊に求められるのは、有事に素早く展開する機動力と、激しい行軍に耐えてなお、他を圧倒する衝撃力だ。そのための訓練は、ひどく地味である。
「頑張れ、くたばるにはまだ早い!」
「あ、アキタさん。もう無理です、自分は置いていって下さい」
「諦めるなよ、足はまだ動くはず。だといいなぁ」
僕は落伍しそうになっている隊員の腰を支えるようにして、彼と並走する。どれだけ走ったことだろうか。背負った荷物の重みで、肩がひりひりとする。僕が支えている隊員も、重みに潰されかけながら俯いて走っている。
「俯くな、前を見ないと息苦しくなる」
「も、もう背中が痛くて、上がらないんです」
「仕方ないな」
もう、走れない。走りたくない。そんな限界を迎えたときは、ひたすらに喋るのがいい。少なくとも僕はそう思っている。息がすっかり上がっているときは、喋ろうが黙ろうが息苦しさは変わらない。むしろ、強く息を吐き出すように喋ることで、呼吸のリズムが整ったりすることもある。それに、苦しい訓練を耐えるには、仲間がいるっていう意識も大切だ。
フル装備、重量25キログラム。こいつを背負って、射撃歩兵部隊は20キロメートルを走る。それも、舗装されていない荒野をだ。空気は乾いていて、喉からは常に血の味がせり上がってくる。
けど、なぜだろう。僕は、そんな訓練が大好きなのだ。
走る、走る、ひたすら走る。
つま先を使っての匍匐全身、膝を使っての匍匐全身、腕だけでの匍匐全身。
泥沼を走って飛び越え、障害物をひらりとかわし、段差を乗り越え、ハードルを潜る。杭を打ち、土のうを積み上げ、穴を掘る。
銃を撃つ。銃を分解する。清掃してワセリンを塗って、銃架に戻す。
筋肉を鍛える。クソまずい大豆を絞ったプロテインを飲む。べちゃりと潰れるようにして寝る。
戦うんじゃなくて、戦うための技術を身に付ける、このひたすらに地味な過程が、僕は好きなのだ。合理的で、男性的なこの繰り返しが好きなんだ。
支えていた兵士とゴールにたどり着くと、即座に安全確認を行い、彼に休息姿勢をとらせた。僕は膝立ちで周囲の警戒を行う。
「あの……」
兵士は喘息みたいなひゅうひゅうとした呼吸で、切れ切れに僕に話しかける。
「前から、気になっていたんですけど、アキタさん、なんでいっつも、指を丸めて、周り見てるんですか」
「ああ、これ?」
親指と人差し指で、針の穴ほどの小さな丸を作って見せた。
「それです」
「これやるとね、裸眼で見るより遠くが見える。やってみるといい」
ピンホールだったか。そんな名前がつけられている現象で、小さな穴を通してみると、遠くでも鮮明に見える。指揮官は双眼鏡やなんかを持ってるけど、歩兵ひとりひとりはそんな高価なものは持っていない。だから、こうして工夫しなきゃいけない。
「よくそんなこと知ってますね」
「金がないなら、知識が必要だ。生き残るためには、鍛えるだけじゃなくて勉強しなきゃいけない。そう思ってやって来たからな」
「勉強ですか。勉強なんて、金持ちがするもんだと思ってました」
「貧乏な下っ端ほど必要だと思うんだけどな」
兵士は深々と頷き、安心しきった顔で言う。
「アキタさん、やっぱり頼りになりますね。これなら、明日の酒保城を攻めるのも、上手く行きそうです」
「……は?」
聞きなれない単語が飛び出した。
「酒保城ってなに? なんで明日いきなり戦わなきゃいけないの? なんも聞いてないんだけど」
兵士はきょとんとした顔をした。
「聞いてないんですか? ほら、要塞の別館3階に酒や食料の保管や、兵士への嗜好品の販売をしている場所あるじゃないですか。そこに攻め込むんですよ。ただ、守りがやたらめったら堅いから、城攻戦に例えて、酒保城攻戦とか言われてるみたいです。『酒保城攻城戦』じゃなくて『酒保城攻戦』なのは、単に言いやすさの問題らしいですけど」
――そういえば、そんなことを言っていた気がする。酒保から酒を盗むだとかなんだとか。
「なぁ、酒保ってことはさ、金を払えば普通に売ってくれるんだろ?」
「ええ。基本的にはお金で買ってます」
「ならなんで、そんな盗賊みたいなことをするんだ?」
「シノザキ連隊長が、『どうせ予算は俺の家から出てるんだ。俺が金を払う意味がわからん!』などと仰って、襲撃をしたのが始まりです」
「いや、払えよ」
「まぁ、そうなんですけどね。ただ、酒保の警備側もノリノリでして、むしろ襲撃を待ち構えてるフシがあるので、最近はお互い様な感じがしますね」
無茶苦茶だ。あまりにも無茶苦茶だ。
ワダツミさんの合図があって、駆け足で集合すると、そこには何故が物騒なものが置いてあった。黒光りする、重厚な鉄の塊。戦場の誇り高き乙女。そう――野戦砲がそこに、さも当たり前という顔で居座っていた。
「ワダツミさん、今日は基礎鍛錬のはずです。なぜ野戦砲がいるのですか?」
僕の質問に、ワダツミさんは豪快に笑った。
「酒保城攻戦の為だ!」
「明日ですよね?」
前日に準備しておくとか、どんだけ楽しみにしてるんだ、このオッサンは。
「これは、演習という名目で引っ張り出してきた野戦砲だ。そして、演習というからには日を跨ぐことだってありえる。たまたま何かの手違いで、日を跨いで演習に使用された野戦砲が、たまたま酒保の階段前に鎮座し、たまたま酒保警備の野郎どもに散弾をぶちこんでも、まぁ演習ならおかしくないわけだ」
「どう考えてもおかしいです!」
「演習だぞ?」
「ワダツミさんは、演習という言葉をなんだと思ってるんですかね」
便利に使いすぎである。
「決行は明日。今夜じゅうに、こいつをこっそり持ち帰って、酒保の近くに保管するぞ!」
『応!』
なぜか元気のいい、奴隷と兵士たちの声が上がる。僕は眉間を押さえた。頭が痛い……。




